<第二章:ソロモン・グランディ> 【08】
【08】
「はーい、動かないでね」
キヌカは、手にした掃除機みたいな機械から水を出す。
ブシャー! と俺は全身に水をぶっかけられた。
「キヌ、ババババッ」
喋ろうとしたら口に水が入った。思っていたよりも数倍水流が強い。
「飛龍、目と口閉じてじっとしてて。これ、めっちゃ強力な高圧洗浄機だから」
たぶん、人間に使うものではない。使っても拷問だ。
「飛龍終わりっと。はーい、ユルルも動かないでねー、目閉じてねー、ちょっと屈んで」
キヌカは、隣にいるユルルにも高圧洗浄機で水をぶっかけた。真っ赤なユルルの汚れがみるみるうちに落ちてゆく。
「はい、綺麗になった」
「次我! 次我!」
真っ赤なエリンギは、飛び跳ねながら順番待ちしていた。
ブッッシャー! と洗浄機の水を浴びるエリンギ。
「ふひゃぁぁぁぁぁ!」
「ちょ、逃げないで!」
エリンギは嬉しそうに逃げ出す。キヌカは追いながら水をぶっかけていた。
草原の風は、濡れた体には少し寒い。
俺は、上着とシャツを脱いで衣服を絞った。怪鳥を解体した時に浴びた返り血は、綺麗に落ちたようだ。ただ鉄っぽい匂いがわずかに残っている。
ふと、ユルルを見た。
濡れた長い髪がべったりと体に張り付いて幽霊のようだ。
丁度いいので言う。
「おい、ユルル。キヌカを守れって言ったよな? なんで俺のところに来た?」
「………………」
いつも通り返事はない。ただ反応もない。
注視すると、ぐったりと項垂れていることに気付いた。上半身の人間部分が小刻みに震えている。
「蛇って寒さに弱いんだっけ?」
これだけのサイズだ。濡れた分、体温を大幅に奪われるのだろう。
「キヌカ! ユルルが寒がってる! 毛布をあるだけ頼む! エリンギは放っておけばいい!」
「わかった!」
キヌカはユルルの様子を見てすぐ察した。
豆腐ハウスに戻って、毛布を抱えられるだけ持ってくる。ユルルの服とポーチをはがして、二人で冷えた体を拭く。
「てか、俺も寒い」
「そういえば冷えてきたわね」
「ん?」
先ほどまで雲一つない青空だったが、見上げると曇天に包まれていた。しかも、チラホラと白いものまで降り出している。
雪だ。
「家に入ろう。こりゃ本格的に冷え込むぞ」
気合を入れてユルルを抱えた。骨が軋む。
「重っ、8キヌカくらいあるぞ。こいつ」
「アタシを単位に使わないでよ。って、女の子に重いとかダメでしょ」
「重いもんは重い」
力なく垂れ下がった尾を引きずりながら、豆腐ハウスへ。
ぐてんとしたユルルを床に寝転ばせると、水っぽい音がした。
「新しい毛布と、防寒具も要請するわ」
キヌカは外へ。
俺も一旦外に出て、近くにあった板材とビニールシートを持って、豆腐ハウスの天井に登った。天井の隙間を素早く適度に埋める。
草原は、真っ白になっていた。
本格的に積もるかもしれない。上半身裸では流石に堪える。さっさと家に戻った。
エリンギも家の中いた。汚れは落ちて白に戻っている。
「それはどうしたのだ? 死ぬのか?」
「この程度じゃ死なねぇよ。しても冬眠だ」
毛布でユルルのまだ濡れている個所を拭く。胸とか谷間とかを無心で拭いた。
外で投下ポッドの落着音が聞こえた。
「何故、冬眠をするのだ?」
「寒いからだ。お前、寒さは感じないのか?」
「よくわからん。でも、これが寒いということなら覚えた」
「まあいいや、手伝え。毛布で拭け」
「何故?」
「濡れると体温を奪われる」
「熱くして水分をとばせばいいのだな?」
「そうだが、熱っ」
エリンギが輝く。
間近で太陽光を浴びたかのような光と熱。ジュワッと周囲の水分が飛ばされる。
「おい! エリンギ止めろ! 熱すぎる家が燃える!」
「うむ、自家発熱は思ったよりも消耗するようだ。止めておこう」
エリンギは、ちょっとだけ細くなっていた。
「今の何!?」
荷物を抱えたキヌカが戻って来る。
「エリンギが光って熱くなった」
「意味わかんない」
「俺もわからん」
あ、でもズボンが乾いている。ユルルも大体乾いていた。だが、まだ髪が濡れていたのでキヌカと二人で拭く。
その後、湿った毛布を外に捨て、ユルルの体を新しい毛布を覆う。結果的に、部屋中が毛布で埋まってしまった。
