ヘル・シーカー3 水槽のマザーエッグ
<序章>
<序章>
歩く。
歩く。
歩く。
歩いた。
錆びた鉄の上を歩いた。
錆びた大地を歩いた。
広大な図書館を歩き、
草原を踏み締め、
途方もない闇を退けた。
光を潜り、次にたどり着いた場所は、煌びやかな水晶の谷。
そこを歩く。
二人と一匹と一体で歩く。
俺がヘル・シーカーとして骨髄塔を潜り始めて、二ヶ月が過ぎていた。その間、様々なことが起こった。
戦い殺し、ボイドを壊し、利用し、深淵を垣間見た。束の間だが、平穏というものも感じた。外では得難い体験と感情を味わった。
だがしかし、全体的に見れば大半の時間は歩いている。
ただただ、歩いて進んでいる。
うんざりして楽しむように精神を切り替えた後、またうんざりして現実逃避するくらいには歩いて、歩いて、歩き続けて、歩いていた。
そうして歩き続け、ようやく見飽きた水晶の谷を越えた。
次に広がるのは、星も月もない暗い砂漠。
気温は暑からず寒からずの適温。砂漠なのに空気は乾いていない。砂がほのかに暖かい気がする。空に光はなく漆黒、なのだが空以外はよく見える。砂の地平線まではっきりと見える。
よくわからない感覚が狂う変な暗闇だ。
「休憩にしよう」
俺が言うと、少し後ろを歩いていたキヌカが大の字で倒れ込む。
「疲れた。無理。寝る。飛龍………………靴脱がして」
「へぇへぇ」
疲労困憊で、指一つ動かせなさそうなキヌカの靴を脱がす。
「タイツも」
「………はいよ」
最近のキヌカは、疲れすぎて羞恥心が働いていない。
ただ歩くだけといっても、普通の人間がぶっ倒れる運動量だ。正直、俺も少ししんどい。しかも、慣れない野営ばかりで疲れは溜まる一方。
荷物持ちに使っている俺のボイド――――ユルルに二人して何度か乗ってはみたが、下半身が大蛇の巨体の女の背は、恐ろしく乗り心地が悪かった。とにかく酔う。頑丈が取り柄の俺でも一時間で酔った。
ユルルは、急に動きを止めたり、動いたりする。探知能力が高いため遠くのものに反応しているのだ。動物的な反射行動のようで、何度言っても止めやしない。それも酔う原因の一つだ。
色々と工夫したり、ソリを作って引かせてもみた。
結果は、俺たち二人は自分の足で歩いている。
コミュニケーションが出来ているといっても、所詮はボイドなのだ。人の意思とはかけ離れたことをする。その度にひっくり返ったり、吹っ飛ばされたりで、無理は無理と諦めることも大事だと学んだ。
「キヌカ、腰浮かせろ」
「んー」
釣り上げるようにタイツを脱がせた。こういうのは一気にやるに限る。チマチマやるから恥ずかしい。
湿ったタイツを砂の上に捨てた。
「ユルル、こっち来い!」
先に進んでいたユルルを呼び寄せる。彼女の背負ったバックパックを降ろし、水と食料。毛布を取り出す。
「ユルル~尻尾抱っこさせて~」
ユルルは、キヌカの傍に尻尾を寄せた。キヌカは、抱き枕の代わりの尻尾に抱き着く。その上から毛布をかけてやった。五分もたたず小さな寝息が響く。
移動中は暴走するユルルだが、俺やキヌカが休んでいる時は傍でジッとしている。元のボイドの『対象を守る』という習性が色濃く残っているからだろう。
俺のボイドで変成したとしても、元の性質までは変えられないのだ。
ボイドに詳しいボロ曰く。
『“毒を薄めて薬にする”というのが、あなたのボイドです。ただ、作用というより“何かの過程でそうなっている”可能性もありますが』
俺の左腕にある大口は、壊したボイドを変成して吐き出す。変性できない猛毒が一つだけあるが、大体はボロの言った通り“薬”として有効に作用した。
それだけならいい。
それだけでないから、最近の俺は足りない頭で考え込み、思い悩んでいる。
「ボロ、起きろ」
腰を下ろして、ベルトに引っ掛けたロボットの頭部を砂に置く。所々傷の入った銀色の装甲、円柱型の頭部、真ん中にある赤いランプが点灯してボロが言う。
『おはようございます。前回の起動から42時間が経過しました。周辺状況に何か変化は?』
「谷を超えた。今は変な砂漠地帯だ」
『観測開始。解放された空間ですね。上空に光源はなし。しかし砂に見える構成物質が発光しています。発光作用は不明。詳しい解析をご希望なら、私のメインボディを要請してください』
「高いからダメだって言っただろ」
こいつのボディは20億もする。
現在、俺の端末には35億あるが、使う気にはならない。
『旧式の戦闘機程度の価格で、人間と変わりない機体が手に入るのですよ? それはもう様々な用途に対応して、男性がウハウハなサービスも――――――』
「ユルルで間に合っている」
『生体かつ巨乳の素体となると………………プラス5億程度でいけますが?』
「間に合ってる」
ロボットうんぬん抜きにしても、中身がこいつじゃぁな。
「周辺はもういい。俺の腕を観ろ」
左腕のファスナーを開ける。そこには手の甲から肘にかけて、大きな口があった。
鋭利な歯並び、唇はなく剥き出しの歯茎は血のように赤い。
左腕で口元を隠す、という動作で出現していた大口だが、先の戦闘以降ずっと出現しっぱなしなのだ。合わせて、
『浸食範囲、3パーセント増加』
ボイドが広がりつつある。
「その前はなんだっけ?」
『前は5パーセント増加でした』
「侵食は、緩やかになってるってことか?」
『あくまでも表面上の観測です。内部がどうなっているのかは不明。最低でも血液検査が必要です』
「検査キットが必要なんだろ?」
