ヘル・シーカー2 ソロモン・グランディ

<序章>


 ソロモン・グランディ


 月曜日に生まれ

 火曜日に洗礼を受け

 水曜日に嫁をもらい

 木曜日に病気になった

 金曜日に病気が悪くなり

 土曜日に死んで

 日曜日に埋められる

 これが、ソロモン・グランディの一生



〈マザーグース、ソロモン・グランディより〉








<序章>


 赤い空の下、錆びた大地を歩く。

 果ても先も見えなく、人の心を沈ませる景色だ。

 たまに見えるオブジェは、枯れ木のような細く歪んだ棒。注視すると、人間のような目と口が見える。

 空には太陽も月も星もない。そこを飛ぶ黒い影は、コウモリのようにも蜘蛛のようにも見える。幸いなことに、連中は高度を下げない。今のところ、だが。

 時折、ここがダンジョンなのを忘れる。

 冷たい風が吹きすさぶ、岩と鉄の匂いしかしない、滅びに滅びきった世界。

 最初から終わっている、歪んだ妄想が産んだ世界に思える。

 そんな世界を、


「ベクシンスキーの絵みたいね」


 と、連れが目を輝かせて言った。

「べ、べくすっ?」

 舌を噛む名前だ。

「ズジスワフ・ベクシンスキー。こんな感じの滅んだ絵を描く人。家に画集あったの」

「ほー」

 人が想像できるものは、存在するものなのだろうか。

「でも実物の世界は、絵と違って余白が多いよね」

「余白?」

「世界の端っこ」

 細い指が、この世界の隅を指す。

「空と赤い地面だけが延々と続いているでしょ? 特に意味のない余白。そりゃ絵は良い部分を切り抜いているから、当たり前だけどね」

 変わったモノの捉え方だ。

 連れのキヌカは、小柄な少女である。

 パーカーに袖余りの黒い制服姿、脚にはタイツとスニーカー、背にはごちゃごちゃと物を吊るした登山用のバックパック。セミロングの染めた金髪で、可愛らしい目鼻立ちなのだが、素がジト目で愛想はない。

