<第二章:ソロモン・グランディ> 【13】


【13】


 翌日、二つの変化があった。


 外が夜になっていた。

 空には太陽も月もなく、深海のような闇が空間を満たしている。


 そして、キヌカが倒れた。

 熱があり、咳が酷い。典型的な風邪の症状だ。急な寒暖差で体調を崩したのだろう。実は俺も、疲れを引きずっている。


「朝ごはんの準備………」

「適当に食うから寝てろ。ほら、スポーツドリンクと薬」

 看病しようとしたら、ユルルにズイと押し退けられる。

 咽ない角度にキヌカの体を傾け、慣れた手付きでスポーツドリンクを飲ませていた。

 やりたいのならやらせるか。自主的に動くなら俺たちの負担も減る。

 変に遠慮するとキヌカに気を遣わせるから、俺は適当に朝食をとった。水と、エナジーバー、干しぶどうとチーズにチョコ。味がよくわからない。二人の食事に慣れたせいだろう。

「様子を見てくる」

 ランタンを二つ手に取り外へ。家の照明に使っている物と同じ、懐中電灯にもなる高輝度のランタンだ。バッテリーの機能もある。

 一つは自分の腰に、もう一人は家の入口に置く。

 外は、闇夜だ。

 吹雪の時と違い、ランタンの明かりで周囲20メートルは見える。

 遠くで白い物体を発見。傍に向かう。

 7体のエリンギが、草原に生えた土の塔の前で騒いでいた。

 塔の高さ8メートル、幅は3メートルほど。綺麗な螺旋模様があり、微妙に捻じれて傾いている。

 こいつら、建築物まで作るようになったのか。

「これは何だ? どうなってる?」

 聞くと、

「どーもこーもねー」

「籠城されたの」

「アラモ、アラモ」

「兵糧攻めちう」

「共食いさせてやるのー」

「骨と皮、骨と皮」

「でもワレら飢えるん?」

 これ女王が作ったのか。

 てか、

「壊して引きずりだしゃいいだろ」

 俺の発言に、エリンギたちが驚いて転がる。

「文化は大事!」

「制作物に罪はないんやー!」

「あんたは鬼や! 悪魔や! 炭水化物や!」

「壊さないでー! 壊さないでー!」

「この米だけわぁぁぁ!」

「お代官様ァァァァ!」

 ………うるさい。

「じゃあ、どうすんだ?」

「出てくるの待ってるのー」

「出てくるように呼び掛けてるー」

「天岩戸ごっこ~」

「ああ、なるほどな」

 頭痛くなってきた。

 エリンギたちが、塔に立て籠もった女王に呼び掛ける。

「お前は完全に包囲されているー」

「あきらめてでてこーい」

「女王ちゃんこんなことやめて!」

「ママが泣いてるぞー」

「これ以上の抵抗はやめなさーい」

「バーカ! バーカ!」

「ザーコ♪ ザーコ♪ クソザコ統治~♪ お前の天下半日で終わり~♪」

 途中から子供の悪口になっていた。

 好きにやってろ。

「ところで、オリンギはどこだ? 他の奴らも。お前らもっといただろ」

『夜の調査に行ったー』

 と、声を揃えて返す。

「調査? この変化って、お前らが原因じゃないのか?」

「さあ?」

「わかりかねますので」

「ワレワレは、万能ではない!」

「実はサボリちう」

「働かないアリも大事、大事」

 ってことは、この夜は――――――

「他のエリンギはどっちに行った? 俺も合流する」

『あっちー』

 7体のエリンギが同じ方向を指す。

 向かおうとして、体に違和感を覚えた。筋肉と関節が痛い。熱っぽい気もする。俺も風邪か。

「大丈夫かー?」

 問題ない、と手を振ってエリンギたちから離れた。

 家の前に置いた明かりを確認、土の塔の位置を頭に置いて、重苦しい闇の中を進む。

 先に何があるのか、何と出くわすのかわからない未知。深海探査の気分だ。巨大な鮫に襲われる想像をしてしまう。

 しかし、カンテラの明かりが頼りない。

 光量が落ちていた。故障かと思って、何度か叩くが変化はない。ボイドを使って、大きな光を生み出そうと考える。いやそれよりも………………他に………思考が、乱れる。

 眼球が破裂しそうな頭痛に襲われた。

 同時に、悪寒で足が震える。

「ゴホッゴホ」

 咳が出た。喉が焼ける。酷い耳鳴りもする。

 体が、何かに、急激に蝕まれている。まさか夜が、この闇が、次の攻撃そのものか?

