<第三章:星の瞳> 【04】
【04】
次元境界面が崩壊する。
劇場の床が、いや床のある空間が、タイル張りのように一枚一枚捲り上がり、バラけて形状が崩壊し、闇の大口を開けた。
現れたのは、大きな縦穴。
このビルよりも深い大穴。
どこにも繋がっていて、どこにも辿り着けない人の淵。何者をも飲み込む虚無の底。天地が滅び消え去ろうとも、無窮に存在する地獄。
最初に穴から現れたのは、黒く巨大な狼。人間なら一口で五人は食えるサイズ。
「さあ、い――――――」
私が命令する前に、狼の首が斬り落とされた。
「で?」
星の太刀を返し、ユージーンは私を睨む。
「あなたさぁ、前戯の大切さを彼女から教わらなかったの? それとも童貞?」
「黙れ」
「ま、地獄は行列ができるもんだけどね」
続々と、溢れんばかりに狼が現れる。
一斉にユージーンに襲い掛かり、全てが一瞬で斬り払われた。
「ちょっとー、これ一匹で都市とか食い尽くせるんですけどー」
「その程度が、なんだ」
私に向かって太刀が振り下ろされる。その大きな、大きな刃で、地獄ごと両断するつもりだ。
ほんと、前戯が下手な男。
「来なさい。剣墓の貴婦人」
何もかもを一撃で斬り捨てる刃が、弾かれた。
狼の代わりに地獄から出てきたのは、刃物の群れ。それが星の太刀を弾いた。
様々な刃物だ。
石の小刀、骨の穂先、鎌、鉈、包丁、ロングソード、ブロードソード、バスタードソード、ジャマダハル、カタール、シミター、チンクエディア、シャムシール、柳葉刀、ダガー、ショートソード、グラディウス、ツヴァイヘンダー、レイピア、ショテール、太刀、刀、斬馬刀、軍刀、アーミーナイフ、サバイバルナイフ、カランビット、十徳ナイフ、カッターナイフ、エトセトラエトセトラ。
まるで人がいた時代の刃物全て。
それらは小魚のように集合すると、ドレスを着た貴婦人のようなシルエットを浮かべる。全長18メートルの刃物の群体。
「どんなに強くても、刃物は刃物。その概念を操れば良いってこと。その刀も、彼女の一部にしてあげるわ」
貴婦人はユージーンを抱擁する。体はズタズタに………ならなかった。
貴婦人の体が大きく砕ける。
ユージーンの片手には軍刀がある。貴婦人の体の一部だ。
「操る? この程度でか?」
「あらあら」
軍刀一つで、刃物の群体が散らされる。本当に小魚の群れのように。
軍刀が砕けると、次の得物を手にユージーンは踊る。貴婦人の体が面白いように削れていった。
「流石、アルファクラス。身体能力がどうこうってレベルじゃない。ボイドを侵食できるような調整を受けているのかな?」
「それが、どうした!」
ユージーンは、吠えて刃物を砕く。
「さて………」
次はどうしようかな? チャンバラごっこを尻目に考えた。
どうにも、すんなりと思い浮かばない。新しい脳が不調のようだ。もう少し賢い体で再誕すればよかった。馬鹿の方が操りやすいから、そこはそれでアレだけど。
「おっ」
地獄を飛び越え、ユージーンが斬りかかってくる。
貴婦人の体は、この短時間で一つ残らず砕かれていた。ほんと、これで人間ならお笑いだ。
「助けなさい。ソロモン・グランディ」
白い触手にユージーンは殴り倒される。そのまま、跪く形で押さえ付けられた。
白く細いイカのようなボイドが、ユージーンを背後から拘束した。
全長は4メートル、頭部は小さく、その頭部よりも細い胴体。足は二つ、触手は八つ。
「これがソロモン・グランディだと? ロードクラスとはいえ、S4ボイドを使役できるはずがない」
「偽物よ偽物。てか、似たモノが正しいか。前の体が奇跡的に倒しちゃったから、その残り香を再構成しているだけ」
ユージーンは、ゆっくりと立ち上がった。
八つの触手に、単純な力で勝っている。人間に対して絶対的な力を持つソロモン・グランディなのに、その特性を無効化している。
「あなたのそれ、人の形が出していい力ではないけど」
「カナリアの、力だ。貴様のようなボイドにはわからない人間の思いだ」
「アハハハハ! 愛とか言っちゃう口? 調整された大量生産品に、本物の感情なんてあるわけないでしょ。ただの化学物質による思い込みよ」
「………笑うな!」
触手を振り払い、ユージーンは星の太刀を振り上げる。
「ジェゾ」
私は、赤錆の槍を再現した。
黒と赤が交差し、激しい破砕音と明滅の後、くるりくるりとユージーンの右手が空を舞った。
構わずユージーンは迫る。
残った左手で星の太刀を振りかぶり、ソロモン・グランディに叩き潰された。
「あ、ごめ。死んじゃった? もう少し手加減してあげればよかった」
「くっ」
生きていた。
普通なら粉々になるだろうに、原型を留めて生きている。しかも、この槍で右手を落とされたのに、傷口から錆びが広がっていない。