 少し前まで警戒心の高い小動物のようだったのだが、一緒にダンジョンを潜りだしてから角というか険が取れた気がする。

「それじゃ、俺たちの見てる風景が余白だとして、絵になる部分はどこだ?」

「さあ? そのうち出てくるんじゃない?」


 三日後、ようやく大きな建造物を見つけた。


 巨大な赤石の壁、手を合わせた巨人の骸骨が彫られている。

 壁の高さは100メートルを超えている。乗り越えるのは不可能だ。

「絵になりそうよね」

「余白ではないな」

 俺は、手にした巨大な棍棒で壁をぶん殴る。

「ッッう~」

 腕に衝撃が全部戻ってきた。

 棍棒の一部が欠けた。廃材のように見えて、この棍棒もボイドだ。それが欠けるとは普通の壁じゃない。物理的な破壊はできないと考えた方がいい。

「殴る必要ある?」

「あるだろ。壊せるなら良し、襲ってくるなら今戦うのが良し」

「ふーん」

 キヌカは、俺に興味を失い壁に触れる。

「しかし壁よね」

「しかし壁だな」

 一面の壁だ。

 五分ほど観察して、突き当りから右に動く。

 変化を探すため、足を動かし続ける。

 ヘル・シーカーなどと揶揄される冒険者になってから、殺し合いや激しい戦闘はあったものの、大半の時間は歩くことに費やされている。

 ヘル・ウォーカーに改名すべきだとOD社に言ってやりたい。そんな名前で人が集まるかは知らないが。

「キヌカ、体は大丈夫か?」

「大丈夫」

「足は?」

「ちょい痛い、かも」

「休むか」

「もうちょっとだけ進も」

「本当にちょっとだけだぞ」

「うん、ちょっとだけ」

 彼女の顔の疲労の色は濃い。元々弱音を吐かない人間なのだ。俺が無理やりにでも休ませないと、骨が折れても歩き続けるだろう。

 だが、無理をしないと駄目な理由もある。

「キヌカ、食料の残りは?」

「三日分。節約すれば五日分かな」

「お前が我慢するって節約じゃないよな?」

「アタシは元々燃費良いし、最悪、空腹を“止めれ”ば」

「駄目だ。それはなしって言っただろ」

 キヌカのボイドは、認識できるものを“止める”ことができる。それでこいつは、一時期自分の疲労を止めていた。

 結果、気を抜いた瞬間に止めていた疲労に一気に襲われ、丸一日高熱を出して動けなくなった。俺は生きた心地がしなかった。

 ボイドは――――――ボイドと呼ばれる異常性を帯びた物体は、理解を超える力で世界を歪める。だが、『歪み』には『反動』があるのだ。

 世界も、人の体も、元の戻ろうとする力を持っている。歪みが多ければ大きいほど、その反動も大きい。

 次は、熱程度ではすまないだろう。

「で、あんたの方は?」

「難しい」

 俺は、体にボイドを入れている状態だ。キヌカのように一時的に体に作用させた状態じゃない。常に、ボイドの異常性が体に作用している。

 そして今現在、

「コルバ、俺が前に睡眠をとってから何時間が経過した?」

 腕時計型の端末に聞く。

『78時間です』

「そんなにか」

 俺は、睡眠をとらなくても活動できていた。疲労感はある。空腹も感じる。だが、眠れない。眠り方がわからないのだ。

「ちょっと! 休憩中に寝なかったの?」

「上を飛んでる連中が気になってな」

 半分の嘘を吐く。

「体に異常は?」

「だから難しい。今は平気なんだが、たぶん限界はあるだろう」

 キヌカの『反動』を見て実感した。俺の状態は、ボイドが人の何かを歪ませているだけのことだ。超人になったわけじゃない。

 だから、飯は絶対に取るようにしている。キヌカに合わせて休憩もしている。しかし睡眠だけは、どうやってもできない。

「前に、早苗がぶっ倒れた時があったの。あれも確か、三日くらい寝なかった後だったかな」

 早苗は、俺と同じでボイドを体に入れた女だ。

「俺も倒れる可能性あるよな」

「ある。絶対にある。でも、限界知っておかないとマズいよね」

「マズいな」

 知っておかないと、戦闘中に急に倒れて終わる。知ることが一番の武器で、知らぬことが一番の死因なのだ。

「まあ、あんたが倒れた時はアタシが守ってあげるわよ」

「あてにしている」

 少し心配だが。

 いや信用はしている。でも体を張って守られても困る。適当なところで逃げてくれるのが一番、と口にしたら怒るだろうな。

