<第一章:後天性創作思想【執着/終着】症候群>【05】



【05】


「ほら、できたわよー」

 ササに蹴られて俺は起きた。

 真っ白い犬に顔を舐められる。毛のない小型犬だ。ラッセルテリアに似ている。ただ、目が犬と違う。人形のような無感情なサメの瞳だ。背ビレもある。

「これぞ、サメの嗅覚と、犬の嗅覚を併せ持った全く新し………………いや、そもそもサメって嗅覚鋭いじゃん! 犬要素いる?」

「作る前に気付けよ。まあ、単純に嗅覚が二倍になってんじゃねぇのか?」

「それなら鼻増やせば簡単じゃん」

「知らねぇよ」

 そっちで気付け。

「待って待って、思い付いちゃった」

「はあ」

 ササはまた、どうでもいいことを思い付いたようだ。

「サメの頭を二つにしたら火力も二倍! これは単純かつ新しいでしょ!」

「あるぞ。しかも、頭六つまである」

「六つも頭あったら動けないでしょ? 馬鹿なの?」

「知らねぇって」

 こいつとのくだらない話はどうでもいい。

「ボロ、俺は何時間寝ていた?」

『6時間と35分です』

 痛みは大分ましになっていた。

 回復している、はず。

『飛龍さん、流石にまだ早いかと』

「問題ない」

 腹と右脚以外の邪魔な包帯を解いていく。

「ぐっ」

 何とか立ち上がれたが、右膝に激痛が走った。

 歯を食いしばって柔軟してみる。膝が折れそうなほど痛い。だが動く。鈍いが動く。走ることはできないが、歩くことは可能だ。

 腹の傷も痛むが、膝と比べたら三段階は低い痛み。

「動けるは動ける」

『呆れた回復力ですね。しかし、戦闘は無理かと』

「かもな」

 この状態で剣を振ろうものなら傷が開く。下手したら“こぼれて”“折れる”。今できるのは、牛歩で移動するくらいか。

 十分だ。

「ササ、俺の上着は?」

 包帯を解くと、上半身は裸だった。

「あんたの服? 汚かったから捨てた」

 傷が治ったら覚えとけ。

「グー」

「ちょ、キャロラインちゃん何するの!?」

 突然現れたキャロラインが、ササのギリースーツを脱がす。

 中から出てきたのは、デカイ丸眼鏡をかけた胸の大きい女だった。

 後ろでまとめたボリュームのある灰色の髪。ギザギザの歯。すっと通った鼻梁。アホみたいな言動に反して目付きは鋭く、黙っていれば知的な美女に見える。

 後、全裸だ。

「ギギャー! 発情される! 襲われるぅぅぅ!」

 品性の欠片もない悲鳴が響く。

 ほんと一生黙ってろ。

「安心しろ。お前より胸の大きなボイドがいたが、俺は耐えた」

「胸の大きさで女判断するとか差別ッ!」

「はいはい」

 面倒くさい。

「グー」

 と、キャロラインが脱がしたてギリースーツを俺に渡す。

「着ろと?」

「グー」

「他の服ないのか?」

 他人の匂いがあるもんを着たくない。

「失礼ね! 猿避けになるスーツなのよ! 作るの大変だったんだから!」

 ササが仁王立ちで言う。羞恥心を忘れるのが早い女だ。

「仕方ない」

 そんな機能があるなら着るしかない。

 ギリースーツに袖を通す。甘ったるい知らない女の匂い。決して興奮するわけではないが、複雑な気分になる。

 ただ、着心地は良い。通気性も良い。思ったより視界も悪くない。

「気に入った」

「うわ、キモ」

 相手にするな、無駄に体力を使うだけだ。

「ボロ、キヌカの匂いがする物あるよな?」

『前に採取した血液サンプルなら』

「そこの犬に嗅がせろ」

「シャークドッグよ」

「名前なんてなんでもいいだろ」

「大事! 特に大事! 全てと言っても過言ではない!」

「はいはいはいはい、あーはいはい」

 うるさいササを適当にあしらう。

 ボロは収納していた血液サンプルを取り出し、犬に嗅がせた。

 犬は屈んで短い尻尾を振ると、『グァン』と吠えた。

「よし、追え」

 犬は階段に向かう。

 俺も続く。

「死んでもいいけど。スーツは返してよ」

 適当に手を振ってササに答えた。

 ボロは、カサカサと俺の後ろに続く。

 階段を上り外に出ると、暗い砂の世界が広がる。

 空には、淡く光る砂の天井。地の砂は、様々な建造物を飲み込んでいた。今俺たちが出てきたコンクリートの箱。遊園地に、スタジアム、巨大なモニュメント、神社、教会、寺院、高架道路や、コンビニのような物まである。

