<第一章:後天性創作思想【執着/終着】症候群>【10】


【10】


 生命を冒涜した化け物だった。

 全長12メートルの赤い触手の群れ。似たモノをあげるならイソギンチャクだろうか。

 その触手の至る所には、目があり、サメの歯があり、緑色の体液を吐き出す穴がある。そして先端には、鋭い銛が見え隠れしていた。

 腐りきった果物のような、ドロドロの甘ったるい匂いが漂う。

 聞こえるのは、歯ぎしりに似た骨の軋み、ベタついた体液の滴り、ギュロギュロと規則性なく周囲を見つめる眼球の動き。

 視覚、聴覚、嗅覚の全てを不快にする生き物だ。加えて生理的な嫌悪感も湧く。この触手の群れに比べたら、等身大のゴキブリの方がマシに思える。

 今すぐ焼き払いたい。

 灰すら残さず消し去りたい。

 同じ空気を吸うのも嫌だ。

 一人の人間として、こいつの存在が許せん。

『口が見当たりませんが?』

 ボロが触手を観察しながら一言漏らす。

「ふっふ~ボロちゃん良いところに気付きました。胃のような消化器官は弱点にもなるし、スペースの無駄! 故に、消化液を常に分泌させて、歯で肉を削ると同時に、各所にある穴で吸い込み、栄養を血にして全身に巡らせるのです。うーん、理想的な食事方法じゃ」

