<終章>
<終章>
無情な顔のまま、ロバは話す。
「人に焦がれ、人を模し、だが決して人と生らぬ未完の大樹。それが【ソロモン・グランディ】。絶滅の決まった進化の過程で、様々なものを巻き込み、滅びることに美しさがある」
無感情を装っているが、語尾が震えていた。
「それを貴様は、貴様らは、“変成”した。花だと? ただの花だと? 腕のないヴィーナスに腕を付け、首のないニケに首を付ける醜悪の極みだ。欠けているからこそ、完成していたボイドを凡作に、いや、作とも言えぬゴミに堕とした。我らの作品に泥を塗ったのだッ」
ロバの声には怒りがあった。
代わって俺は、感情を抑えて口を開く。
「お前らが作りだした?」
「そうだ」
「俺らにけしかけた他の異常もか?」
「そうだ」
「で、してやられたから逆ギレして出てきたと」
「………………」
怒りが爆発する前の沈黙。
俺の怒りも負けちゃいない。だがその前に、
「コルバ、ポータルの出現位置は?」
『あなた方の拠点付近です』
「キヌカ、ユルル、5分で荷物をまとめて脱出準備だ。俺は少し、こいつを遊ぶ」
「遅れないでよ。後あれは」
「信用しろ」
どのみち、使いたくても使えるもんじゃない。
キヌカは、ユルルに抱えられて離れる。
「逃がすとでも?」
ロバが指を鳴らす。奴の隣の空間が砕けた。
伸び出てきたのは、長く巨大な手。黒ずんだ皮膚と歪に伸びた爪、人間など簡単に握り潰せるサイズ。
巨人の手がキヌカたちに迫る。
剣を取り出した俺は――――――それを、なます斬りにした。
肉片のスライスが周囲に巻き散る。血は一滴も流れていない。
「おっ」
自然と声が出た。
取り出した剣は、また形が変わっていた。
狼があしらわれた独鈷柄。反りのある片刃の剣身は、薄く赤く鋭く脆く、ジェゾの残滓を感じる。
これは、刹那的な力だ。消えかけの残り火に過ぎない。
だが、斬れる。
今ひと時の間なら、斬り殺せない者はない。
「矮小な力だ。次のステージにすら届いていない。一瞬でも、【ソロモン・グランディ】の代わりにと考えた己に腹が立つ」
「あん?」
挑発に乗って剣を振るう。
一閃。
刃圏の外だが、刃の力は届いた。
草原を大きく断ち、空にも傷跡を残す。当然、ロバの首はころりと落ちた。主を失った体からは大量の血が噴き出る。
「雑魚じゃねぇか」
『血を流すなら殺せる、と言うのは人間の思い上がりですよ』
「冗談言うな」
コルバが笑えない事実を言う。
ロバは、落ちた首を小脇に抱えた。
『あれは従者に過ぎません。ようは、対話用の端末です。本体は別の空間からあれを使………………あ、いえ、わざわざ出てくるとは観測史上初ですね』
奴の背後が大きく砕ける。
現れたのは闇と星、一瞬で草原の半分が星空に変わる。
宇宙に似た闇の奥から蠢く何かが――――――違う。この闇そのものが、途方もない存在だ。
俺が斬り落としたのは腕ではない。指ですらない。言うなれば、髪の毛の一本に過ぎないだろう。
星と思っていたものは、怪しく輝く那由他の瞳だった。
莫大な、闇の全てが奴の血肉だ。
草原を飲み込みつつある“それ”の全貌が全く見えない。
ただ巨大で、ただ圧倒的。大怪鳥形態のラストリゾートが蟻に思えるサイズ。もう一度獣になれたとしても、このサイズを殺しきれる自信がない。椅子を解放したとしても、こいつの全てを錆びにできるのか。
これはもう、生物と呼べるサイズではない。
『一つの次元。意思を持った闇という概念。もしくは、捕食性亜空間。悪意を持った宇宙とも呼べる存在です』
「コルバ、戦い方を教えろ」
『機密事項のため、教えることはできません』
「お前も結局それか!」
機密機密と、ボイドを対処する気はないのか!?
