<第一章:悪性図書館> 【01】


<第一章:悪性図書館>


【01】


 夢は見なかった。

 目覚めるとテントに一人だ。何か、いい匂いがする。

「キヌカ、どこだ?」

 こっちー、と外から返事。

 半開きのテントの入り口から外を見る。キヌカは、携帯コンロの火で鍋を回していた。

「おはよ、お腹減ったでしょ?」

「割と」

 嘘だ。目茶苦茶、腹が減っている。

 ウェットティッシュで顔を拭いてテントから出た。床に座ると、キヌカからスプーンを挿したお椀を貰う。

 中身は、

「おかゆにインスタント味噌汁と乾燥ネギを入れて、お醤油少し垂らした」

 相変わらず、メニュー名が調理過程そのものだ。

「いただきます」

 ともあれ食べる。

 熱いおかゆをチビチビ口に入れる。味噌汁の匂いに、ため息が出た。この米こそ体が求めているものだ。お醤油のアクセントも良し。美味し。熱くなかったら、一気飲みしていた。

「そういや」

「う?」

 キヌカも同じ物を食べている。猫舌なのか、かなりの勢いでフーフーしている。

「俺は、どのくらい時間寝ていた?」

「20時間、何しても全く起きなかった。死んでると思ったくらい」

 78時間と少し起きてて、その代償が20時間の行動不能か。

 良いのか悪いのか。

「こまめに寝た方がいいわよ。絶対」

「寝れるならなぁ」

「アタシ、試したいことがある」

「何だ?」

「夜のお楽しみ」

 変な期待を持たせるな。

「夜ないだろ。ここダンジョンだぞ」

 今も外は、赤ぼんやりした空模様だ。昼夜の感覚はとっくの昔に狂って消えた。

「じゃあ、大体16時間後ね」

 そういえば、窓ガラスに付いていた【黒い手】が見当たらない。

「手はどこ行った?」

「ああ、ここのキュレーターさんが追い払ったわよ」

「キュレーター?」

 俺のおかわりをよそいながら、キヌカは後ろを指す。

「ほらそこ」

 受付には、スーツ姿の男が立っていた。

 長身痩躯。モデルのような体型だが、頭部はガス状で認識できない。そいつは、食事中の俺たちを気に留めることもなく、直立している。

「危険じゃないのか?」

「今のところはね」

 俺のボイドが反応しない。こいつは、喰える物、喰おうとしてくる物には鋭敏なのだ。では、このキュレーターはボイドではないのか? ボイドの複製とも違う、副次的な存在か? もしくは別の何かか。

「ごちそうさま」

「お粗末様」

 四杯目の朝食を腹に入れ、糧になる食物とキヌカに手を合わせる。

 軽く柔軟運動。テントに戻り、上着を羽織り、棍棒を手に取り、受付に行った。

 キュレーターに言う。

「この階層から出たい。出口はどこだ?」

「お探しの本は、【出口】ですね」

 落ち着いた男性の声である。

 ダメ元で話しかけたのに、普通に返事がきて驚く。

「違う。本じゃなくて出口だ。ここにあるんだろ? でなきゃ外の化け物が、ここに来るのを邪魔したりしない」

「当館は図書館です。ですが、視聴覚コーナーもございます。最新のLDプレイヤーを設置しておりますよ」

「えるでぃー?」

 聞いたこともない。

 ボイド製の映像媒体か?

「おや、お知りではない? では、LDについて詳しく書かれた本を」

「いらん。探しているのは出口だ。次の階層に進むための道」

「ですので、【出口】ならここに」

 キュレーターは、一冊の本を取り出す。

 表紙に扉の絵が描かれた【出口】というタイトルの本。

「いや、本だろ」

「はい、当館は図書館ですので」

 確かに図書館だ。

 薄暗い空間に、二メートルほどの本棚が並んでいる。奥の、奥まで………………って、本棚の果てが見えない。見渡す限りどこまでも、地平線まで続くかのように本棚が並んでいる。

 暗くて気付かなかったが、天井も一階建ての高さではない。少なくとも、20メートル以上の高さがある。

 外から見た時とサイズが全く違う。

 これじゃ、ここもダンジョンと変わりないぞ。

「もう一度聞く。ここから出る場所はどこだ?」

「出入口ならそちらに」

 キュレーターは、自動ドアに手を向けた。

 顔が引きつる。

「だから、この階層の出口。他の階層に行くための場所を聞いているんだって」

「ですので」

 キュレーターは、【出口】の本を大事に抱えて俺に見せた。

 話が通じない。

 やっぱダンジョンの住人だ。まともなコミュニケーションは不可能だ。

「飛龍、ねぇねぇ」

「なんだ?」

 キヌカに袖を引っ張られる。

「その本、本当に出口なんじゃ?」

「本を開くと出口になるって、そんな………あり得る」

 常識で考えすぎていた。

「その本貸してくれ」

「こちらの【出口】は、500ダァトと交換になります」

「ダート? 円じゃ駄目なのか?」

 どこの通貨だよ。

「駄目でございます」

「両替してくれ」

「当館は図書館ですので」

「物々交換ではどうだ?」

 と言っても大した物はない。

 貴重なボイドをやるつもりもない。

「残念ですが、あなた方は当館が望む物を持っておりません」

「そうか、仕方ない」

 奪うか。

「はい、待ったー」

 キヌカに背中を押された。

「どうした?」

「言葉が通じるんだから、話してみて損はないでしょ」

「話すだけで損する奴らもいそうだが」

「交渉はアタシの仕事」

「………はい」

 決めたのだから仕方ない。

 タッチして交代。

「あの、キュレーターさん。そのダァトって稼ぐことできますか?」

「はい、できます。そちらを」

 キュレーターの手を向けた場所には、背の低い棚がある。ごちゃごちゃと無秩序に本が並べられた棚だ。

「そちらは、回収して間もない本でございます。返却を手伝っていただけるのなら、一冊につき10ダァト差し上げましょう」

 500ダートまで、50冊。

 この広い図書館で本を棚に戻すのか、まあまあの労働だな。

「飛龍やるわよ」

「了解」

 近くの壁にある、大きな案内図を確認。

 新刊、雑誌、絵本、工学、医学、文学、語学、科学、歴史、芸術、哲学、宗教、視聴覚コーナー。で、残り九割は文字化けして読めない。

 ざっと確認したところ、返却本の背表紙に書かれたジャンルと棚番は読めるものだ。これなら、さして時間はかからないだろう。

 だがしかし、

「半々でやればすぐよね。アタシは文学と――――――」

「待った」

 俺が先に本を手に取る。昔の冒険小説だ。読んだことはないが、タイトルだけは知っている。

 ページをめくる。

 文字がびっしりと詰まっていた。

 挿絵が一つもない。

 新しい紙の匂い。

 特に異変はない。

 考えすぎか。

「大丈夫そうだ、なっ!?」

 閉じた本が急に重くなる。持っていられず、床に落としてしまった。

 重低音が響く。

 本の落下音ではない。巨大な生物の足踏み。

 ページが勝手に捲れだす。

 生温い風を感じた。

 生臭い獣の匂いがする。

 咄嗟に飛び退く。

 ページから、巨大な一つ目の化け物が這い出てきた。頭髪のない頭には一本の角。灰色の肌。二足歩行だが、下半身は山羊のように毛むくじゃらで蹄がある。大木のような腕は、粗雑な石の棍棒を手にしていた。

 化け物が叫ぶ。

 理性などなく、敵意しか感じない叫び。

 キュレーターが呑気に言う。

「当館の本は皆“活きが良い”ので、お気を付けください」

 俺は剣を構えた。

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