<第二章:ソロモン・グランディ> 【21】


【21】


 大口を開けて飛びかかる。

 一口サイズの敵は、はしっこく噛み付きを躱す。生意気に槍で反撃してくるが、そんな小枝では傷一つ付かない。

 俺は、何度も何度も飛びかかる。

 獲物は、何度も何度も躱し刺す。

 炎のような激情が頭を支配していた。全てを食い殺したいという“煮え滾る呪い”。悪災が如く荒れ狂う。何もかもを飲み込むほどに暴れ回る。

 飢餓状態の獣が叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。

 喰らおうと狂う。

 幾度目かの無意味な攻防の後、獲物の左脚を喰らった。

 片足になり、獲物の動きは極端に鈍くなる。

 足りない。

 まるで足りない。

 血花を咲かす。

 右手を喰らった。

 左手も喰らった。

 残った片足だけで獲物は飛び跳ね、だがやがて力なく転がる。

 獲物は血を流していた。

 止めに動き、邪魔をされる。

 白いイカのような生き物だ。俺と同じような巨体だが、柔く脆く一噛みで殺す。

 偽物の味だ。

 更に邪魔が入る。同じようなイカと、俺の二倍はある樹木。

 どれも弱かった。

 避けない時点で、狩りにすらならない。

 5体のイカを噛み殺し、樹木に喰らい付き、爪で引き裂くと獲物が叫び声をあげた。断末魔のようにも聞こえる悲鳴だ。

 一瞬の沈黙、もう邪魔はないようだ。

 獲物を前足で押さえ付ける。

 頭を咥えた。

 ゆっくりと噛み砕いて殺してやる。こいつだけは、こいつだけは、絶対に許さない。許されないことをした。

「………………?」

 あれ? 何をしたんだっけ?

 まあ、いいか。

 じわじわと頭蓋を砕く感触を牙越しで味わっていると、また邪魔が入った。

「飛龍、なの?」

 小さいメスの人間だ。

 思考にノイズが走る。

 ぐちゃぐちゃに心が搔き乱される。

 食いたい、食いたくない。欲しい、だから欲しくない。守りたい、殺したい。矛盾する感情が、獣の精神では処理できない。

 やっと自由になれたのに、ついさっきまでの狩りの高揚が嘘のように冷める。

 戻れ、戻りたくない。考えろ、面倒だ。


 ――――――そう、面倒だ。


 思考するのが面倒になる。

 どうせ、食えば全て同じだ。

 獲物を捨て、メスを食おうと口を開けた。

「ウソでしょ? ッ、ユルル! ダメ!」

 またまた、邪魔が入る。

 今度は、半身が人間のメス蛇。手には廃材でできたような棍棒のボイド。

 こいつから先に喰ってやる。

 メス蛇が棍棒を振り上げた。馬鹿らしい。こんなボイドが、俺に通じるわけがない。

 鼻っ面を殴られた。

 ほら、傷一つ………………………宇宙が生まれた。

「い」

 声が出た。まるで人間のような声が。

「いっってぇぇぇええええええええええええええええええええええええええ!」

 痛みのビックバンが起こる。

 痛い痛い痛い痛い! 滅茶苦茶に痛い! 

 巨体をもんどりうって転がり回る。

 痛みが降り払えない。こびりついて離れない。激しい痛みの奔流が、この体では処理できない。膨らむ。痛みが膨らみ、脳も体も膨らむ。

 そして、限界に達した。

 破裂だ。

「ぶはぁっ!」

 俺は、巨体から放り出されて草原に落ちる。

 体にまとわりついた黒いガス状の物体を払う。冷たいのか熱いのか、よくわからない物質だ。粘着性はなく、犬のように体を震わせると霧散した。

「痛っっ」

 思い出したように、鼻が痛い。折れた痛み。

 触れて確かめる。無事だ。あのボイドの効果による痛み“だけ”だった。

 ぬるっとした気配が近付く。

 ユルルが、また棍棒を振り上げていた。

「止めろ! 戻った! 正気に戻った!」

「………………」

 棍棒は下げたが、ユルルは尻尾を振るう。

「なんっ!」

 腹を殴打された。くの字に体を曲げて新たな痛みに耐える。

 何だ、この急な暴力は。また操られたのか?