ダメ元でもう一度獣になってみるか? 全部のボイドを解放するか? 考えろ。俺ができることを考えろ。
このままじゃ、ただ潰されるだけだ。
『ですので、私が教えましょう』
声は端末からではなく、俺の背後から聞こえた。
半壊したボロがいた。
『匍匐前進で進んできたので時間がかかりました。あなたの女、私を見ても素通りでしたよ?』
「で? 方法は!?」
『物怖じしないのは、あなたの長所ですねぇ』
「ああ、どうも! ありがとよ!」
意外なことが起こる。
「ヴァージニア? 全て廃棄されたはずだぞ」
ロバが、ボロに反応した。
『ええ、廃棄されましたよ。だからここにいるのです』
「イレギュラーの原因は貴様か」
『そんな馬鹿な、お馬鹿さん♪』
ロバが挑発に乗ったのかはわからないが、闇の中から絨毯爆撃のように無数の腕が迫る。
「ちょっ」
剣一つで斬り払える量じゃない。
だが、剣一つで斬り払うしかない。
再び死を目前にして、何故だか力が抜ける。そうするのが最善だと、俺の何かが囁いた。
無心で剣を振った。
たった一振りで、迫りくる攻撃の全てを斬り払った。
「何だこれ」
やった自分が一番驚いている。
『あれ強そうでしょ? 途方もなさそうでしょ? 事実です。ところがどっこい、強すぎる存在というのは、強すぎる故に駄々洩れなんですよ、力が。時にそれは、太陽のような恩恵をももたらすのです。その力を私たちは、V-224-S4【人が妄想できることは、必ず人が実現する】と名付けました』
再びの絨毯爆撃。
俺は冷や汗を流しながら斬り払う。
できている。
どうしてできるのか、まるでわからんができる。
「だから、どうすりゃいいんだ!? 斬っても斬ってもきりがないぞ!」
『いや、今のヒントでキュピーンとくるでしょ。馬鹿ですか、あなた』
「ああ馬鹿だよ! さっさと言え!」
『ちょっとお時間もらえます? あなたには何が良いでしょうかねぇ。うーん、宮本武蔵でいっか、あれ柳生の人の言葉でしたっけ?』
「さっさと言えええええええッッ!」
こいつ後で絶対に破壊してやる。
『――――――の言葉の後、剣をぶん回してください。殺せないでしょうが、時間稼ぎの異常性が発生します』
疑っている時間はない。
ボロの言葉を心に刻み、剣を担いで地面を踏む。
一心一刀。
「振り下ろす、太刀の下こそ地獄なれッ!」
踏み込みと同時に剣を振り下ろす。
斬撃は飛び、腕の全てを散らし、闇に届いた。
闇を斬り払った。
しかし、闇全てを両断できるはずもなく。ほんの一瞬、闇の一部を斬ったに過ぎない。
刃を返す。
「まるで変わらんぞ!」
『いえ、大成功です。本当に【地獄】が来ますよ』
「は?」
世界が揺れた。
天地がひっくり返るような激しい揺れ。闇ですら揺さぶられて停止する。俺は踏ん張り、なんとか転倒に耐えた。
揺れが静まると、辺りに焦げ臭い匂いが充満する。
俺と闇の間の大地が、大きく抉れていた。
現れたのは、螺旋階段のあるすり鉢状の大穴。偶然なのか、もしくは俺が呼んだ地獄だからか、見たことのある階段だった。
しかし、あれよりも遥かに大きく、伽藍で、腹を空かしているように見える。
風の流れが変わる。
再び伸ばしてきた無限の腕が、大穴に飲まれた。
闇そのものも、大穴に引きずり込まれている。
『V-224-S4は、人の創造性を異常性に変換するのです。神を呼べば神を呼び、悪魔を呼べば悪魔を呼ぶ。まるで、壊れた魔法のランプ。無秩序に人の祈りや、呪いを叶えるため、観測データが発見者と一緒に処理されてしまいました』
「あいつが消えるよう願ってみる」