「大丈夫そう?」
「たぶんな」
ユルルの額に触れた。
蛇の平熱はわからんが、少なくとも熱くも冷えてもいない。震えてもいない。体調は安定しているように見える。
ボイドの癖に寒さに弱いとは、頑丈な癖に変な弱点を………………とまあ、ここまでやっておいて腕に戻せばよかったと気付く。
だがしかし、冷えた状態で戻るかもしれないし、無駄ではないと思いたい。
「ん?」
ユルルの手が延びてきた。
俺を抱き寄せる。
新鮮な果物のような香りに包まれた。
大きな胸に溺れそうになり、引きはがそうとすると尾を俺の体に巻き付けてきた。
「キヌカ、ヘルプ」
顔が胸に半分ほど埋まった形で完全に拘束される。俺の腕力だけじゃどうしようもない。
「………………感想は?」
「大きくて無重力的な柔らかさだ」
キヌカの手前、建前で逃げたいと言ったが、正直無限にこうしていたい気もどこかにある。いや、ダメだが。
「そのまま宇宙を感じていたら?」
ユルルは上機嫌に尾を動かし、俺のうなじを甘噛みした。ゾワッと生物的な危機を感じる。
「マジで助けてくれ! これ完全に捕食ムーブだ!」
「仕方ないわねぇ」
渋々、キヌカが割って入った。
「はいはい、ユルル。あんたは男をダメにするボイドなんだから、性的な興奮を与えるのは程々にしなさいねぇ~ぎゅわっ」
キヌカも抱き寄せられ、俺の隣で胸に押し付けられた。
「ようこそ宇宙へ」
「何言ってんのよ」
剣幕で俺を睨むキヌカだが、すぐホワワと表情が解れる。
「あ、ダメ。これ人類をダメにする柔らかさ」
だろう。
今日はもう何もする気が起きない。戦闘からの怪鳥の解体で疲労困憊だし、このまま寝てしまおう。
『セオ・飛龍、報告をしてください』
キヌカの端末が何か言う。
『先のボイド解体時、あなたは端末を外しましたね。あのボイドが胃に収めた物体をあなたは観測した。報告をしてください。報告する義務があります』
俺の端末はエリンギに預けてある。
だから、キヌカの端末で報告を急かしてきたのだろう。
「後だ」
『後とは何時でしょうか? あの物体の情報は、今後の人類に多大なる恩恵をもたらす可能性があります』
「キヌカ、ちょっとこれ外すぞ」
「んんー」
半分夢の中にいるキヌカの手首から、端末を外す。
『待ちなさい。PAA二機の破壊、及び報告の意図的な遅延行為は、重大な規約違反です。格サービス――――――』
「いいから待て、クソ野郎」
外した端末を、毛布の上で泳ぐエリンギに渡す。
「こいつも預かってくれ」
「りょ」
エリンギは端末を頭に埋めた。
怪鳥の解体中、胃を調べろとうるさかったので、端末をエリンギに入れたところ通信を切断できた。こいつの体は、電波を遮断する機能があるようだ。
調査に動く黒い騎士は破壊した。念のため、近くにあったポッドも破壊。怪鳥の首を切断して消すと同時、胃の中身も消えた。
報告を急かすということは、成功のようだ。
アレは、俺しか見ていない。
今回のことで痛感した。OD社は、俺たちが死ぬことで良いデータが取れるなら、何のためらいもなしに殺す。
保身の材料が必要だ。アレには、その価値がある。
少なくとも、“俺以外誰も見ていない”という事実は価値がある。
起きたらコルバと――――――会社と交渉だ。
キヌカの知恵と、俺の足りない頭で何とかなるのか? いや、なんとかするしかない。
「ふぁ」
特大の欠伸が出た。
暖かさと柔らかさのせいだ。
「どうしたのだ? 呼吸器系の損傷か?」
「ただの欠伸だ。眠いからこうなる」
「人は何故眠るのだ?」
「眠いから寝るだけだ」
エリンギの言葉に適当に返す。
「では、眠れば人なのか? そのボイドのように」
エリンギは、眠っているユルルを指す。
「さぁな、そもそも人間なんて自己申告制だ」
「そうなのか? 人間って言ったら人間なのか?」
「そうだ。そして、人間と言い続けないと人ではなくなる」
「何になるのだ?」
「獣だ」
利益のために他人を食らう、犬畜生以下の下劣な獣に。
ま、俺も変わらんか。
「では、我も人間なのだな」
「そう言うのなら………………ああ、かもな」
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