<第二章:ハンティングライフ> 【04】


【04】


 何事も準備は大事。

 と、初日に死にかけた俺は、痛感しながら買い物に行く。もちろん、自販機コーナーに。

 その道中、エントランスでとんでもない物を見た。

 赤黒い、巨大な氷の塊だ。

 恐る恐る近付くと、幾重にもなった翼の塊が見えた。黒峰の言っていた“封じ”、とはこれのことだろう。

 ボイドによる凍結。しかしそれも、溶けかけている。ぎょろりと、氷漬けの人間と目が合った。

 今はどうしようもない。

 無視して買い物だ。

 キヌカのメモを片手に、自販機コーナーを駆ける。

 大容量のバックパック、蛍光ペン(色は十色以上)、粘土、パテ、金属片、下着、肌着、生理用品、通信機、双眼鏡、ライター、ファイアスターター、ナイフ、ハンマー、折り畳みスコップ、カップ、石鹸、歯ブラシ、タオル、裁縫道具、携帯コンロ、飯ごう、テント、寝袋、水筒、粉末コーヒー、チョコ、プロテインバー、キャンディー、大量の小麦粉、最後に、食料と水を沢山。

「重っ」

 バックパックがパンパンである。

 ボイドに強化された俺の体でも、なかなかしんどい重さ。いや正直、強化されたと言われても実感はない。敵が強すぎるのが原因だろうか? 慌ただしいのが原因か? 落ち着いて自分を観察する時間が欲しいものだ。

 荷物を抱えて部屋に戻った。

 そこから、時間に追われ準備を始める。


「こういうのって、『生きてる』って感じする。しない?」

 キヌカの言葉に俺は大きく頷く。

「わかる。銀行強盗の準備みたいな」

「いや例えよ」

「それじゃ遠足の前日だな」

「子供っぽい。小学生か」

「修学旅行は………………中高とテロがあって前日に中止になった。まあ、用意は楽しかった。用意だけはな」

「アタシも行ったことない。家庭の事情で」

『はぁ』

 二人で、ため息を吐いた。

「あんた、旅行とか行ってみたい系の人?」

「ここもある意味、旅行みたいなもんだろ」

「いや危険でしょーが、とてつもなく危険でしょーが」

「海外旅行も危険だろ。無政府状態の国ばっかだぞ。よくても内戦中だ」

「国内旅行でいいじゃない」

「国内のどこ行きたいんだ?」

「温泉とか?」

「ああいうとこは、どこも海外の富裕層に買われて一般人は近付けない。水源は貴重だからな。十年もしたら、水は今の倍の価格になるって話だ」

「一応、アタシ達も富裕層になるんじゃないの? 全部奪えたら」

「そりゃそうだ。でもなぁ、俺は貧乏が身に沁みついてる。金の使い方がわからん」

「簡単よ。少しずつ生活のグレード上げるの。食事に一品追加とか、デザートを100円高いのにするとか、少しずつね。一気に生活水準上げるから、色々麻痺っておかしくなるの」

「それじゃ、コンビニで魚肉ソーセージ以外の物を買う。弁当とか、サラダチキンとか、ケーキとか」

「あ、良いかも。アタシもコンビニで好きなもの買いたい」

 直面している危機と、報酬の割に、お互い安上がりな希望だ。

「やっぱ、無人島でも買うか」

「いきなりスケール大きくなったわね」

 黒峰は、十二億を慰謝料でポンと渡すやつだ。どれだけ貯め込んでいるのやら。キヌカと半々にしても使いきれない額になる。

 あー税金とか、どうなるんだろ。

 さっぱりわからん。

「よしっ、アタシは準備完了。あんたは?」

「俺もだ」

 立ち上がって装備の確認をする。

 通信機の動作確認良し、腰のポシェット良し、上着の襟の隠しポケットも良し、ボイドの取り出しも良し、再生薬は残り二本。追加で購入しようとも思ったが、手持ちの金じゃ足りなかった。

