<第一章:後天性創作思想【執着/終着】症候群>【07】


【07】


 瞳孔のない緑色の瞳だった。

 人の瞳ではない。

 宝石の瞳だ。

 深いグリーンの輝きを覗き込むと、その奥に虹色の煌きが見えた。

「見えているか?」

 目の前で指を振ると、眼球が指を追う。視力はあるようだ。

「キヌカ?」

「ア、ア」

 キヌカが口を開いた。小さい口だ。鋭くもない普通の歯が覗く。

 腕が俺の首に回された。

「………………」

 首筋を噛まれる。

 剣を逆手に構えた。

「そうか」

 手足で済むならそれで。

 駄目なら、全てか。

「大丈夫だ、キヌカ。必ず戻してやる。駄目なら、あいつをぶっ殺したら死んでやる」

 だから今は、

「ウッソー」

 手を離したキヌカは、特に変わりない表情で笑う。

 脳が止まり、心臓が凍る。脳髄のどこかがメギッと音を立てた。

「………………………………」

「あれ怒った?」

 目は宝石、手足は人形。だが、中身は変わってない。

「変わってないのか?」

「変わった? 何が? って、何この手足。うわ髪。黒ッ長ッ。あいつこんなにしたの!? 信じられないんだけど!」

 キヌカは、自分の髪を摘まんで驚く。

「キヌカ、だよな?」

「当たり前でしょ。他に誰がいるの?」

「ふぅ~」

 深呼吸をすると、やり場のない怒りが湧いた。

「ちょ、どこ触って、きゃぁぁぁぁ!」

 滅茶苦茶、キヌカの尻を揉んでやった。

 ぶん殴られた。

 硬い拳の良いパンチだった。

 キヌカは立ち上がり、少しよろめく。

「いきなり何すんのよ!」

「前もこんなことがあったが、お前の冗談は心臓に良くないッ!」

「それが人のお尻を揉みしだく理由!?」

「尻で文句言うな」

 尻は変わらず柔らかく、ほどよい大きさだった。

「大きいの気にしてんのよ!」

「俺は気にしてない」

 気に入ってる。


「あのー」


 ササが遠慮がちに声をかけてきた。

「ササさん、ツッコミは趣味じゃないけど。イチャイチャした後、エッチしそうな流れだったから一応止めるね」

「チッ」

「露骨な舌打ち止めてもらっていいですか!」

 自然と口が鳴ってしまった。

「飛龍、これ誰? 新しいボイド?」

「一応、人間だ」

 そうキヌカに答えた。

 ササは、再びギリースーツを着込んでいた。草人間のボイドに見えなくもない。

「おい、ササ。それ脱いで挨拶しろ」

「しょうがないなー」

 ササは、ギリースーツをスポンと脱ぐ。中はまた裸だ。

 キヌカに目を塞がれた。

「ちょっ、服着て!」

「眼鏡かけてますけど?」

「眼鏡は服じゃない」

「えっ? 眼鏡は服です」

「えっ? えっ?」

「えっ?」

 二人の意思疎通は上手くいっていないようだ。

 ちなみにキヌカも、白いボロ布一枚という裸に近い姿である。

「気にするな。ただのおかしい女だ」

「サメ狂いという意味なら、誉め言葉ね」

 キヌカの手が離れた。

 ギリースーツを着直したササが目の前にいる。

「飛龍。この人、ちょっとわからない」

「理解しなくていい慣れてくれ」

 ササは、キヌカに手を差し出し言う。

「ササさんは、ササさんです。趣味はサメ。特技もサメ。好きなのもサメ。よろしくね! お人形さん!」

「………………キヌカです。よろしく」

 ギクシャクと、キヌカはササと握手を交わした。

 なんか、少し気が抜けた。

「い、いだっいだだだだ、握力! 握力すごい!」

「あ、ごめん。わざと」

「わざとなら仕方ないね!」

 二人の握手はすぐ離れる。

 あれ? キヌカって、俺と比べたら人当たりは良いはずだが、ササみたいなのは苦手か?

