<第三章:グリード> 【02】


【02】


 黒峰を見上げて言う。

「新しい夢が見つかった」

「そりゃよかった」

 微塵の興味もないのに、黒峰は愛想笑いを浮かべる。

 俺は、制服の袖を噛んで左腕を奴に見せた。丁度、口元を隠す形になる。押さえをなくした腹から血が流れるが、出血など気にしている暇はない。

 地獄が、すぐそこにあるのだ。

「ボイドを喰らう。俺のボイドで、全てのボイドを喰らう。どうせなら、夢は大きくってな」

「なんだ、それは」

 黒峰は、顔を歪ませた。

 何か忌まわしいものを見たようだ。

「質の悪いボイドだ。俺がこんだけボロボロになって、やっとこさ目を――――――いや、口を開いた」

 左腕の手首から肘にかけて、そこには横長の大口があった。

 ゾッとする鋭利な歯並び、鮮血のような歯茎、唇はなく、口の奥には底の見えない赤い闇がある。

 ボイドが目覚めた影響だろうか、知識が上書きされる。一瞬で性能と仕様が理解できた。

「おら、さっさと出せ」

 グェッと口がえづいて、双剣を吐き出す。

 折れそうなほど細い片刃である。短い柄、穴あきの柄頭。一つは変哲のない鋼の刃で、もう一つは半透明の刃だ。

 震える手で双剣を構え、刃をハサミのように重ねる。

「説明してやる。俺のボイドは、“破壊したボイドを再構成して吐き出す。”さて、一つ質問だ。お前がハサミに執着したのは、本当に翼のボイドと戦うためか? それとも、お前もハサミに切られたからか?」

 双剣を黒峰に向けると、奴は恐ろしい速度で落下してきた。鉄杖を振り上げ、投げ放とうとしている。

 遅い。

 双剣を閉じた。

 さしたる抵抗もなく、あっさり、ジョキンッと黒峰の首が落ちる。

 翼と体は力を失い、ボイドの作り出した地獄の天候に飲まれて消えた。

 鉄杖が近くに突き刺さる。

 左腕を当てると、大口が鉄杖を喰らった。

 バキボキ鈍い音と共に、満たされた地獄の半分が消える。もう一口で、全ての地獄が夢幻と消えた。

「お前の敗因は、高い所から見下ろしてたことだ」

 とは言ったものの、

「ゴフッ」

 血が止まらない。腹から腕から自分の口から、その他色んな場所から。

 相打ちか。

 でもまあ、目茶苦茶強い相手だった。俺みたいな素人が勝てたのは、運が良かっただけだ。もう一度戦ったら絶対に勝てない。でも、勝利は勝利。俺は勝った。誇ってもよい勝利だ。

 大の字で倒れ込む。

 下はボイドの小山である。これが全部、俺とキヌカの物だ。良い達成感である。

 深呼吸を一つ。

 最後の再生薬を手に取る。

「コルバ、これ打ったらヤバいか?」

『危険です。既に致死量を超えており、記憶障害を始め、様々な後遺症が予想されます。現在、何故、無事なのか理由がわかりません』

「無事じゃない。死にそうだ」

『そうですか。お疲れ様です』

 淡泊な返事だ。

 勝利を称える言葉の一つでも、言ってもらいたいもんだ。

「ともあれ、打たないと死ぬよな?」

『あなたに寄生したボイドは性能が未知数です。それに起因する肉体の強化も、まだ数値化できていません。適切な治療を施せば、助かる可能性は………………28パーセントあります』

