<第三章:グリード> 【04】


【04】


 赤い夢を見た。

 緑あふれる大地を燼滅し、荒野に変える夢だ。

 文明が憎かった。

 生物が憎かった。

 自然が憎かった。

 ただただ、全てが憎かった。

 だから、殺した。

 殺し尽くしても尚、憎しみは消えず。精神の底に、タールのようにこびり付いて残り続ける。

 無明の夜空を睨み付け、遠い日の幻影すら憎む。

 ああ、俺は何故憎いのか。そんなことは、当の昔に忘れてしまった。憎いから憎い。ただそれだけのことなのに、どうしてか時々、遠い星の郷愁を――――――


 目覚めた。


 赤い天井が見える。

 瞬きすると色彩は元に戻った。

 水が溜まったように頭が重い。

 深呼吸を一つ、状況を確認。俺は下着姿だ。手足はある。幻肢ではない触れて確認できる。指も揃っていた。

「いつッ」

 体を捻ると、肩と脇腹に激痛が走る。深い傷だ。大量のホッチキスのようなもので、傷を合わせてある。

 他にも傷は沢山あるようだ。体の至る所に湿布やテープが貼られ、意識すると痛みと熱が湧き出てくる。

「まあ、生きてるし問題ないか」

 食って寝れば回復するだろう。

 俺って、こんな感じの人間だっけ? 前は、いや前にこんな経験はしてないから、元からこんな人間だった可能性もあるか。極限状態だと、人間の本性は出てくるものだ。

 しかし柔らかいようで硬い枕だな、と思っていたのはキヌカだった。

 彼女は、俺の後頭部を腹に置いて眠っている。格好は、大きめのシャツ一枚。しかもそのシャツ、俺の物な気がする。

「んー」

「悪い。起こした」

 目覚めたキヌカが背伸びをする。俺の後頭部から離れる様子はない。

「あんた寝過ぎよぉ」

「二日くらい寝てたのか?」

「七日」

「それは本当に寝過ぎだな」

 でも、前に二十日寝てた記録があるからな。

「怪我の治療で何回か止めてたから、正確には四日くらいかもだけど」

「止める? ああ、お前のボイドか」

「あーこれ、アタシのボイド」

 キヌカは、ベッドの脇に置いたペーパーナイフを手に取る。びっくりするほど無造作に置いてあった。

「これで触れたものを、触れている間、止めることができる。あんたが錆で死にかけた時も、これで錆を止めて治療した。今回は出血止めるのに使ったんだけど、コルバが言うには時間も止めていたっぽい。後、椅子の視線も止めれたし、正直アタシにもよくわかんないとこ多い」