『私たちが使えるのは、あの存在から漏れている力。本体を消すほどの力はないのです』
「ちっ」
そんなうまい話はないか。
強風に背中を撫でられた。
生れ出た地獄の大穴は、闇と共にこの場所を飲み込もうとしている。
『活動の抑制を観測。今のうちに逃げましょう』
「それで終わりか」
俺は、避難用のクルトンを取り出す。
これを踏んで家に転移、ポータルを潜って、この階層とはおさらばだ。
まだ振り返るには早いが、色々と思考が巡る。
『お疲れ様でした。しかし、退避するまでがミッションです。最後まで気を抜かぬように』
「はいはい、んなことわかってるよ」
が、
度重なる戦闘と、心的疲労で、俺の集中力は限界だったようだ。
ポロッとクルトンを落とす。
おむすびころりんよろしく、クルトンは転がりなら大穴に吸い込まれて消えた。
「………………」
『当然、予備はありますよね?』
「ない」
『走った方が良いのでは?』
「ああああああああああ!」
ボロを担いで全力疾走した。
「お前重いぞ!」
半壊した状態なのに、4キヌカくらいある。
『間に合わせの機体ですので。てか、レディに重いとか失礼な。あなたモテないでしょ?』
「てめぇ持ってやってるだろうが!」
急に脚が重くなる。
息も切れだした。
眩暈も酷い。
どうやら、体力の限界が来たようだ。
『えーここで残念なお知らせを一つ。私の自爆装置が起動しました。2分後にボンッです』
俺は足を止めて、ボロを落とした。
『そんなわけで、おさらばです。お役に立てたのなら幸いでした』
「お前の自爆装置はどこにある」
『胴体部分ですが何か? ちょっ!?』
ボロの首を刎ねる。
頭を小脇に抱えて、また走り出した。ボロが軽くなった分、少しだけ走るのが楽になった。
「ポンコツだが、コルバよりは役に立つ」
『デバイスの切り離しはもっと慎重かつ緻密に、故障の原因になります』
「もう壊れてんだから、これくらい平気だろ」
『だからと言って首刎ねます? 怖っ』
家が見えてきた。
後少しとペースを上げるも、走る速度は急激に遅くなった。
坂が出来ていた。
振り返ると、地獄を起点に草原が折り曲げられていた。溺れるように、そこから這い出ようとしている闇の姿もある。
「絶景だな」
この世の終わり欲張りセットみたいな光景だ。
足が滑る。
坂は直ぐにでも絶壁になるだろう。剣を地面に刺して進む。酷く遅い、牛歩だ。家の残骸や、物資や、ポッドが転がって、地獄に落ちてゆくのが見えた。
『えー言いにくいのですが、爆破まで30秒を切りました。このペースだと最高でも20分はかかるかと』
飛べるボイドは手持ちにない。ならば、
「空飛べるように願ったらどうなる!?」
『音速を超えて飛翔し、バラバラになるかと』
「クソッ!」
『そんな都合の良いものじゃないのです』
詰んだ。
「飛龍! 掴まって!」
キヌカの声が聞こえた。
目の前に蜘蛛の糸が垂れる。いや、白い縄だ。
先を見ると、ユルルが縄を掴んでいた。
何故、エリンギの縄をユルルが? 疑問に思うと同時に、縄を掴んで肩に回す。
猛烈な速度で景色が流れる。
俺は、ユルルに釣り上げられた。
「ばっ、もう少し加減をッ!」
着地をミスったら、坂を転がり落ちるぞ。
杞憂だった。
ユルルの胸に着地した。
「あー柔らかっ」
極限状態なのに、現実逃避しかける。
『残り15秒です』
「ボロの首? え、何のカウント?」
「キヌカッ急げ、こいつの胴体が爆発するカウントだ」
「ちょっと! 荷物荷物! 水、食料、衣類に、鉢植えと、ああもう、他に何かあったような忘れ物が!」