「マズい」

 キヌカの体調もこれが原因なら、体にボイドがある俺よりも危険な状態になる。

 すぐ引き返し――――――

「ゴホッ! ゴホッ!」

 激しく咽た。

 呼吸が出来ず、たまらず口元を手で押さえる。肺が破れそうな痛み。

 酸欠で立ち眩みがした。歯を食いしばって体を支える。体が熱い、同時に寒い。冷たい汗が頬をつたう。

 来た道を戻ろうと、道を見失った。

 家の明かりが見えない。

 腰のカンテラの明かりが、闇に飲まれて小さくなっている。今すぐにでも消えそうだ。

「ぐっ」

 痛みと疲れと熱。

 闇が濃くなれば濃くなるほど、体を蝕む“何か”が活発になる。俺の細胞を壊し、溶かし、啜り、増えて増殖して侵食する。

 こいつは、病だ。

 ここにいてはいけない。闇が症状を加速させている。しかし、どこに逃げろというのか。戻ろうにも道を見失った。感覚も病のせいで潰れている。掃わなければ、死だ。

 ならば、

「イチかバチか」

 不安要素の多いボイドだが、使うしかない。上手く働いてくれ。

 左腕で血を吐いた口元を隠す。

「ヘル・イーター。叶えろ、魔法少女インシ変身スティック」

 出てきたのは、俺の身長を超える3メートルの大杖。蕾のような杖先には、あらゆる苦悶を嚙み締めた幼い少女の胸像がある。

 元の玩具から大きく形が変化した。使い勝手が、少しでも良くなっていることを願う。

 杖を両手で掲げ、シンプルな言葉を唱えた。

「あかり」

 激烈な閃光が瞬く。

 指を焼くほど熱量を持った光球が生まれた。直視していたら目が潰れる光だ。

 夜が掃われる。

 見えたのは、バラバラにされた無数のエリンギ。

 エリンギを殺したであろう騎手は、蒼ざめた馬に乗っていた。その姿は、ボロ布を引っ掛けた骸骨。手には大鎌を携えている。

 騎手は、槍を持ったエリンギと戦っていた。

 残ったエリンギは、ただ一人。他に立つ者はいない。

「オリンギ、こっちに来い!」

 弱り切った喉で精一杯叫ぶ。

 激しく咽た。

 咳に血が混ざっている。

 杖が消える。同時に全ての光が消えた。

 エリンギの反応は見えず、声が届いたのかもわからない。

 闇に沈んだ体が、病魔に食い荒らされる。脚に力がなくなり倒れた。左目が見えなくなり、ドロッとしたものが眼窩からこぼれた。肺がもう駄目だ。浅く短い呼吸しかできない。全ての関節が錆びたような痛みを訴えている。もう、満足に動くことはできないだろう。脳が燃えそうな熱。意識が曇る。生の境界が曖昧になる。

 これが死だ。

 だがしかし、まだ抗う術はある。

 遠い耳が蹄の音を捉えた。

 満足に動かないはずなのに、感覚があやふやなはずなのに、剣を持つ手だけは、確かな感触として世界に閃く。

 闇夜に火花が咲いた。

 騎手の大鎌を剣で弾いたのだ。

「グッッ」

 背骨が嫌な音を上げた。衝撃に耐えられない。

 次は――――――エリンギが大鎌を弾いた。

「飛龍、酷い状態なのだ。休息が必要だな」

「気にするな。死んだらずっと休める」

 軽口を叩く間に、大鎌がもう一度俺たちを狙った。エリンギに弾かれ、馬はほんの一時、俺たちから離れる。

「あの鎌、マズいのだ。ワレらの不死性を無効化した。ワレらを殺したのだ! 危険、凄く危険なのだ!?」

 エリンギは慌てていた。

「落ち着け、斬られて死ぬのは普通だ」

「普通なのか!? 普通とは怖いのだな!」

 また、エリンギは大鎌を弾く。だが、それで槍が折れた。

「エリンギ、逃げろ。キヌカのところに行け。後は俺が引き受けた」

「倒せるのか?」

「まあな、ほら行け。巻き込むぞ」

 迫りくる大鎌を俺が弾いた。

 指が折れた。剣が遠くに飛ぶ。

 一瞬だけ迷って、エリンギは素早く退いた。

 弱り切った視力でも、闇に退いた騎手がはっきりと見える。それは当然、俺のカンテラが馬に付いているからだ。

 剣で弾くと同時に引っ掛けた。手癖が悪くなったもんだ。

 騎手は、馬を返し俺に迫って来る。大鎌の狙いは一目瞭然、俺の首だ。

 病よ。

 死よ。

「闇夜を呼び出したのが、お前の敗因だ」

 迫る死よりもわずかに早く。俺は奴を呼び出す。

「ヘル・イーター。赤錆の暗き神の座」

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