「ん?」

 わずかな風の変化を感じた。

 気のせいか? それとも。

「ねぇ、あれ」

 キヌカは、地面に置かれたペットボトルを指す。

 この世界とミスマッチな誰かのゴミ………ではなかった。

 近くで見ると、飛ばされないように石が詰められ、一緒に矢印が書かれた紙が入っている。

 矢印は指すのは付近の壁。

 俺は、剣を取り出し壁を斬る。

「おおー」

 キヌカが歓声を上げた。

 壁の一部が幻のように消えた。

 現れたのは、壁の隙間だ。30メートル近い隙間がある。新しい道だ。

 特に迷わず俺とキヌカは進む。

 進む以外に道はないと感じた。

 また歩く。

 結局、また歩くのだ。

 荒事をどこかで望んでいる自分がいた。この剣で新しいボイドを斬りたい。それを喰って、使いたい欲求が湧く。

 切っ先の欠けた両刃の剣。

 俺の中にあるボイドの一部だ。ボイドとの親和性が深まった証か、この剣だけは、いついかなる時でも取り出すことができる。最早、自分の体の一部と言ってもいい。

 だから疼くのだ。

「ボイドないな」

「よね」

 この階層に来てから、ボイドの収穫はゼロである。

「人か」

「何よ?」

「ボイドって、人の所にあるもんだなって」

 剣をクルリと指で回し、左腕にしまう。

「当たり前でしょ。早い者勝ちなんだから」

 俺たちの旅程は誰かの後追いだ。だからこそ、誰かの残したヒントに助けられることもある。しかし成果がない。ボイドという最大の成果が。

「残り物に福はないのか」

「残り物すらないわよ。世の中そういうもん」

「世知辛い」

 まだまだ余裕はあるが、端末にある金は無限ではない。OD社の物資は無料ではなく、ボイドに関わった金額で購入するのだ。

 つまりは、ボイドと関わらないと干上がる。

 そういう仕事なのだ、ヘル・シーカーは。

「キヌカ。この先、他の冒険者と出会ったとする」

「うん?」

 同じ方向を見ながら、今まで言い出せなかった話題を切り出す。

「応戦する条件を決めておきたい」

「応戦?」

 我ながら、大分マイルド言い方だ。

「まず、襲われたら即応戦だ」

「相手の勘違いとか、事故でも?」

「実害があったら、どんな理由があっても倒す」

 で、ボイドを奪う。

「殺すってこと?」

「………そうだな」

 どうしてか、キヌカの前ではあんまりキツイ言葉は使いたくない。

「わかった。他には?」

 特に反論もなく受け入れられた。

 少々驚きながら続ける。

「倒す時は、確実にできると判断した時だけだ。倒しきれないと判断したら、全力で逃げる。もう一つ、どっちかが負傷していたら『戦う』よりも『逃げる』を選ぼう」

「襲われたら即応戦、でも確実じゃないなら逃げる。あんたが怪我してたら逃げる。そんなとこ?」

「そんなとこ。いや、お前が怪我しても逃げるぞ」

 幸い、キヌカは軽い。抱えて逃げても速度は落ちない。

「アタシ、自分の身は守れる」

「万全ならな。怪我は色んな判断を鈍らせる」

 慎重に言葉を選んだ。

 でないと、キヌカに信用していないと受け取られる。

「はいはい、つまりは戦う、逃げる、『交渉』するの三択ね」

 選択肢が一つ増えた。

「交渉か。上手くいくとは思えないが」

「アタシが交渉する。あんたは、いけると思ったら適当に襲っちゃって」

 交渉して、丸く収めるってことじゃないのな。

「まるで盗賊だな」

「似たようなもんでしょ」

 ああそうか、俺が前のフォーセップに到着した時は、ある程度落ち着いた後なのだ。支配者のいない初期は、もっと混乱していたのだろう。

 冒険者相手の経験は、キヌカの方が上だ。それと俺は、無駄にキヌカを美化していたようだ。

「戦闘と逃走は俺が担当する。交渉は任せた」

「後、食事もアタシがやる。あんたヒドイから」

「酷いのか?」

 一度だけ、キヌカの体調不良中に飯を作った。残さず食べたから、表情が芳しくなかったのは体調のせいだと思っていた。

「あのミートパスタ、ソースに対してパスタの量が多すぎだし、酸っぱくてむせるほど辛いし、かさましにクルトン大量に入っているし、後で異常に喉乾いたから塩も大量に入れたでしょ?」