「高いな」

『そうですか』

 俺にしては高い。

 薬はなしだ。

 帰って寝よう。それか、またキヌカに治療を――――――忘れてた。

 通信機を取り出そうとする。

 尻のポケットに入れたせいで、なかなか取り出せない。少し体を動かすだけで激痛が走る。

 その時、急にコルバが話し出す。

『V-355-S2、V-88-DCの情報更新に伴い、報酬が支払われます』

 端末に振り込まれた金額が表示された。

 3000万だ。外の世界なら遊んで暮らせる金額。ダンジョン内では、消耗品を買って全部消える金額だ。

「どうした急に」

『あなたの働きにより、ボイドの新しい情報が発見されました。その報酬です』

「DCってのは翼のことだよな。355って、どのボイドだ?」

『V-355-S2【密やかなるオルガネラ】は、ナメクジに似た緑色の物体です。人間の鼻腔に寄生して、他の如何なる物体にでも、使用者の情報を完全に転写します』

「そんなもん、どこに………あ、貝のやつか?」

『違います。あれはV-308-S3【マンハンター】。射程内の人間を殺害するだけのボイドです』

「ん? 人間を殺害するだけって、なんで黒峰は狙われなかった?」

『黒峰と名乗っていた者が、人ではなくボイドに近い存在だからです』

「………は?」

『V-88-DC【偽翼】の精神伝播は、ボイドを挟むことで防護できる。これは当社にとってとても有用な情報です。あなたの昇進を申請しておきます』

 俺は、嫌なものを見た。

 古臭いホラー映画のような光景だ。

 首のない死体が、小脇に黒峰の首を抱えてボイドの小山を登ってくる。

 死体が跳ぶ、人体の関節を無視した無茶苦茶な動きだ。

 構える暇もなく、首なし死体に両手を踏まれて拘束された。

 死体が、首を俺の前に差し出す。

 首が喋り出す。

「最初に会った時、君はこう言ったな。『黒峰って顔してねぇだろ』って。内心、肝が冷えたよ。しばらく話して安心したけどね。他の奴らと何も変わらない、ただの馬鹿だって」

「その馬鹿に首落とされて、何言ってんだ」

「そこは褒めてやるよ。でも賭けは僕の勝ちだ。このボイドを使って色んな体を渡り歩いたけど、死体になっても記憶は残るのか、支配を続けられるのか、試したことはなかった。まあ、杞憂だったけどね」

 小賢しいボイドだ。

「いつ黒峰に乗り換えた?」

「秘密」

 こいつが黒峰じゃないとわかって、一つ納得したことがある。

「お前の戦い方、保身しかない小心者の戦い方だ。こんだけあるボイドを、全然使いこなせてねぇ。それも納得だ。身がないんだよ、寄生虫」

「ほえてろ、ほえてろ、負け犬。あーでも、その負け犬になるのか僕は」

 生首の口が開くと、中から緑色の大きなナメクジが出現した。

「本当に虫かよ!」

 思わず声を上げる気持ち悪さ。

「安心してくれ。君の人格は綺麗に消える。残った前例はない。そういえば、元の持ち主はどうなるか知らないな。どうでもいいけど」

 ナメクジが人間のように喋る。尚のこと気持ち悪さが倍増した。そんなものが、俺の胸に降りて這いずる。悲鳴を上げるところだった。

 ナメクジが顔面に張り付いてきた。

 耐えれるだけ耐えたが、呼吸ができなくなり本能的に口を開いてしまう。

「がっぐぇ」

 口に入り込まれる。俺の抵抗を意に介さず、喉の奥へ侵入する。猛烈な吐き気で胃の中身をぶちまけるが、ナメクジは胃よりも上に移動していた。

 黒峰だった死体が、影のような真っ黒い物体になり消えた。

 同時に拘束も解ける。

『じゃあね。さよならだ。全てのボイドを集めるという君の夢、君のボイドを利用して僕が叶えてやろう。後、趣味じゃないけどキヌカも抱いてやるよ』

 頭の中から奴の声が響く。

 頭蓋骨の奥から砂利を潰すような音が聞こえた。肉の焼け焦げる匂いがする。

「………言っただろ。お前の敗因を」

『まさか、まだ逆転できるとでも? こうなったらどうしようもないよ』

「高い所から見下ろして、自分が踏んづけたもんを見逃す馬鹿が。死なば諸共だ」

 俺は、最後の再生薬を打つ。

『待てッ、おい。死――――――』

 時間が止まった。

 感覚が暴走しているのだろうか? ただの幻覚を見ているのだろうか? 遠く部屋の隅にある傷の一つすらハッキリと見えた。見えないはずの、背後のボイドの形まで理解できる。昔見た花を見た気がする。