『高価なものではありませんが?』
「高価なのは投下要請だ」
投下ポッドを要請するには、一時的に階級をあげなきゃならない。それに2億かかる。投下ポッドを一つ要請するには3億必要。もちろん、中身は別料金。
5億とかポンと支払えない。今ある金も何に消費されるか不明なのに。
いや、ただの貧乏性か。
『どのみち、水食糧は後10日分しかありません。投下要請は必要です』
「それまでに、フォーセップに到着できないか?」
『そういわれましても、私には何とも』
砂漠を見る。
果ても先も見えない。
「10日後に考えるか」
袖を戻して、話も戻す。
「このままボイドの浸食が広がったら、俺はどうなる?」
デカイ狼の姿がチラつく。
『次のステージに移行します』
「ステージ?」
誰かが、そんな言葉を使っていた気がする。
『ボイドの分類に用いられるSは、ステージの略です』
「おい、まて今の俺のボイドってS2だ。その次ってことはS3、自立したボイドだよな。俺がボイドになるってことか?」
『違います。ボイドがあなたになるのです』
「ん? どういうことだ?」
『ボイドで変化しようとも、あなたはあなたです。人間から外れたとしても、個人の存在が変化することはありません。………と思うのが大事だと、私の元所有者が言っていました』
「気休めじゃねぇか」
解決方法を言え。
『どの程度、浸食が進んだらステージが移行するのか不明ですので、現在できるのは“気にしない”ことかと』
「気にしないのは得意だが、今日明日にステージが進む可能性はないのか?」
『現在の浸食進行度を基準とし、尚且つ外的要因を無視した計算なら、早くて三ヶ月後、遅くて五ヶ月後となります』
「それまでに?」
『フォーセップに到着して医療サービスを購入、もしくは投下要請で検査キットと必要な抑制剤の入手を。後者は15億程度必要になりますので、お金を残しておきましょう』
「薬で抑制できるのか?」
『検査してみないと何とも言えませんが、可能性は高いです』
「これも10日後だな。フォーセップが見当たらないなら、水食糧と一緒に要請する。ボロ、お前も忘れないで言ってくれよ」
『仕方ないですねぇ。ではついでに、何度も言っていますが計画を立てましょう』
「ああアレか。決める必要あるか?」
これまでの経験で、言語化しなくても自然と体が動く気もする。
『旧システムでは、『落下問題』というのがありまして。崖から落ちそうな時、人間というのは二つしかない手で二つ以上のものを掴もうとします。結果、自分を支えることができず落ちてしまう』
「だから、優先順位を決めろってか?」
『いいえ、取捨選択です』
「違いがわからん」
『手にするより、手放すものを選ぶ方が、人間には困難で重要ということです』
「余計わからん」
『はいはい、始めますよ。飛龍さん、あなたは崖から落ちました。今ここにあるものも一緒に落ちています。二つ掴めます。何を掴みますか?』
「キヌカと………………ユルル?」
流石にユルルは重いか。いや、頑張ればいける。
『話聞いていました?』
「仕方ねぇなぁ。お前も足で蹴り上げてやるよ」
そもそも、腰に下げときゃ問題ない。
『崖の縁をあなたが掴まなければ、一緒に落ちますよね? 所詮、人間が守れるのは自分の身と、片手で掴めるものです』
「おかしいだろ」
『はい?』
「上手いこと着地すれば、崖から落ちても問題ない」
『………やだ、この人間頭がおかしい。それか馬鹿』
「なんだと、この野郎ッ」
廃棄処分するぞ。
『崖から落ちるというのは比喩であって、本当に落ちるわけではありません。例えば、左手のボイド、お金、自分の命、そしてあなたのパートナー。それらが落ちた時、どれを取り、どれを捨てるのか選ぶのです』
「最初からそう言えよ」
『こういう話、今回が初めてじゃないのですけどねぇ。なんであなたは、こう察しが悪いのか』
「大体、ありえないだろ。そんな一辺に、持ってる全部を天秤にかけなきゃいけない時なんか」
『ボイド相手に“ありえない”だけは“ありえない”ですね。全ての可能性を想定し、精査し、再現したとしても、覆す異常なのですよ』
「はいはい、そーですか」
面倒なので、わかったフリをしておこう。
「キヌカだ。次は自分の命」
『ボイドや、お金はいいと?』
「んまぁ、生きてさえいれば手に入れるチャンスはあるだろ」
『なるほど、300点くらいの答えですね』
高い。
だが、
「それ、何点満点中の得点だ?」
『五億兆満点中です』
「小学生か、お前」
『小学生より賢いに決まっているでしょ。何を言っているのですか?』
「頭痛くなってきた」
『寝ては?』
「はいはい、寝るよ」
水筒の水を一口飲んで、ユルルの尻尾を背に毛布を被った。こいつの鱗を撫でると心が落ち着く。女性の柔肌のように手に吸い付き、逆撫ですると砂のようにサラサラと滑る。撫でていると自然と眠りに落ちる極上の手触りだ。
「あ、すげー冴えた答えが思い付いた」
脳がリラックスしたおかげだろう、ひらめいた。
『なんですか?』
「“そもそも、崖に近付かない”どうだこれ? 五億兆点の答えだろ?」
我ながら冴え冴えの冴えだ。
『………崖が近付いてきたらどうしますか?』
「破壊する」
『………………お疲れのようですね。さっさとお休みください』
寝た。
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