 その中で、一際目立つ高層ビルがあった。ただ一つだけ砂に埋もれず、天井に近付く大きさ。

 あそこが奴の根城だろう。

「グァン!」

 犬が砂を駆ける。

 のろのろと俺は追う。

『大丈夫ですか?』

「正直………思ったよりも結構、いやかなり………………しんど痛い」

 柔らかい砂を踏むだけで、痛みが全身を駆け巡る。錆びかけた時よりも痛みが酷い。

『ですから、まだ歩けるほど回復していませんて。愚かなことしますねぇ』

「歩きながら治す」

『今週の非科学的・オブ・ザ・イヤーをあげます』

 ボロからよくわからん賞を貰った。

 犬が振り返り、自分の短い尻尾を追い回しながら俺を待っている。

 俺が近付くと犬は走り出す。

 賢い。一定距離以上、離れないようだ。

「造物主と違って利口だ」

『失礼かと。一応、協力関係ですので敬意は持ちましょう』

 敬意ねぇ。

「もしかしたら、ササは賢過ぎてバカな俺にはアホに見えるだけかもしれない」

『それはないです』

「お前も失礼だろ」

『事実を言っただけです』

「時に事実は、一番人間を………………止めておくか」

 自分に返ってきそうな言葉を吐きかけて止めた。

 犬を追う。

 重い足が砂に沈む。痛みで重いのか、心が重いのか、どっちなのかは考えないようにする。この後の事実というものが、俺にどう圧し掛かるのか理解できていない。

 確かなのは、

 ユージーンを殺すこと。

 マザーエッグを喰うこと。

 この二つだけは何があっても揺るがない。絶対、必ず、死んでも成し遂げる。

 怒れ。

 今はそれだけが、痛みを和らげ足を進ませる。

 暗く広大な砂漠を犬と進む。

 感情を一つにして他の何も頭に入れない。ただ追う。ただ歩く。怒り、怒りながら脳髄を燃やす。

 段々と痛みは麻痺していった。

 少しずつだが力が戻る。

 ただただ歩き、そうして、目的地が見えてきた。

『いけませんね』

「マズいな」

 犬は高層ビルに向かっている。

 この状態で戦うのは、流石に分が悪い。まだユージーンのボイドの対策案すらない。

 しかしまあ、

「パーッとやるのもいいか」

『良くないです。自暴自棄にならないでください』

「なってないぞ。俺はいつもこうだ」

『そこは否定しません』

「だろ? だからこのまま戦うのも一興だ」

 出たとこ勝負も悪くない。

『冗談はさておき、発見されませんね。猿にもアルファクラスにも』

「冗談じゃないんだが?」

『ナイスジョーク。このスーツなら敵拠点に乗り込める可能性もあります』

 本気なんだが?

『軽微なボイド反応を検知、少しお待ちを』

 ボロは足を止め、周囲を見回す。

 犬も止まり、砂の上を転がりながら待っている。

 ボロは砂からペットボトルを掘り出した。

 中身は、土とエリンギの若芽。キヌカが持っていた物だ。

「他には?」

『これだけのようです』

 ボロから受け取ったペットボトルを腰に下げる。

「何故、これだけ残っていた?」

 これがこの辺りに落下したのなら、キヌカも近くにいるはずだ。

 血の一滴すらないのは違和感がある。

『ボイドとしての反応が小さすぎたのでしょう。キヌカさんがいないのは、何者かに、あるいは何かに連れ去られた可能性が高いかと』

 犬が小さく吠える。

 先に進むぞと尻尾を振っていた。

「行くぞ」

 また重たくなった足を引きずり進む。

 ほぼ無心で敵の根城に向かった。

 思考に幾つかの空白が生まれ、その間も足は動き、高層ビルは目の前だ。

 猿は出てこない。

 ユージーンにも見つかっていない。

 スーツのおかげだが、心の片隅ではこれを脱いで、ビルを焼き尽くしてやりたいと思っている。心のどこかでは、もう絶望が見えていた。

 入口のガラスは割れて開けっ放しだ。犬は臆することなく入り込む。俺も臆することなく続く。

 ロビーは荒れ果てていた。

 何かが争った跡がある。弾痕や、すり鉢の陥没穴、大きな爪痕、どす黒く乾いた血痕もあった。

『飛龍さん、この後のプランは?』

「だから、特に何も。敵がいたら殺す。全部殺す。不愉快な奴も全部だ。全部、何もかも、皆殺しだ」

『その方法を議論すべきかと………』

「もう遅い」

 敵地のど真ん中で話すことはない。出たとこ勝負である。

 犬は、ロビーの隅にあるエレベーターの前にいた。追い付いて、ボタンを押すと扉が開く。

「上か? 下か?」

「グァン」

 犬は飛び跳ねて『B5』のボタンを押した。器用である。

 エレベーターは地下に降りる。

『飛龍さん、嫌な予感がします』

「今週の非科学的・オブ・ザ・イヤーだな」

 この期に及んで、ロボが予感とか笑える。

『ボイドは科学では推し量れないので、曖昧なデータが時には指針となるのです』

「ってことは、地下に何かあるのか?」

『多数のボイド反応があります。小さいものから大きいものまで、様々と』

 ポーンと音がして、エレベーターの扉が開く。

 真っ赤な廊下があった。

 隅から隅まで、余すことなく真紅の廊下だ。

 異様だが、ここまで来て竦む理由はない。犬と一緒に進む。

 廊下を抜けると、牢屋が広がっていた。

 呻き声と、泣き声や、鳴き声がする。

 進みながら牢を覗く。

 長毛に覆われた獣がいた。

 手足が生えた冷蔵庫があった。

 ガラスで造られたカバがいた。

 人型になった有刺鉄線があった。

 みっちりと詰まった肉の塊があった。

 ただのタバスコの瓶が置いてあった。

 窓枠が描かれた絵画があった。

 動いているペンキの落書きがあった。

 体の半分が、カラスの群れになって崩れている“人間のような”ものがいた。

「ボロ、これ全部ボイドか?」

 理由はわからない。何故だか、違和感がある。

『反応上ではボイドですが、数値が安定しません』

「安定?」

『未熟というべきか、形態が定まっていないようです。まるで、誕生したてのような』

 犬が吠える。

 グァングァンと、一つの牢の前で吠える。

 鮮血の匂いがした。

 牢にはバケツが並んでおり、中には人体のパーツが入っている。小さくて細い手足、染めた金髪と頭皮、血に浮かぶ黒と赤の目玉、肉と骨の欠片。

 それと、人形が椅子に腰かけていた。

 球体関節人形だ。

 ボロ布をまとい、片方の乳房が露出している。唇は赤く、髪は長く漆黒、目は閉じていた。

 キヌカに、そっくりな人形が眠っていた。

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