キヌカは、パンパンに膨らんだバックパックを抱える。入りきらない荷物がボロボロとこぼれた。
「慌て過ぎだ。忘れ物が増えるぞ」
『残り10秒、9、8、7――――――』
慌て過ぎた方が良かった。
「きゃあああああ!」
キヌカは泡食ったように慌てる。それを見て、逆に俺は落ち着く。
「ユルル、キヌカを抱えてポータル潜れ」
ユルルは、パニック状態のキヌカを抱えた。俺たちは、近くにあるポータルに進む。
『3、2、1』
カウントがゼロになり、光が見えた。
光と踊る闇が見えた。
何も見えなくなり、重力からも自由になる。
一瞬の浮遊感が終わると、目の前には狭くて薄暗い空間が広がっていた。
苔むした回廊である。
次の階層に移動したようだ。
俺は無事だ。
キヌカも無事。
ユルルも問題ない。
ボロは、
『あーあーあー観測してはいけないデータを観測したような。でもこれどこに送ればいいのやら、廃棄されたのにまだ活動しなきゃいけないとか、ロボットには引退後の年金生活はないのですか? そうですかーあああー』
こいつはいいや。
「下着を忘れた………」
キヌカは、がっくり肩を落とす。
「忘れ物はその程度か」
「大事でしょ!」
「大事だけどさ。やばっ」
「どしたの?」
「すまん。お前のボイド、取り込んでしまった」
「ああ、やっぱりね」
「ちょっと変わるだろうが、後で必ず返す。もしくは別のボイドで」
「はいはい、期待してまーす」
気の抜けた返事をするキヌカ。
二人してユルルの腕から降りた。
散らばった荷物をまとめて、分担して背負う。ユルルがいる分、かなり背負う量は減った。今後の移動は、前に比べて楽になるだろう。
ボロの首は、カラビナを付けて俺の腰に下げた。
「それなんだ?」
キヌカも、俺と同じように腰に下げているものがある。
ペットボトルに土を詰めた物だ。
「鉢植えよ」
「何を育てるんだ?」
バジルとかか?
「オリンギ」
「………ん?」
「綿毛が一つ、ユルルの髪に引っかかってたの。育てちゃダメ?」
「駄目じゃないが、普通の花だよな?」
「普通の花なら愛でてもいいよね?」
「普通のキノコでもいいぞ」
「普通なら良いってことね」
「だな」
人間のエゴだな。
と、色んな感情の混ざった言葉を飲み込む。
ペットボトルを指で叩いて俺は言った。
「また、よろしくな」
『私もいるんですけどねぇ、非生物差別ですか? それとも首だけ差別ですか? この有り余る知識と頭脳がどれだけ役に立つのかお分かりでない? 私、世が世なら人類の宝ぞ?』
「あ~はいはい」
こいつ連れてきたのは、間違いだった気もする。
キヌカが言う。
「じゃあ、ボロ。簡単で栄養価が高いレシピを教えて」
『いや私、そういうのはやってないんで』
「応急手当の仕方とかわかる?」
『人間の手当は人間の仕事です』
「物資の情報をまとめて管理とかは?」
『ですから、人間のできることは人間がやるのがベターかと』
やっぱポンコツだった。
「お前、ボイド以外は無能だな」
『なんですと!?』
「仕方ないわねぇ、アタシがやるしかないじゃない」
なんでかキヌカは嬉しそうだった。
俺たちは歩き出す。
前よりも足取りは軽いが、増えた同行者により混沌は深まった。
ふとした疑問が生まれる。
俺はまだ、人間なのか? 獣なのか? ボイドなのか?
いや、俺があいつに言ったじゃないか。人間なんて自己申告制だって。
俺がそう思い続ける限り、
俺は人間だ。
<了>
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