『なるほど、滅茶苦茶に見えて合理的な部分もあるのですね』

 完全に化け物の食事方法である。

 ところで、

「おい、ササ。サメ要素はどこいった?」

「あるよ。あの触手一本一本に、丹精に、丁寧に、愛情深く、サメを練り込みました。さながら、カマボコのように」

「止めろ。カマボコ食えなくなるだろうが」

 こんな、デス・カマボコあってたまるか。

「いやぁ、ササさん気付いちゃったね。一皮むけちゃったね。サメは姿形じゃない。魂さえサメなら、それはサメなんだって。なんなら、サメが出てこなくてもサメなんだって」

「まるで意味がわからん」

「あ、ちなみに、ビキニとチェーンソーは余ったので、キャロラインちゃんに装備させました」

「グーググー」

 ビキニ姿のキャロラインが、チェーンソーを掲げる。

 丸っこいサメボディにビキニとは、なんともシュールな。

「サメは自由だァー!」

 ササは、深夜のテンションで両手を掲げた。

「ジェァァアアアアアアアアアア!」

 呼応するように触手が雄叫びを上げる。

 ギュルっとその目が一斉に俺を見た。

 冷や汗が出た。

「おい、ササ。当たり前のことを聞くが、その化け物コントロールはできているんだろうな?」

「当たり前じゃーん。神は自分に似せて人を作ったように、ササさんは神のようなサメを作ったんですぞ。つまり、我は神の母ぞ?」

「いや、お前『自由』って言ったよな? あれは発想の自由という意味で、化け物が自由って意味じゃないと、今すぐそいつに言い聞かせろ。命じろ」

 ボイドを繰る上で、大事なのは心と言葉だ。

 神と言えば神となり、悪魔と言えば悪魔となるのがボイドだ。冗談でも、『自由』なんて言ってはいけない。

「はいはい、ヒリュー君は窮屈だなぁ。えーと名前はどうしようか。暗黒カマボコ? シャーク・デス・カマボコ?」

 うわっ、俺こいつと似た感性かもしれない。

「キングシャークテンタクルズ、恐怖・毒サメ触手とかとか、うーん可愛さも欲しいかなぁ。皆さんご意見は!?」

 ササに言われ。

 ボロは、

『創造の廃棄物』

 キヌカは、

「化け物の死体」

 と、秀逸なネーミングが出たので俺は適当に、

「腐肉」

 と言った。

「っはぁ~皆さんネーミングセンス無さすぎですねぇ」

 これはアレだな。

 決まっていたが、マウントとりたいから意見聞いたやつだな。

「シャークと触手で、シャクシュ! はい、これで決まり。秀逸で賞いただき!」

「あーはいはい、それでいいよ。さっさと命じてコントロールしろ」

 さっきから触手の動きが怪しい。爆発しそうに震えている。

「シャクシュちゃん、お手」

 ササは触手に向かって手を差し出し、叩き潰された。

「なっ!?」

 触手の一本が俺に迫る。

 折れた剣で受けるも、右膝に激痛が走り体勢を崩す。更にもう一本触手が迫る。崩れた体勢では、防ぐ暇が――――――

「ッ、ユルル!」

 咄嗟に呼んで、いないことに気付く。

「マズッ」

 顔面に迫る触手の銛が見えた。

 だが、触手は落雷に叩き潰された。

 違う。

 キヌカに踏み付けられていた。

 彼女の動きは影すら見えなかった。人間の形がしていい速度じゃない。

「ジュァァァァァァアアア!」

 触手が吠えた。

「ウギャァアアアアア! これネバネバする気持ち悪いぃぃぃぃいいい!」

 キヌカは悲鳴を上げた。

「ヘル・イーター、天使予報!」

 俺も声を張り上げ、左腕から携帯ラジオの巻き付いた鉄杖を取り出す。

「キャロライン! 扉を閉めろ!」

「グ? グー!」

 キャロラインが扉を押す。閉まる扉の間に鉄杖を投擲した。

 空気が湿る。

 雹が振り、激しい雷雨と吹雪が巻き起こる。

「キヌカ、もうちょい触手を抑えてくれ!」

「うぎゃー!」

 凄い顔で、キヌカは暴れる触手を踏み付け続ける。

 俺は駆けて、キャロラインと共に扉を押して閉めた。扉に挟まれた触手が、ド汚い音を上げて千切れる。

「飛龍! これまだ動いてるんだけど!」

 キヌカの元に駆け寄り、片膝をついてビチビチと動く触手に剣を突き刺す。何度も何度も、動かなくなるまで突き刺した。

 滅茶苦茶な耐久力だ。

「うげっ」

 触手の体液で汚れた剣を消す。だだ甘い匂いが全身に染みつきそうだ。

「お風呂! シャワーどこ! 無理無理、絶対に無理! 死ぬ! 心が死ぬ!」

 下半身がベトベトになったキヌカは、泣き叫ぶ。

 人間らしい反応でなんか安心した。

『分泌液の酸性は、そこまで高くないようですね。衣服やボイドには、全く効果がないようです』

「そんなのはどうでもいいから、シャワーはどこ!? もう川でもいいから!」

『そこの扉の先、物資保管の奥にシャワー室があります』

 ボロの指した先にキヌカは駆けて行った。

 触手を閉じ込めた扉は霜が生え、白く凍結して固まる。周囲には冷気が漂っていた。これで触手の活動は、しばらくは封じたはずだ。

「びっくりしたぁ、サメ好きじゃなければ即死だった」

「嘘だろ」

 叩き潰されたササが起き上がる。

 俺でも、あんな一撃をくらったら死ぬぞ。なんでこいつ無事なんだ?

「グー!」

 キャロラインが、ササの体をまさぐった。

「うきゃきゃきゃ、キャロラインちゃん。くすぐったいよ」

「お前、本当に無事なのか?」

 俺はササに近付き、ギリースーツの上を脱がす。

 ブルンブルン、と大きな胸が弾んだ。

「キャー! ヒリューさんのエッチー!」

 肌には傷一つもなく、血の一滴も流れていない。眼鏡も無傷だ。

「何かやったのか? 他にボイドが」

「んふふ、ひみちゅ」

 黙ってさえいれば、容姿だけは文句ないのだが、なんでこんな中身なのやら。

 それはそうと、

「おい、お前のサメ使えねぇじゃないか」

「性能は注文通りですけど! 間違いなく猿は倒せますけど!?」

「基本がなってねぇだろ! 俺らを襲ってきたんだぞ。人間も猿とか言わないよな!?」

「まあ、たぶん、人間と猿の違いはわかってないと思いますけど、なにか?」

「“なにか?”じゃねぇよ! 一番大事なところだぞ! 自分のボイドに襲われるとか下の下だ!」

「ササさんが三流クリエイターですと!?」

「Z級だ」

「Z級は誉め言葉でしょ。何言ってんの?」

 話が通じない。

 無駄に綺麗で大きい乳を揉みしだいてやろうか?

『まあまあ、飛龍さん。確かに造物主に襲い掛かるとは愚かの極み。それで神を名乗ろうとは笑止千万。けれども、あの触手の適応能力だけは目を見張るものがあります。扉の向こうをスキャンしましたが、全身が凍結しているのにも関わらず、生命活動は続き、しかも適応しつつあります。このままだと、14時間程度で極低温の世界にも完全適応するでしょう。育て方次第では、新たな悪性新生物大災害となります』

「新しいエリンギはいらん」

 またあんなのと戦うとか、冗談じゃない。

「エリンギ? 食べるの?」

「こっちの話だ。お前は関係ない」

 ササにエリンギの説明をしたら、サメで再現されそうだ。そんなことしたら、こいつを殺すしかない。

「ケチー、ケチー、サメ友じゃん。話してよ~話してよ~おっぱい触らせてあげるからさぁ~」

 乳を見せびらかして、ササは俺を誘惑する。

 驚くほど何の感情も湧かなかった。無、そのものである。

 とはいえ、こんな姿をキヌカに見られたら困る。ギリースーツを被せてササのチチを隠す。

 何も感じないなら、揉んでも良かった気もする。

「いやいや」

 キヌカがいるのに、何を考えているのやら。本当に何の感情もないよな?