「えーと、ナナさん?」

「ササさんです」

 キヌカは俺の膝に座り、体重を預けてくる。

「飛龍とどういう関係?」

「あえて言うなら、サメ仲間ですねぇ。彼が出して、ササさんが作るみたいな? これって子作りじゃん」

「そんなわけあるか」

 冗談じゃない。

「えーでも、二人で作ったじゃん………あれ? そういえば、あの子どこ?」

「ミンチになって死んだ」

「あんまりでしょ! 二人の子供を大切にして!」

「誰が子供だ」

「認知してよ!」

「しねぇよ、犬だぞ」

「サメよ!」


「はいはい」


 ゴッゴッとキヌカは手を叩く。堅い人形の手なので、物騒な音だ。

「ええーと、ワニさん?」

「サメです」

「ササだろ」

 自分の名前までサメにするな。

「アタシと飛龍は、長い付き合いなのよね。そこに割り込むってなると、あんまり面白くないかも」

「ほほーう。どのくらいで?」

「に、二ヶ月」

「二ヶ月は微妙ではないでしょうか?」

「長いわよ。毎日毎時間、一緒にいるのよ。二ヶ月でも十年分くらい一緒にいるけど」

 でしょ? とキヌカに睨まれたので頷く。

 理屈はわからんが、とりあえず頷いておこう。

「ははーん。ということは、やっぱりアレですか。お二人はオスとメスの関係なのですね」

「そうだけど」

 記憶にないぞ。

「キヌカ先生! 後学とサメのために教えて頂きたいのですが、どういうプレイを!?」

「ぷ、プレイって、そのあの、ご飯作って………」

「ご飯ならササさんも作りましたが?」

「あ゛?」

 キヌカ怖ッ。

「他には他には?」

「膝枕して、寝てる時に耳を………まあ、そんなところ」

「そこ詳しく頼む」

「飛龍はちょっと黙ってて」

 大事だろ、そこ。

「膝枕して、寝てる時に耳で×××して、メモメモ」

 ササはメモっていた。

「ちなみに先生、ササさんがヒリューに同じことするのはありですか?」

「ぶっ殺すわよ」

 もしかしてこれ、嫉妬か?

 意外や意外。キヌカの意外な一面が見れた。悪い気分じゃない。

『円滑なコミュニケーションがなされたということで――――――』

 ボロは、俺たちの間に入る。

『飛龍さん、いい加減治療しないと死にますよ』

「飛龍、治療って?」

 キヌカが俺を見て呟いた。

「ああ、すっかり忘れていた。傷が開い………………」

 キヌカのまとったボロ布の一部が、真っ赤に染まっていた。

 腹を触ると濡れた感触。制服とシャツに染み込んだ血が、手にべったりと付着する。

「ちょっ凄い血!」

「あれ」

 血の気が失せる。

 傷が開いていたのはわかっていたが、こんなに出血していたとは全く気が付かなかった。

『頑丈とはいえ、あなたはまだ血を流したら死ぬ存在です。助かったら肝に銘じてください。全く、何度言っても聞きやしない』

 視界が急激に重く暗くなる。

 今度こそ、いい加減、本当に、駄目かもしれない。




 恥ずかしながら生きていた。

 また上着とシャツが脱がされていた。腹回りの包帯が新しくなっている。今回は、ミイラにならずにすんだようだ。

 後頭部には枕替わりに丸めた俺の上着があった。

 空気は静かである。

 少し薄暗くもある。

 そういえば、照明器具は見当たらないが、明かりの調整はどうしているんだ?

「まだ寝てて」

「すぐ寝る」

 キヌカは、俺の右手を握って隣で寝ていた。

 お互い硬いコンクリートの上だというのに平気で眠れる。雨風しのげ、寒くないなら十分快適なのだ。

「一個だけいいか?」

「何?」

「なんで俺の手をとらなかった?」

「今とってるじゃない」

「落ちそうになった時だ」

 あれがなかったら、キヌカは“こう”なっていなかった。

「それはその、あの時はそうした方が、あんたは助かるかなって。アタシ足手まといだし」

「助からねぇよ」

「ごめんって」

「次は絶対とれよ」

「わかったわかった」

 あやしい返事だ。

「俺の手をとって『一緒に死のう』って言ったのはお前だろ」

「あれはボイドに影響されたから」

「じゃあ、一緒に死んでくれ」

「プロポーズ?」

「こんな色気の欠片もないプロポーズあるか?」

「ここにあるじゃないの?」

 言葉の意図が全然違う。

「お前を片手で担いででも戦える。だから、勝手にどっか行くな」

「ん~」

 キヌカは唸って言う。

「飛龍が無事なら、後でアタシを助けてくれるわけだし。やっぱり次も――――――」

「はあ」

 面倒になって、キヌカを抱き寄せ黙らせる。

「わかった。キヌカの好きなようにしろ。でも次は、離さないからな」

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