<第三章:グリード> 【01】
<第三章:グリード>
【01】
両開きの大扉を開ける。
ボイドの試験場は、正方形の巨大な空間だった。
端から端まで、200メートルはあるだろうか。床には大きな爪痕があった。壁の一部が大きく融解して固まっている。高い天井には、幾つもの赤い沁みがあった。
何を“試験”したのやら。
「遅かったね」
50メートル先に黒峰はいる。
ガラクタの小山の上に、王のように座っていた。こいつが下に敷いたのは、全部ボイドだろうか。何個ある? 二十か? 三十か?
全て扱えるなら、戦いにならないぞ。
「………色々と建て込んだ」
「“女”の準備は色々と時間がかかる。わかるよ」
気付かれたのか、カマをかけられているのか。わっかりにくい奴だ。
「ああ、君。そこまで。そこで足を止めて欲しい」
無造作に近付く俺を、黒峰は静止した。
彼我の距離は20メートルと少し。たぶん、ギリギリ一息でいけない距離だ。
「君に、一つだけ聞きたいことがある」
「何だ?」
ぐしゃぐしゃと黒峰は頭を掻く。
「何故、ダンジョンに?」
冒険者共通の話題だった。
「ボイドが欲しくて来た」
「ボイドで何を?」
「そこんとこが俺にもわからなくて困っている。一つでも欲しい。一つでも手にしたのなら、俺が見る景色は変わると思っていた。ところがどうした」
「変わらなかった」
「いいや、変わった。変わったが―――――――」
根底にあるものが変わらない。
変わっている気がしない。
俺の心は、『一つでも欲しい』と思っていた俺と全く同じだ。
黒峰は、嬉しそうに語る。
「人間の欲望にはキリがないよ。次から次へ、あるだけ沢山、持ちきれなくなって破滅するまで、死ぬまで喰らう。おめでとう、君はボイド使いのスタートラインに立った」
「そうなのか」
「そうなのさ」
違うな。
実感できていない。
他人に『はい、これが新しい夢です』と言われても納得しない。しないのが俺だ。だから、違う。全く、全然、これっぽっちも正解ではない。
「黒峰、お前はどうなんだ? 何故、ダンジョンに来た?」
「今となっては………………そうだな。そう、変わらないか。僕は世界を滅ぼしたい」
「はぁ?」
何を言っているんだ。
「ボイドの多くは、簡単に世界を滅ぼせる。なのに残った国家も、カルトも、企業でさえも、ボイドを世界生存のために利用しようと考えている。違うんだ。これは違う。ボイドはそんなことのために使うものじゃない。ダンジョンに食われて、ゆっくりと世界が滅びる前に、人類最後の、明るく大きな花火を上げるためにある」
「これっぽっちも理解できない」
こいつ、俺よりも馬鹿だろ。
ただの狂人だ。
「よく言われる。でも意外だ。君には、わかってもらえると思っていた」
「俺は世界なんてどうでもいい。お前が滅ぼしたいなら、『はい頑張って』と言っておく。ただ、俺の邪魔をするなら殺す」
黒峰は、目を細めた。
「ハサミを渡してくれ」
「………………」
俺は、クルトンを指で弾く。もう一つを足元に落として踏む。
10メートルを転移して、そこから一息で黒峰の目の前まで距離を詰めた。左腕からボイドを取り出す。狙うのは心臓。
黒峰が手にしたボイドは、魔法少女のステッキを模した安っぽく汚れた玩具だ。
こんな物で、俺のボイドを受け止められるわけがない。刃の切っ先が、後数ミリのとこまで迫り。
「お水」
黒峰の声の後、頭上から飛来した物に、俺は叩き付けられ揉みくちゃにされる。混乱した脳が酸素を求め、大量の水を飲み込んだ。
水中にいる?!
転移か?!