「タバスコと塩は入れた気もする。味見した時は、割と美味かったんだが」

「あんた、普段何食べてたの? ここに来る前の普段ね」

「食える物を、食える時に適当に。腹さえ膨れれば何でも。一人暮らしの男なんてそんなもんだぞ」

「アタシの家………………ご飯だけは、必ず用意されてた。ふーん、そういうもんなんだ。一人暮らしって」

「そういうもんだ。食えなくて我慢しなきゃいけない時も多かった」

 俺の間抜けが原因だけど。

「とりあえず、食事はアタシがやる。てか生活全般ね。あんたに任せたら不安しかないし」

「助かる」

 戦闘に集中できるのはありがたい。

 他の冒険者の対処に、役割分担も決まった。次は、実戦あるのみだ。けれども少し、戦いたくないようでいて、戦ってボイドを奪いたい。変に矛盾した気持ちが湧く。

「アタシとしては、平和が一番だけどね」

「ここに平和はないだろう」

 ここはダンジョンだ。

 骨髄塔と呼ばれる、世界を削り、広がり続ける地獄の中だ。

「今は平和でしょ? 景色はともかく、やってることはピクニックだし」

 平和に見える時間も、何かが品定めしている時間に過ぎない。

「上を見ろ。キヌカ、さとられないように」

「上? 全然変わらない空模様よね。濁った赤焼け。深緋、赭<そほ>が近い色なのかな?」

「黒い影があるだろ」

 蜘蛛だか、コウモリだか、よくわからない集団の影だ。

「あの雲みたいなの? ああ、気付かなかった」

「見たらすぐ下を見ろ」

 キヌカは、俺の言う通りに視線を下に向けた。

「あの雲が何よ?」

「見る度に広がっている。いや、近付いている」

「なっ、なんでそれ言うのよッ。気になって余計に見ちゃうでしょ」

「我慢してくれ」

「でも勘違いってことは?」

「俺の時は、見続けたら倍のサイズになった。コルバの計算だと、後8分見続けると地上に降りてくるそうだ」

「ヤバっ、うわちょっと待って」

 キヌカは足を止める。

「メッチャ見たい。見たくてゾワゾワする」

「やっぱりか。俺も意識した時そうなった」

 だから言わなかった。そして俺は抗えず、倍のサイズになるまで見続けた。意識が別の方向に行った理由は不明だ。

 今回それをやったら、あの雲は地上に降りてくるだろう。

「キヌカ目をつぶれ」

「どうするの? って、ほわはッ!」

 目を閉じたキヌカを小脇に抱え、走り出す。

 彼女の荷物は、彼女のボイドにより重さを止めている。故に少女一人分の重さ。今の俺なら片手で余裕に持ち運べる。

 冷たい汗が流れた。

「ねぇ! 目をつぶっても雲が見えるんだけど!」

「俺もだ!」

 見ていないのに、雲が脳裏に映る。

 キヌカに話題をふった時点で、あの雲の影響が濃くなった。

 何故だ? 

 複数人が認識すると活性化するのか?

 それとも、この通路が原因か?