「飛龍!」

「ああ、キヌカ。俺、お前に何をしよ――――――」

 駆け寄る彼女を見て『あ、これはくるやつだ』と、一発もらう覚悟を決めた。

 が、抱き着かれる。

「!?」

 思考回路がショートした。

 予想外過ぎて何もかもがわからない。

「二度と、あんなのにならないでよ」

「りょ、りょかいした」

 壊れたロボットのように俺は頷く。改めると、人を抱き締めるのは勇気がいる行為だ。手に力が入らない。

 彼女の背後には、塵と化す獣の死骸があった。

 俺の心の奥底に潜んでいた巨大な狼。もう少しで、あれに取り込まれてボイド“そのもの”になるところだった。

「飛龍」

 一瞬忘れていた奴が、俺の名を呼ぶ。

「お前の負けだ」

「そうか、我の負けか」

 オリンギの状態は酷いものだ。頭部は半壊、両手、左脚は損失。胸には大穴。血まみれで、普通の人間なら五回は死んでいる出血量。

「これ、オリンギなの?」

「そうだ。可愛げの欠片もない姿だろ」

 キヌカが、オリンギに近付こうとする。

 やっと手が動いた。彼女を抱き留める。

「ねぇ、まだ人間になりたい?」

「難しい質問なのだ。仲間も、女も、人の我を守るために、人でないモノと化して死んだ。間違った選択だった。我は人にならず、最初から人でないモノとして飛龍と戦っていれば、これでは無意味か」

「そうよね」

 負けないがな。

「今はただ、飛龍が憎い。仲間と女を食い殺した飛龍が憎い。同じ目に合わせることは不可能だろうが、同じ目に合うように呪いながら………そうかそうなのか、我はそうやって死ぬのか」

 オリンギの血は止まらない。

 人間になったから死ぬのか、あの獣の爪や牙にボイドを破壊する作用があるのか、もしくは両方か。それよりもあの獣について、ダメだ。今考えたら気が散る。

「遺す言葉は、飛龍への恨み言でいいの? こいつ、そういうの全く気にしない人間よ。ご飯食べてお腹膨らんだら忘れると思う」

 事実だ。

 よく観察してらっしゃる。

「だが憎くて仕方ない。仕方ないのだ。人間の………………こんなものが人間か」

「かもね。人間なんてこんなもんよ」

 オリンギは、憑き物が落ちた顔を浮かべていた。

 俺は、口を開く。

「おい、オリンギ。なんで人間になろうとした?」

「わからないのだ。最初の記憶は………ああそうだ。飛龍とキヌカが、楽しそうにしていたから我もそうなりたいと願った。それを真似れば、きっと………どこで間違ったのだろう?」

「参考にした人間を間違ったな」

 ご立派な人間を参考にすりゃ良かった。

 俺らみたいなヘル・シーカーじゃなくて、普通の幸せそうな人間を。

「その通りなのだ」

「そこは否定しろよ」

「巨大な犬になるとか、卑怯なのだ」

「あれは俺も知らなかった。てか、お前こそ言葉一つで人間殺せるとか卑怯だろ。戦いでは余裕で俺が勝ってたのに」

「一人の力ではないように思えたのだが?」

「皆の力に俺の力が入っているから、俺の力だ」

「詭弁なのだ」

「てめぇこそ、仲間送り込んだり庇わせたりしただろ」

「不可抗力なのだ。その結果、取り返しのつかないことになった」

「つまりまあ、お前の負けだ」

「何故に、飛龍は勝ちを宣言しない?」

「そりゃお前」

 あんな獣になって暴走したんじゃ、勝ちの実感はない。俺自身が消えかけてすらいた。助かったのはユルルと、キヌカのおかげだ。

 と、内心を語れるわけもなく。

「負け犬を憐れんでいるだけだ」

「“悔しい”とは、こういうことを言うのだな」

「そうだ。もっと感情を学んでから人間を目指すべきだったな」

 オリンギは血を吐いた。

 いい加減もう死ぬだろう。

 俺は剣を取り出す。

「待って。少しだけ」

 だが、キヌカに手を抑えられた。

「やはり、我は飛龍が憎い。何もかも我から奪った故。だが、そもそも与えてくれたのも飛龍だ。共に戦って、遊んで、眠って、その瞬間が憎しみよりも何兆倍も価値がある宝石だ」