視界が濁る。声はくぐもる。耳には痛み。
必死に周囲を観察する。床の爪痕を見つけた。ここはまだ試験場だ。ここに水が満ちているだけだ。遠く離された場所に黒峰がいた。水を防ぐ術があるのか、余裕の様が微かに見えた。
マズい溺れる。
水中ではクルトンは使えない。
泳いで行こうにも遠すぎる。息が続かない。簡単に近付けないとは思っていたが、こうも簡単に対策されるとは流石だ。
俺一人の力では、ここで終わっていた。
一人の力なら。
俺は剣の柄を口に咥え、背に隠した拳銃を抜く。
壊れたコルトガバメント。キヌカから借りた上杉のボイドだ。
門外の言葉が頭に流れる。
五つか、六つあったモットーの内、思い出せたのはたった一つ。
『限界などない』
ただそれだけ。
左手で水を掴む、引き金を引いた。
空間を満たしていた大量の水は、瞬時に消える。そして、銃口から水圧カッターのように放たれた。
「クソッ」
外した。
黒峰の右隣を大きく切り裂いて外す。水中の視界と態勢では、まともに狙えなかった。
俺は五メートルの高さを落下、無様に着地。
「ツララ」
声と共に、黒峰がステッキを振る。
試験場の天井が凍り付いた。そこから、人間よりも大きなツララが降り注ぐ。逃げ場がない。
いや、一つだけある。
俺は銃をしまい、再びクルトンを投げた。
キヌカの撥水スプレーのアイディアは大正解だ。使ってなかったら、あらかじめ用意していた分が全て駄目になっていた。
彼我の距離は、60メートル。二度の転移で20メートルまで詰める。
落下音が聞こえるまで、ツララは迫っていた。
地面を蹴り上げる。爆発したような加速、体を砲弾のように放つ。単純な速度だけで言えば、クルトンで転移するよりも自前の脚の方が速い。
だが、不安がある。
俺の体の限界だ。ボイドで強化されたとはいえ、元の体は一般人に過ぎない。時間がなさ過ぎて体力の底や、肉骨の強度、心臓の耐久性がわからないまま。
長期戦は絶対にできない。
できるならこれで、最悪でも次の手で殺す。
走りながらクルトンを三つ投げた。
黒峰の左右に一つずつ、俺の少し前に一つ。
左右の二択、正解は―――――――フェイントだ。
転移すせず真っ直ぐ進む。黒峰の左右、クルトンが置かれた場所に棘が突き刺さった。同時に、ツララも落ちる。砕けた氷が稲妻に似た音を上げる。
読み通り、黒峰の傍にはツララは落ちてこない。透明で巨大な何かが、傘になっている。
ボイドの山を駆け上がり、俺は黒峰に肉薄した。
全体重と速度を載せて折れた剣を突き出す。
「おしいね」
剣は、黒峰には届かなかった。
俺の下半身に黒い毛髪が絡み付いている。後一歩、一歩進めば黒峰の眼球を貫けるというのに、足が地面に縫われたように動かない。
「残念、接近戦の対策は万全だよ」
ツララを弾き終えた何かが、俺の胴体を掴む。姿を現したのは、痩せ細った巨大な手。人間を一掴みできる巨人の手だ。
視界が高くなる。
俺は振り上げられ、床に叩き付けられた。自分の内側が破裂する音を聞いた。世界が回る。意識が暗く沈む。剣を床に突き刺し、転がる体を止めた。
距離がまた開く。次は30メートルから。
「ッが」
血を吐いた。しかし、吐血が気にならないほど体中が血で濡れている。痛みが遠い。危険なサインだろう。
「タフだねぇ」
黒峰に纏わりついている巨人が姿を消した。
あいつから先にどうにかしないと、刃は届かない。
再生薬を打つ。
これで残り一本。
「うっ」
強烈な眩暈と吐き気に襲われた。損傷した場所が溶けるように熱い。体から蒸気が上がる。
「ああ、その薬。他にも打った奴がいたけど、三本目で体が破裂していたよ」
血を飲み込む。気迫で体の不調を抑える。
戻ってきた痛みが、全身を駆け巡った。生きている。痛みは生きている証だ。生きているなら、まだまだ戦える。
黒峰は、涼しい顔で俺に拳銃を向けた。上杉のボイドだ。
奪われた。
巨人に投げられた時に落としたのだろう。
「ボイド使いの悪癖でね。新しいボイドを手にしたら、使わずにはいられない」
黒峰はステッキを手放し、左手に一塊の氷を持った。
「それが――――――」
俺も足元にある氷の欠片を拾い、胸元から拳銃を取り出す。
「――――――偽物でもか?」
黒峰の判断は早い。拳銃を捨てて、ステッキを持ち直す。
俺は、拳銃を黒峰に向かって“投擲した”。残念、こっちが偽物だ。遠目じゃないと拳銃にすら見えない偽物だ。
実体化した巨人に、投げ付けた拳銃は防がれる。バラバラになる偽物の拳銃。金属片と、パテと、粘土、それと仕込んだクルトンもバラ撒かれた。
胸ポケットに隠したクルトンを踏む。
再び、黒峰の前に立つ。
彼我の距離は10メートル。
次は、間違えない。一撃で決めようなんて甘い考えは捨てる。