「思ったよりも遊べそうね。さて、そろそろ混ざらないの? ササ」
劇場の端、散らばった肉塊の中からデカイ丸眼鏡をかけた巨乳が出てくる。
「なん、だと」
ユージーンは、戦いを忘れるほどの驚愕でササを見つめた。
「あらまあ、やっぱり、誰かさんにそっくりなのね。もう一人はどこに………」
私の背後にいた。
丸っこい手足を持ったサメが、私の肉と骨を噛み砕いた。大量の血しぶきが上がる。
「きゃははは! 食べることはあっても、食べられたのは初めてよ! 私の処女を奪った気分はどう? キャロラインちゃん!」
痛い。
ああ、痛い。
なんて新鮮な痛み。この瞬間だけは、生きているって感じがする。
ソロモン・グランディが、湧いて出てきた小さいサメの大群に群がられ、食い尽くされて行く。
「あらら、逆転。私ピンチじゃない。これも愛の力?」
キャロラインの体に無数の銛が浴びせられた。ただ、皮膚を貫通できていない。だが歯が緩んだので、背負い投げでキャロラインをユージーンに投げ付けた。
その巨体は、片腕で容易く受け止められる。
「私に戻りなさい」
言うも、マンハンターはどこかに走り去った。
命令無視。
私よりも飛龍の方が良いようだ。調整、もしくは再構成してやろうかと思ったが、些細な個性として許してやろう。
ユージーンの前に、ササとキャロラインが立つ。
「飛龍を手助けするフリして、背後でコソコソしていたのは、私の存在に気付いていたからでしょ。飛龍を追い詰めたら、ユージーンが負けると思った? 詰めが甘いなぁ。………あ! もしかして、キヌカちゃんを牢に入れたのも、あんたたち?」
「………………」
二人とも無言だ。
つまり、当たりってこと。
「君らは誰だ? そこの女、何故だ! 何故カナリアと同じ顔をしている! 答えろ!」
「私が答えてあげる」
ユージーンが滑稽なので、親切な私が答えてあげよう。
「後天性創作思想【執着/終着】症候群は、特定のモチーフを実体化する。そして、最後はそのモチーフに自分もなる。でもね、モチーフはモチーフに過ぎないのよ。自分の個性は十分に埋め込める。誰かさんが『カナリア』をモチーフに混ぜ込んで『ササ』って、ボイドを作った。ってことよね、キャロラインちゃん。自分の創作物と惚れた男が遊ぶ様を、後方から見ていたかったの? このシャークナードが」
キャロラインが声なき声で鳴く。
ソロモン・グランディを残さず食い切ったサメの大群が、私に向かってきた。数は300近く、ピラニア程度の小さいサメ。ちなみにこれ、飛龍のアイディアだ。
私は、取り出したクルトンを足で踏んだ。
瞬間、景色が変わる。
ユージーンたちの背中が見える。
舞台に上がった私は、床の水溜りに命じた。
「カナリア、治しなさい」
水が蛇のように私の体にまとわりつく。
裂けた肉も、折れた骨も、流れた血すらも元通りに。
「良い子ね」
私は水を撫でた。撫でた場所から、人の形が成る。
精巧で本物の、人間のような裸体。眼鏡がないこと以外、寸分違わずササと同じ。
私は、カナリアを腕に抱く。迫りくるピラニアサメの大群に向かって、満面の笑みを浮かべる。
サメは、黒い刃に薙ぎ払われた。
何度も刃は翻り、丁寧に一匹残らずピラニアサメを消す。
私は笑顔のまま言う。
「ボイドに残った搾りカスのカナリアか、姿形と魂を似せて作られたササか、どっちを選ぶか聞こうと思ったのだけど、聞くまでもなかったわね」
「貴様の正体がわかった」
ユージーンは、太刀を下げる。
敵意がないアピールだろう。
「本物の、マザーエッグだ」
「真ではないけど、偽でもない。そんなところよ」
私はそこまで、万能でもなければ無敵でもない。ただ偶然、そこに近くなってしまっただけの異常存在。
「………………頼む。カナリアを返してくれ」
口が裂けるのではないかと思うくらい、私は口角を上げて笑ってしまった。
舞台からカナリアを蹴り落とした。
壊れた人型は、なんのリアクションもなく頭から床に向かって落ちていき――――――神速で飛び込んできたユージーンに、片手で抱き留められた。
この男、まーた地獄を飛び越えた。地獄飛び越え選手権があったら優勝ね。
「って、ウソでしょ」
アレは人間の形をしているだけ。動けるように作っていない。なのに、カナリアはユージーンを抱き締めた。
「感動的ね」
抱き合った二人を、私が投げた赤錆の槍が貫く。
ユージーンは避ける素振りすら見せなかった。
「来世も“つがい”になれたらいいわね。また、同じように殺してあげるわ」
比翼の鳥は、赤く錆びて朽ちて死ぬ。
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