<第二章:星の瞳> 【02】
【02】
俺は反射的に飛び退く。
触手は、俺とユージーンの間に降り立った。
大きい。
全長6メートル近く、幅は12メートルくらいか。歪な王冠に似た形だ。
蠢きながら触手は歌う。全ての触手が合唱する。
『ぶらすふぇます! ぶらすふぇます! ぶらすふぇます! 我ら罪ある目は全てを見る! かわき、慈しみ、きょむ、汚濁、いつわり、死。人の栄ぞ、今終わる!』
触手が止まる。鉱物に変化したかのような停止。
どっちに来る?
俺か、奴か、それとも?
触手の全身に、銛が生えた。
両方だ。
視界が錆びた鉄に塞がれる。翼が勝手に動き、防御体勢を取った。
触手が吠える。
悲鳴にも断末魔にも聞こえる金切り声。混ざるのは、音の壁を突破する音と、不壊の翼の破壊音。
肩に衝撃と激痛が走る。
翼がグチャグチャにへこみ、欠け、捻じ曲がる。幾つもの銛が貫通し、内一本が俺の鼻先に触れた。
幸運なことに、俺本体に傷はない。
動かなくなった翼を、力任せに引き剥がした。左腕の神経を引き抜くような痛みに気絶した。が、痛みで覚醒した。
劇場は、針山地獄になっている。
至る所に銛が突き刺さり、足の踏み場もない。
「ゲッゲッゲッゲ、たのし、たのしいいい、たのすぃぃぃぃいい、キャキャキャキャキャ!」
触手は猿のように騒ぐ。
よく見れば、触手の内側には猿が透けて見えた。叫んでいるのは、その猿なのだろうか。
「ったく、サメ要素はどこいった」
触手は、一斉に俺に向いた。
「ヒリュウ、ヒリュー、ヒリュュュュュ。あ・そ・ぼ、遊ぼ、遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう!!!!」
「うるせぇ」
伸ばした右腕に降り立ったのは、一本の銛を咥えた怪鳥。
四翼の二つが斬り落とされ、胴体の半分は切断され、普通の生き物なら死に至る重傷を負っている。
だが、ボイドが、俺のボイドがその程度で死ぬわけがない。
「やれ」
怪鳥は、銛を噛み砕いて飲み込む。この空間にある全ての銛が、同じように噛み砕かれて消えた。
呪いじみた力により、同一の存在が全て怪鳥の胃に消える。
「ギャギャギャギャギャ! たのし! たのし! 手品、手品っ!」
「いいのか? 背中に気を付けなくて。お前に背中があるのか知らんけど」
触手に大穴が開く。
穴から、折れた刀を突き出したユージーンが覗く。
「ギュゥゥウウウウゥゥゥウゥウウウウ!」
耳障りな悲鳴を上げて、触手がそそり立ち震えた。
「やかましい奴だ。もう、お前と話すことは何もない」
奪った山刀を頬と肩で挟む。
怪鳥の姿が変わる。
俺の右手にあるのは、古臭いマスケット銃だ。
いつまでも、ラストリゾートじゃ締まりがない。切り札というには、こいつは愚鈍過ぎる。
ならば、新しい名前を与えようか。
「ラストワード」
引き金を引く。
銃身が跳ね上がり、腕も跳ね上がり、片足が反動で地面から離れる。
音のない射撃。
弾丸があるのかさえ定かではない。
ただ触手には、ユージーンのよりも大きな穴が開いた。触手を真っ二つにする大穴が。
「ヒ、リュ………………」
ぐちゃり、と触手は崩れ落ちた。
銃を消し、山刀を構える。
肉まみれの劇場を舞台に向かって歩く。翼をもいだせいか、左腕が動かない。左半身が重い。足もふらつく。
血を失い過ぎた。流石に、触手肉で栄養補給しようとは思わない。そんなもん食い始めたら、本当に人として終わりだ。
最初の戦いからは考えられないほど、のんびりとした速度で舞台に上がった。
ユージーンは、水槽に背を預け座っていた。
血だまりの中、座っていた。
肌に生気はなく、死相が浮かんでいる。
水槽に浮かぶユルルを見つけた。半身の肉が溶け、骨が見えているが、今すぐ回収すれば問題ないはずだ。
勝者の煽りとして、何か気の利いた一言でも吐こうと思い。
「死ね」
考えるのが面倒になってシンプルな言葉を吐く。
山刀を振り上げ――――――水槽が割れる。
「なっ!?」
水に殴り飛ばされ、俺は舞台から転げ落ちた。人型の水が、ユージーンを守るように立ちはだかっている。
なんだ、こいつは?
「止めろ、【カナリア】。止めてくれ」
血を吐きながら、ユージーンは水に乞う。
この水がカナリアだと? こんなもの人間じゃない。ただのボイドだろ。
「頼む、カナリア。それだけは!」
水が赤く染まり、赤く赤く濃く濃く、粘性を持って血そのものになる。その肩と腹に傷が生まれた。その部分だけ、人から奪ってきたかのように抉られた肉の傷が現れたのだ。
ユージーンの顔に生気が戻る。
そして、血と化した水は崩れ、こぼれて、流れ落ちた。もうどれがボイドか、水なのか、血なのかわからない。
ユージーンは立ち上がる。
「“また”か。またこうなったのか」
傷は癒えたというのに、足元がふらついている。
「いいだろう。何度でもやり直してやる。だが貴様は、貴様だけはいらない。貴様のボイドを彼女の一部にしてやるものか。ここで、塵となり消えてなくなれ」
ユージーンは、自分の左目に腕を突っ込む。
目から引きずり出したのは、黒く星々の光を秘めた刀。
振るわれる斬撃に、宇宙の闇が見えた。
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