「袖縫おうか?」

「このままでいい。左腕は制服より頑丈だし」

 左袖のガムテープはそのままにした。

「キヌカは、そのなんだ。本当に良いのか? 信用してないとかじゃなくて、大変だぞって意味でな。俺よりも」

「大変なのは一緒でしょ。結局のところ、一番必要なのは度胸だし。あんたの少しわけてほしいわ」

「いいぞ」

 両手でキヌカを扇いでやる。

「え、何それ?」

「度胸を送ってる」

「そこほら、ねぇ、あるでしょもっと」

「ハグか? いいのか?」

 許可してくれるなら、がっつり行くぞ。

「ダメ」

 駄目だった。

「他に忘れ物は………………」

 キヌカは指差して色々確認して、

「あ、撥水スプレー忘れた」

「買ってくる。他に必要なものは?」

「アイス食べたい」

「何アイスだ?」

「バニラ」

「撥水スプレーとバニラアイスだな」

「アタシも行こうか?」

「準備の確認を、念入りに頼む」

「りょーかい」

 俺は、また自販機コーナーに向かった。

 途中、エントランスで氷の塊を再確認。周囲が水浸しだった。中身が今にも動き出しそうに思える。

「コルバ、タイマーの確認を」

『三時間、五十秒経過』

 黒峰の六時間というリミットまで半分を切った。あいつを倒すのにどれだけ時間が必要か、長期戦にはならないだろうが、猶予は後一時間くらいだろう。

 ともあれ、急いで損はない。

 自販機コーナーで撥水スプレーとバニラアイスを購入。スプレーはポケットに、アイスは手に持つ。エントランスを駆け足で通り過ぎ、宿泊施設に戻る。

 部屋番を確認しながら、だだっ広い似たような廊下を進み、急に明かりが落ちた。

 一切の光がない闇の中だ。

 俺は足を止める。今、転んだら起き上がるのも一苦労だ。

 ペンライトを探していると、光を浴びせられた。

 廊下に置かれたカメラが光っている。―――――いや違う、古い映写機のような機械だ。

 機械の傍には、人影があった。本当に“人の影だけ”があった。

 影が喋る。


『異形幻灯機・影鬼遊び』


 自分の背後で、膨らむ気配を感じた。

 何かに覆い被さられ、手足を拘束される。俺は、自分の左腕に噛みついた。口で剣を取り出し、背後の影を刺す。

 影は、風船のように破裂して消えた。映写機の明かりも消える。

 静かな闇だけが残った。

 俺は身構えたまま、感覚を研ぎ澄ます。何もない。無いように感じる。だからこそ、尚気を付ける。

『いいね、君。面白いボイドだ。………あいつと戦うのだろう?』

 静かな声だ。まるで影が囁いているようである。

「誰だ?」

『ノーバディ』

「日本語を喋れ」

『ボイドに飲まれた者さ』

「そりゃかわいそうに、他に用事がないなら俺は帰るぞ。アイスが溶ける」

『くれてやる』

「なんだと?」

『くれてやる。この最後のボイドを。全てを奪われ、唯一残ったガラクタのようなボイドだが、あいつに届く唯一のボイドだ。しかしそれでも、あいつには、あいつには………………』

 明かりが点いた。

 廊下には、ポツンと俺しかいない。影も、影を作り出した映写機もない。

「何だったんだ?」

「ちょっと、何してたの?」

 キヌカが部屋から出てきて言う。

「変なボイドに捕まって――――――」

「もう、時間ギリギリよ」

「何?」

 コルバにタイマーを表示させる。さっき時間を確認してから、一時間が経過していた。

 手に持ったアイスが温い。

「撥水スプレー貸して」

「ほい」

 キヌカにスプレーを渡す。廊下で最後の準備を済ます。

 本当にもう、後は戦うだけになった。

「これで準備万端。飛龍いける?」

「俺はいつでもオーケーだ」

「あんたが黒峰と戦闘を開始してから、アタシは動く。あいつの眼中にはないだろうけど、念のため邪魔されないように。後は全部、後は………………」

 キヌカは震えだした。

 怖じ気づいたのだろうか。

「気にするな、キヌカ」

「何を? アタシが失敗したら、二人共潰されて終わるのよ?」

「お前はできる子だ」

「そんなことない」

「じゃ、できない子だ」

「腹立つわぁ」

 慰めるの下手だなぁ、俺は。

「失敗しても気にするな。死んだら死んだ。それで終わりなだけだ」

「でも、死ぬのよ?」

「………なんと言うべきか、俺はここに来るまで『生きていなかった』のだと思う。俺は平穏だった。粗末で貧しい生活だけど、植物みたいに心を殺しておけば生活はできる。でも、これって死んでいるのと同じだ。生きていない」

 そこで、どこかで、ネジが外れたのだろう。

 普通の生活をして、普通になれるやつが羨ましい。俺には無理だった。

「全然わかんない」

「すまん、説明下手で」

「もしかして、自分程度の命、死んでも気にするなって言いたいの?」

「それに近い」

「あんたが死んだら、アタシが上手くやっても最後は黒峰に殺される。よくてもボイド奪われてペット扱い。それでも『自分程度の命』って言うの?」

「なるほど、それはないな」

「なんで感心してのよ」

「やる気が上がった」

「変なの」

 俺がやらなきゃキヌカは死ぬ。

 張り合いが出るな。自分の命よりずっと張り合いがある。

「行く前に、ハグでもするか?」

「ない」

「冗談だ」

 されたら目茶苦茶慌てるだろう。

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