「もう近くに見えるんだけど!」

 走る速度を上げて、一瞬だけ背後を見た。彼我の距離は30メートル、雲の正体が見えた。

【黒い手】だ。

 数にしたら数万以上の人間の手が、鳥のように群をなし飛んで来る。手の爪は鋭く、不潔で、捕まった時の想像はしたくない。

 急に、進行方向に建物が見えた。

 場違いな普通の、一階建ての平べったい建物。

 距離は、100メートルあるかないか。

 勘でしかないが、この【黒い手】が距離を詰めた理由は、前にある建物だ。“近寄られたくない”、もしくは“逃がしたくない”。だから活性化した。

 正解は、あの建物に入ればわかる。

 走る速度を上げた。

 幸いなことに俺の脚は、【黒い手】より速い。20メートルの距離を開けたまま、建物の50メートルまで近付く。

 このまま行ける。

 行けると思った矢先、

「飛龍どうしたの!?」

「クソッ!」

 走る速度がガクンと落ちた。

 目が乾く。頭がふらつく。脚から力が抜ける。

 冗談。

 これは、睡魔だ。

 最悪のタイミングで限界に襲われた。

 視界が黒く染まる。

 追い付かれた。

 俺は、左袖のジッパーを噛んで引く。露出した左腕、そこには凶悪な大口があった。

「ヘル・イーター! 来いッ【庇護の巨人】!」

 大口から出てきた白い尾が、【黒い手】を散らす。

 細くしなやかで長い手が、【黒い手】を握り潰す。

 艶やかな黒髪が溢れ、現れたのは蛇体の巨人。

 豊満な女の上半身に、巨大な白蛇の下半身。全長は10メートルを超えるだろう。顔と胸は長髪で隠れ、垣間見えるのは、長い牙と先割れの舌。

 神話から飛び出してきたようなボイドだ。暴れる姿は、神や魔獣そのもの。

 だが、分が悪い。

 蛇体の巨人は【黒い手】を薙ぎ払うが、数は一向に減らない。群がられ、飲み込まれつつある。

「キヌカ走れ!」

 キヌカを降ろして先に行かせる。

「飛龍も! ほらシャッキリして!」

「してる。してるつもりだ」

 キヌカに手を引かれ、【黒い手】の包囲から抜け出た。

 目の焦点が合わない。真っ直ぐ走れない。軽いはずの棍棒が異常に重い、引きずりながら走る。

 歩くような速度。

 体が重い。脚が鉛のようだ。

 ふらつきながら何とか走る。キヌカの手がなければ、俺は地面に倒れて起き上がれないだろう。

「後少し!」

 彼女の叫びに重なり、悲鳴が響く。

 霞む目で振り返る。

 巨人が殺到した【黒い手】に削られている。爪でじわじわと肉と鱗を引っ掻かれていた。甘く血がしぶき、白い肌と鱗が赤く染まる。

 この程度でボイドは死なない。人間ですら表面を失った程度では死なない。放置しても問題はない。この隙に逃げるのが正解だ。

 だというのに、

「――――――戻れ!」

 睡魔のせいか、思考と真逆な言葉を吐く。

 巨人は【黒い手】を振り払い、俺たちの方に“泳いでくる”。そうとしか形容できない速度と体のうねり。

「なっ」

 巨人は俺とキヌカをすれ違いざまに抱えると、そのまま建物に向かって泳ぐ。【黒い手】が全く追い付けない速度。一気に建物に近付く。

 それは図書館だった。

 小さくはないが大きくもない、寂れてはいないが豪華でもない、特徴があるわけでもなく、どこにでもありそうな本当に普通の図書館。

 故におかしい。

 異常な場所にある普通が、普通なわけがない。

 巨人は、図書館の入り口――――――自動ドアにぶつかる勢いで進む。

「マズっ」

 ガラスを認識していない? この図書館も異常な存在なら、物理的にはどうにもならない可能性が高い。

 ぶつかる。

 杞憂だった。

 自動ドアが開き、俺たちは図書館に転がり込んだ。

 自動ドアが閉まる、少し遅れて追い付いた【黒い手】がびっしりとガラスに張り付く。

 バシバシバシバシ、手が窓ガラスを叩く。

『………………』

 俺もキヌカも言葉が出ない。

 普通のガラスなら簡単に割れる。ボイド由来であっても、同じ異常な物体なら傷付けることは可能だ。

 次の動きに全神経を集中する。

 心臓がやかましい。手が震える。冷や汗が止まらない。【黒い手】は………………中に侵入することはなかった。

 急に完全に動きを止めた。まるで冬眠だ。

「ハァ、ハァ」

 呼吸が詰まって息が乱れる。

 後ろから髪を撫でられた。

「大丈夫だ。キヌカ」

「え、何?」

 隣にいるキヌカが不思議そうな顔を向ける。

 俺の髪を撫でていたのは、巨人だった。窮屈そうにみっちりと、体を丸めて俺の背後にいる。だぷんとデカイ胸が揺れた。

 こいつ、自分の意思があるのか? 厄介だな。意思があるなら裏切る可能性もある。使い方を考えないといけない。

「戻れ」

 左手の口を出す。

 俺の頭を撫でながら、巨人は素直に戻っていった。

 なんだかなぁ、という気持ちだ。

「エッチ」

「なんでそうなる」

 キヌカに責められた。

「何よ、あのおっぱい」

「知らねぇよ。偽黒峰が使ってた時は、死体だったんだ。再構成したら蛇女になるとは思わなかった」

「ふーん」

 キヌカの白い目。

「まさか、俺の欲望があのおっぱいを作ったと思っているのか?」

「うーん?」

 キヌカは首を傾げた。

「違うからな。絶対に違うからな。下半身蛇のデカイ女が趣味とか、そんな俺の性癖歪んでないからな」

「そこまで言うなら、信用してあげる」

「そりゃどう――――――」

 倒れた。

 起き上がれない。瞼が重い。

「キヌカ、限界の限界を超えた。俺はしばらく眠ると思う」

「ちょっと待って、テント展開するから」

「それは良いが、万が一何かに」

「テントを止めたら外からは何もされない。問題ないでしょ?」

「そら、そ―――だ」

 一瞬、気を失った。

 時間が飛んだような感覚。

「できたよ。寝てる間に体拭いてあげるから、さっさと寝て」

 気付くと、二人用のテントが設営されていた。

 OD社製のワンタッチで開くテント。緑色で横長で、芋虫にしか見えない。その中に、キヌカは荷物を放り込んでいる。

「ほら、早く。顔色悪すぎよ」

 靴を掴まれ脱がされた。

 安全靴がテントの奥に消える。ノロノロ這って俺もテントに入り、入り口を閉じた。

 何度か利用したが、割と広くて暖かいテントだ。キヌカがいる分、外で借りていた部屋より華やかで快適に思える。

 棍棒をテントの隅に、ベルトを緩め、ボディバッグとポシェットを外し、上着を脱ぐ。

「ん」

 崩して座ったキヌカが、自分の太ももを叩く。

「え?」

「ん!」

 ペチペチと太ももを叩く。

「足痺れるぞ」

「痺れたら落とすからいい」

 それはそれで、あれだ。

「ほら、頭撫でてあげるから」

「だから、あれは俺の――――――」

 脳の電源が落ちた。

 ガクンと、キヌカの太ももに顔を埋めた。

 スベスベしたタイツの感触と、柔らかい肉の感触。汗とミントと甘い匂いがする。

「はぁ、巨乳好きかぁ~」

「違」

 反論する前に俺は眠りに落ちた。

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