 止まった時間が動き出すと、今度は加速した。

 自分の心臓がうるさすぎる。これでは爆発音と同じだ。よくわからない思考が百や二百浮かんでは消えて、また浮かぶ。やがて思考は、理解できない異音になり脳内を駆け巡る。

 思考の奔流と、体の爆音で、脳も体も破裂しそうだ。

 誰かが悲鳴を上げているが、声が小さすぎて聞こえない。そいつの心臓の音も小さすぎて――――――いいや、小さいが聞こえる。

 捉えた。

 俺は、折れた剣を取り出して、自分の口に突っ込んだ。

 ノイズの嵐の中でも、正確に奴の居場所を特定できた。暴走した感覚のおかげで、自分の部品を正確に把握できる。

 刃は硬口蓋を貫いて、鼻腔に達する。

 小さな心臓を止める感触。

 刃を引き抜くと血を吐き出す。吐きすぎて、驚くこともない。

 鼻奥から喉に降りてくる、ドデカイ異物感。

「うぇっ」

 緑色のナメクジを吐き出した。

 心臓を貫いたはずなのに、ナメクジは再び動き出す。だが所詮はナメクジ、這うことしかできない生物だ。剣で刺し止めれば、それでもうどこにもいけない。

 シュンと音が消えた。

 静かで落ち着いた元の世界に戻る。

 不思議と気分が良い。

 清涼感すらある。

 呼吸するだけで細胞が浄化されるようだ。

 オーバードーズの体調とは思えない。いや、キマってるだけかも知れないけど。

「コルバ、なんで俺生きてる? それとも、これから死ぬのか?」

『V-355-S2の特異性が上手く働いたようですね。V-355-S2は、寄生した“どのような物質も”人間のように動かします。あなたの体は異常をきたしていたので、まずは人のレベルにまで整えようと、再生薬の薬効を分解、もしくは取り込んだのでしょう』

「俺の毒を吸い上げたのか? こいつが?」

『近い認識です』

「だってさ。最後に言うことはあるか?」

「………………」

 ナメクジは、何も言わない。敗者は何も語らない。その潔さだけは良しとする。

 ナメクジを両断した。

 その体は、他のボイドと同じで夢のように消える。

「安心しろ。お前だけは絶対に使ってやらねぇ」

 ナメクジが大嫌いになった。

 もう一生見たくない。

 息を吐いて、気を抜いた瞬間、部屋が揺れた。

 地震とは違う。何かが、何かをぶっ叩くような振動だ。

「お次はなんだ?」

『V-88-DC、活動再開です』

 試験場の扉が吹っ飛んだ。ぶ厚い扉が、飴細工のように曲がっている。

 そこから溢れ出てきたのは、鉄の翼をもった集団だった。

 数は四十人近く。黒い制服の老若男女、その全てが量産品のような柔和な笑顔を浮かべている。先頭に立つのは胸の大きな白石とかいう女だ。

 彼女は、手を伸ばし俺に言う。

「不信者は死にました。信奉者は死にました。神は死にました。ならば、残された者は全て死すべきなのです。さあ、あなたにも、旅立ちのための翼を差し上げましょう」

「間に合ってます」

 双剣を翼達に向ける。

 ほんの少しだけ躊躇う。殺しに来た奴を殺すのは、なんの迷いもない。欠片の罪悪感もない。だが、この女の背後にいる連中は、ただの犠牲者だ。この女ですら、助けられる手段があるのではないだろうか? 例えば、翼を俺のボイドで喰らうとか――――――思考に空白が生まれ。

 気分はともかく、体は良くはない。動けるが、飛んだり跳ねたりはできない。あの数はどうやっても無理だ。こいつらに命を賭ける理由もない。

 切り替えた瞬間、自然と刃を閉じた。

 翼達の首が落ちる。

 ボロボロと熟れた実のように転がる。

 命を失った体が積み重なり、何かにすがり死んでゆくような、前衛芸術の一幕に見えた。

「終わってみれば、あっさりな」

『いいえ、終わっていません。再構成しています』

 コルバの声で、翼達を注視した。

 転がった首が一か所に集まり出した。首のない体も動き出している。別の集団、別の生き物になろうとしている。

 こいつは、今の俺のボイドじゃ足りない。殺しきれない。

 良くも悪くも、予定通りになってしまったか。

 通信機を取り出す。

「キヌカ、俺の仕事は片付けた。後は頼む」

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