「それをお前は――――――」

「石ころのように増やして泥を塗った、のだな」

「わかったじゃねぇか」

 死ぬ前にわかれよ、馬鹿野郎。

 キヌカが言う。

「ねぇ、オリンギ。もう一度聞くけど、まだ人間になりたい?」

「我は、次があるのなら、花になりたい」

 軽い頭痛。

 空気が変わるのを感じた。小さいが、存在の歪む音を聞いた。

「花なら静かに人に寄り添える。傷付けることもない」

「良いと思う。アタシ、花は好きよ」

「俺も」

 キヌカが『ウソでしょ?』みたいな顔をする。いや、本当に好きなんだが。

「ならば、花になろう」

 血肉が芽吹く。芽は急速に成長し、オリンギは咲く。

 血は赤い花に、体は白い花に。名前のない小さな花は、わずかな時間咲き誇り、

「さよならだ。飛龍、キヌカ」

 枯れた。

 枯れた花は塵となる。

 塵は吹いた風に運ばれ消えた。

 何も残らない。

「ああ」

 違う。塵の中に種を運ぶ綿毛が見えた。

 綿毛は高く高く空を舞う。

 どこか遠くの空へ飛び立とうとしている。


 ソロモン・グランディ。

 月曜日に生まれ。

 火曜日に洗礼を受け。

 水曜日に嫁をもらい。

 木曜日に病気になった。

 金曜日に病気が悪くなり。

 土曜日に死んで。

 日曜日に埋められる。

 これが、ソロモン・グランディの一生。


「そして、花になり風に乗ってどこかに消えた」

「どうしたの急に?」

 そんな真面目にツッコまれても困る。

「俺でも感傷的になるってことだ」

「アタシだって、あーごめ。一件落着の安堵感の方が強いや」

「今回も強敵だったな」

「いい経験だったけどね」

「かもな」

 不安は増えたけど。

「またどこかで、オリンギと出会えるかも?」

「ただの花なら歓迎だが、所詮はボイドだからな」

「かもね」

 キヌカは、俺の腕から離れた。

 一瞬でも、良いムードだと思った俺が馬鹿みたいだ。

 彼女は、オリンギがいた場所を漁り、二つの端末を見つけ出した。一つを自分に、もう一つを俺に渡す。

 手首にはめると、早速うるさいのがうるさい。

『次に自主的に連絡手段を絶った場合、OD社を離反したと判断します。ので、こういった行為は二度としないように』

「はいはい、はいはい、はいはいはい」

 小言小言ね。

 端末を叩き割ってやろうか。

『それはともかく、おめでとうございます。悪性新生物大災害の一つを無力化しましたね。再現性がないことに不安を覚えますが、快挙には間違いないです。お二人にはボーナスが支払われます。合わせて、イプシロンクラスに昇進。もう一段階昇進すれば、“有料で”各種サービスを利用できる立場になります。頑張ってください』

 なんかおかしい。

「どうしたコルバ。簡単に報酬渡したり、昇進までさせるとか、気持ち悪いぞ? なあキヌカ、気持ち悪いよな?」

「うん、猫なで声に聞こえる。気色悪い」

「お前コルバじゃないだろ? 偽物だな?」

『前担当官と、同じ轍を踏まないだけです』

 忘れてた。

 こいつを介して俺ら話してる奴がいるんだった。今の担当官って、ボロを送り込んだ奴なんだよな。割と、マシな奴なのか?

 ピピッと端末に数字が表示される。

 ポンと10億が振り込まれた。

「なあ、キヌカ」

「うん、言いたいことわかる」

 好待遇過ぎて逆に不安、と無言で通じ合った。

『五分後に脱出用のポータルを開きます。お急ぎください。どうやら、“彼ら”を怒らせたようなので』

「“彼ら”?」

 空が灰色に凍り付いた。

 遠く、オリンギの綿毛も凍り付いている。

 一人、空から降り立った。

 スマートな体型の三つ揃えのスーツ姿。頭には、ロバの被り物。

 図書館の館長がお出ましだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る