「凄いボイドじゃないか」

 応用が効く上に、一撃必殺にもなり得る。

「当たればね。アタシがザコだから、戦闘で使っても蹴られて終わるだけだし」

「お前が頑張れば強くなれるわけだ」

「頑張るって、何を?」

「筋トレとか?」

「アタシ、懸垂できない」

「腹筋は?」

「腹筋は得意よ。マットの上で跳ねれば、何回でもできる」

「………………」

 色々と見直す部分が多いな。

「てか、あんたってあの折れた剣だけで黒峰倒したの?」

「違う」

 キヌカがボイドを明かしてくれたんだ。俺も言うか。

「左腕に口が………………あー確か」

 俺は口元を左腕で隠す。すると、左腕に口が出た。この動作がスイッチのようだ。

「うわっキッモ」

「このキッモい口の中から、破壊したボイドを再構成して出せる。おい、出せ」

 口は無反応だ。

「ハサミだ。ハサミのボイドを出せ」

 うぇっと口が双剣のボイドを吐き出した。

「こんな感じだ。あのハサミ野郎、色んな人間の首を刈ってた。黒峰も、正確には黒峰じゃなかった黒峰もな。俺がボロボロになって、ようやく使えるように――――――」

 キヌカは俺の話をあんまり聞いていない様子で、

「えいっ」

 いきなり左腕の口に、片手を突っ込んだ。

「ちょっ!」

「痛っ」

 驚いた様子でキヌカが手を引っ込めると、手首がなくシャツの袖がぶらんぶらんと揺れる。

「ぎゃああああああ!」

 俺は絶叫した。

「ウッソー」

 キヌカは袖から手を伸ばした。

「………………」

「驚いた? あ、怒った?」

「ちょっと心臓が止まった」

 マジで一瞬心停止した。

「アハハハ、ごめん。ごめんて」

 キヌカは俺に絡まると、人の髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。

 意識すると、自分から消毒液や、湿布の匂いとは別に甘い匂いがした。キヌカの匂いだ。七日も一緒にいたら匂いも移るのだろう。

「昔、お隣さんが犬を飼っていてね。ボーダーコリーを」

「ん?」

 キヌカは全然関係ない話をしだす。

「友達のいないアタシとよく遊んでくれたんだ。夜遅く塾から帰ってきても隣の庭から『おかえり』ってしてくれた。でもね、アタシの母親に噛みついて、警察沙汰になって、お隣さん引っ越しちゃったのよ。賢い子だから、アタシが母親にされていたことに気付いたのね」

「そうか」

 キヌカがそう思うなら、そうなのだろう。

「それでこの髪の感じが似てて………あんたって、あの時のボーダーコリー?」

「前世のことはわからんが、俺は人間だ!」

「制服着てる時の配色も似てる」

「間違いなく気のせいだな」

 とんでもない勘違いである。

「冗談はさておき、ね」

「冗談に聞こえなかったが」

「これどうする?」

 キヌカは、腕時計型の端末を差し出す。

「誰のだ?」

「黒峰の、たぶん」

「コルバ、この端末に幾ら入ってる?」

『三十億です』

 どうやったら使いきれるのか全くわからない金額だ。

「なーんだ。黒峰のことだから、百億くらい貯めてると思ってた」

「キヌカ、驚かないのか? コンビニの商品全部買えるぞ」

「たぶん、店舗ごと買えると思うわよ」

 女って奴は、現実に直面するとドライになるな。参考例は一つしかないが。

 とりあえず、約束通り。

「コルバ、この端末の金を俺とキヌカに送ってくれ。半々で」

『了解』

 自分の端末を確認すると、本当に十五億入っていた。意味がわからない金額だ。

「キヌカ。これだけあれば、母親を札束で往復ビンタできるな」

「札束で溺死させる」

「冗談だよな?」

「………冗談よ」

 冗談に聞こえなかった。

「あんたは、どうすんのよ? 帰還日、明日よ」

 明日なのか。あっという間だったな。

「俺は進む」

「え? でもボイド手に入ったよね? 手のもそうだけど、試験場に積んであるのも全部あんたのよ。アタシはお金だけで十分だし」

「足りない。もっとボイドが欲しい」

「どのくらい?」

「全部だ」

「無理でしょ?」

「無理だろうな。でも、夢は叶わないほど大きい方が良い」

「いや、わけわかんない。死ぬまでそれ追い続けるの? ここで?」

「俺が飽きるまで、諦めるまでが、夢の期限かな」

「忘れてるみたいだけど、来年の四月が最終帰還日よ。残留とかできるの? 追い出されるんじゃないの?」

「そういえばそうだった。コルバ、残留は――――――」

『できません』

 俺の大きな夢は、一年の期限付きとなった。

 とは言え、

「先のことはわからん。飽きてる可能性もある。その前に死んでる可能性も高いか」

「一年後かぁ。アタシもわかんないかなぁ」

「自由を買える金はあるだろ。好きに生きろよ」

「好きに。うーん」

 キヌカは考え込んで丸くなる。俺の頭部を抱えたままである。

 腹と太ももに挟まれた。気付かれないように深呼吸する。

 甘い。

 なんかクラクラしてきた。

 てかこいつ、距離感が完全にバグっているぞ。

 生死は共にしたけど恋人でも何でもないのに、ここまでの密着は色々とマズいだろ。俺に女性経験があったら襲っているぞ。

「好きにって言うんなら――――――」

 キヌカの声を、ノックが遮る。

 名残惜しいが、俺は上体を起こした。

 傷の痛みで顔が歪む。動けなくはない。

 戦闘も無理をすればいける。

「寝てなきゃダメよ」

「大丈夫だ。キヌカ、ちょっと隠れてろ。念のために」

「いいけど、そんなに警戒する必要ある?」

「して損はない」

 キヌカはベッドの下に隠れた。

 俺の左手には折れた剣がある。取り出したつもりはないが、極自然と手の中にあった。右手に持ち替え、扉の前に立つ。

 最後の一人がその先にいる。

 鬼が出るか仏が出るか。

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