ボイドの山から、見覚えのあるボイドを掴む。廃材で作られた棍棒のようなボイドだ。キヌカを傷つけたそれは、サイズからは想像できない軽さで振り上げることができた。
だが、打ち下ろされた棍棒に軽さはない。
棍棒を受け止めた巨人が、悲鳴を上げる。甲高い女の悲鳴と、骨の折れる鈍い音が混ざる。折れた剣で巨人の腕を突き刺す。何度も何度も、掴んだ棍棒を離すまで突く。棍棒を離させたら、また力強く振り下して叩き付ける。
巨人を壊す。叩き付け折りながら、突いて裂いて折り、壊してゆく。生臭い魚のような血の匂いがした。
鈍いな。
巨人の動きが思ったよりも鈍い。このボイド、黒峰を守る時は恐ろしく俊敏だったが、自分を守るのは苦手なようだ。
やがて、一際大きく骨が鳴り、肉が大きく裂け、長い悲鳴が響く。
俺は、もぎ獲った巨人の腕を遠くに捨てた。
黒峰は動かない。
ボイドの上に腰かけたまま、王様気取りで俺を見下ろしている。
巨人の髪が俺の下半身に纏わりつく。気色悪さに耐えて、巨人の頭を棍棒で叩き潰した。剣で心臓を貫くと、巨人は跡形もなく消える。
匂いすら残さず、夢のように。
「やるね。そいつ、防御に関しては最高のボイドだよ」
「そうかい」
衝撃に襲われ、棍棒が手から離れた。
黒峰の肩には、拳サイズの貝がいた。貝は、ナメクジみたいな口を俺に向ける。
ゾクリとした悪寒。
直感だけで剣を振るう。重たい衝撃で右腕が跳ね上がった。遠くの床に、長大な棘が突き刺さる。
彼我の距離は8メートル。まだ8メートル。長い長い8メートルだ。
俺は進む。
決して怯まない。ブレーキは踏まない。
棘を剣で弾く。衝撃で肘が痺れる。剣を握る手に血が滴る。構わず、進む。
棘を弾く度、衝撃で体のどこかが嫌な音を上げた。口から血が流れた。折れた剣の歪な刃に亀裂が走る。
短い時間でわかったのは、発射間隔は最速でも二秒。棘は恐ろしく重く、全身全霊で剣を振らないと防ぐことができない。
後、再生薬の効果が薄い。
前は手足が錆びて落ちても治したというのに、今は簡単な骨折や、皮膚の出血すら止められない。
だが退かず、一歩、一歩、踏み締めて確実に、ボイドの山を登る。
なんだろうな、この高揚感は。
全身痛いし、心臓が破裂しそう。呼吸すら満足にできない。死神が肩に触れている最悪の状態だ。最悪だというのに、俺は今、楽しくてたまらない。
ああそうか、わかった。
やっとわかった。俺の夢は―――――――
視界が開けた。
登頂完了だ。
大した景色じゃない。
至近距離で撃ち出された棘を、俺は頬と肩で挟む。近付いたおかげで、発射前の装填音を捉えることができた。がっつりと頬の肉を抉られたが、止めることはできた。
二秒より早く、貝に棘を投げ返す。
貝の防御力は、普通の貝と同じだった。簡単に自分の棘に貫かれて砕ける。
黒峰が立ち上がる。
「やっと、ケツを上げたな」
「健闘を讃えて、拍手でもしようか?」
「お次のボイドはなんだ? 全部ぶっ壊してやる」
「残念だが、後二つだよ」
間合いだ。
音よりも早く剣を振るう。狙うのは首、その後は心臓を突き刺して終わらせる。
が、
澄んだ音色を上げて、剣の刃が砕け散る。
黒峰を、背から生えた『鉄の翼』が守っていた。翼は、俺の腹と右腕を切り裂き羽ばたく。ボイドの小山よりも高く、高く飛ぶ。
黒峰は、鉄杖を掲げた。
その杖の先端には、小さな鐘と、古びたスピーカーと、宗教的なシンボルに、七つの干し首が巻き付いている。
スピーカーからは不協和音が流れ、干し首が一斉に喋り出す。
『“天使”予報をお伝えします。フォーセップ、ボイド試験場付近では、局所的に超低気圧が発生する為、大気の状態が非常に不安定となり、ただ今から冬型と滅びの気圧配置となり、大雪、ところにより雷雨を伴って、有害な黒い雨が降り注ぎ、地獄の業火が地上から吹き上がります。そして、世界は滅びるでしょう』
世界が変わる。
大雪が降り、雷が降り、黒い雨が降り、地面からは炎が吹き上がる。
世界が終わる光景だ。
「さあ、世に地獄は満ちた。頼みのボイドは折れ、飛ぶ手段もない。おまけに重症だ。どうする? そろそろ、ハサミの在りかを言った方がいいよ。………………でなけりゃ次は、君の女に同じ質問をする。君に味わわせた傷と痛みを百兆倍にしてな。安心してくれ、絶対に殺さない」
俺は笑う。
右腕が千切れそうだ。腹は左手で押さえていなければ内臓がこぼれ落ちる。この地獄に飲まれる前に、俺は死ぬかもしれない。
何度も何度も死にかけ、もう抗う術もなく、本当に死ぬしかない状況に陥って、ようやく、ようやくだ。
「寝坊助が」
俺のボイドが目覚めた。
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