「で、ボロ。あの触手は使えるってことだな?」

『使えます。問題があるとすれば、猿を倒した後ですね』

「ああ、そっちか」

 適応に進化と、ますますエリンギを思い出す。

「ユージーンの後に、触手と戦うのはしんどいな。ササ、触手に弱点はあるんだよな?」

「えー言わなきゃダメー?」

「サメ友とか言っといて隠すな」

「エリンギが何なのか教えてくれたら、おせーてあげる」

 こいつはホント、地雷をわざと踏んでるだろ。

「おしえてよー、おしえてよー」

「教えたら、追加のサメ作るか?」

「え、追加? 猿相手なら触手ちゃんでオーケーよ?」

 シャクシュという名前はどこいった?

「ユージーン戦用のサメだ。足が思ったよりも良くない。一人が厳しい」

「ぷっ、あんだけイキってて足痛いから弱気とか、ぷぷぷっ」

 相手にするだけカロリーの無駄だ。

 足元のボロに話しかける。

「ボロ、物資に痛み止めはあるよな?」

『ありますが、あなたの体には効果薄ですよ』

「過剰摂取して戦うさ」

『いや、そういう問題ではなくてオーバードーズで死にますよ』

「気合でなんとかする、前もしたし」

『前とは?』

「黒峰と戦った時だ。データないのか?」

『あなたの投薬状況は記録から消されました。破損もしくは、封印されたのでしょう。会社にとって都合の悪い薬を飲んだのですね』

「なんだそりゃ」

『社内政治という、愚かな共食いです』

「黒峰ってなに? 山? 標高高いの?」

「鬱陶しい」

 ササが妙に絡んでくる。

 背中に抱き着き、物理的に。

 絶対、乳が武器だって気付いた絡み方だ。これを即引き剝がせないとは、もしかして俺、女に弱いのか? 敵意と恐怖しか向けられたことがなかったので、気付かなかった。

「エリンギは」

「あ、そっち」

「そっちだ」

 今は男女の話はどうでもいい。

 エリンギの話をして気を紛らわせよう。

「まあ、一緒にボイドと戦った仲だ」

「なるほど、そのエリンギちゃんもサメ友なのね」

「あいつがサメ好きか知らんが、最終的に裏切ったから殺した」

 サメは好きそうな気もする。

「どんな裏切りよ?」

「キヌカを複製した」

「それのどこがダメなの?」

「は? 当たり前だろ。自分とそっくりな存在を勝手に作られて喜ぶ馬鹿はいない。複製なんて、個人を踏みにじる行為だ。悪趣味な侮辱だぞ」

「でも、そのエリンギちゃんってキヌカ師匠のこと好きだったんでしょ? 嫌いな人を真似して作ったりしないもん」

「そんな好意が許されるわけあるか。俺らは人間だぞ? 命は一個だし、換えはきかない。複製だなんて許されるか」

「でもでも、キヌカ師匠が死んでたら、そのエリンギちゃんに複製作ってもらったよね?」

「………………ねぇよ」

「この返事の間は嘘の間ですねぇ」

「黙ってろ」

 つい、ササを背負い投げする。

 地面に叩き付ける寸前、正気に戻って止めた。

「背筋がヒュンってなった。もう一回やって」

「やるか馬鹿。話したからさっさとサメ作れ」

「しょうがないなー、ヒリューくんは。でもでもでも、人をさ。………あれれ?」

 ササは急にしゃがみ込む。

「どうした?」

 変な投げ方で捻ったかな?

「ササさん、忘れてたことを思い出しそうな気がして、やっぱり忘れちった。あ、サメ。サメ作らなきゃ。どんなサメだっけ?」

 ササの態度に、無機質で乾いたものを感じた。

 こいつもしかして………いや、そんなことはないか。

「少し休め。ボロ時間は?」

『睡眠を挟む猶予はあります』

「てことだ。寝ろ。寝て起きたら、サメを作れ」

「んーそっか。ササさん疲れてるのね、寝る!」

 ササも物資部屋に消えた。

 流石に、凍った工房で触手と一緒に寝ないようだ。

「ボロ、一つ思い付いた」

『なんですか?』

「ユージーンの死角かつ、猿をまとめてやれる場所。一つあるよな。目の前に」

 凍った重たい扉を見る。

『なるほど、それは盲点でした。しかし、協力者の居住地ですよ? 関係に支障をきたすのでは?』

「また作ればいいだろ」

 ユージーンを排除したら、好きな場所に好きなだけ。

『確かに。作り直しができるなら、作ればいいですね。人間と違って』

「なんだ?」

 ボロは、妙な含みを匂わせる。

『人間も大変だなぁーってことです。深い意味はありません』

「そうか」

 本当に意味はないよな?

「あ、触手の弱点聞くの忘れてた」

 あるんだよな? 弱点。

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