<第一章:殺戮階層ミナゴロシアム> 【01】

<第一章:殺戮階層ミナゴロシアム>


【01】


 目覚めた。

 保健室のような場所だ。窓がないことから、地下なのは間違いない。つまりは、まだダンジョンの中だと思う。たぶん、恐らく。

「あ、怪我」

 倦怠感はあるが、体に痛みはない。取れた左腕もある。指先まで問題なく動く。両足も曲がっていない。

「何だこりゃ」

 左手首に、時計型の端末が付いていた。

 2インチくらいのディスプレイに触れるが起動しない。ボタンも見当たらない。

 そういえば、あの女はどこだ? 

 あれは夢か?

 薬でも打たれて幻覚見てたとか?

「わからん」

 って、私物が見当たらない。

 食い物はともかく。ピッケルとナイフは痛い。素手でこれからどうすればいい? OD社が武器を支給してくれるのか? そもそもの計画がとん挫したわけで………………そういえば俺、どんだけ寝ていた?

 他の冒険者は?

「あ、いた」

 ガラッと扉を開けたのは、他の冒険者だった。

 小柄の少女だ。

 袖の余った制服姿、脚にはタイツ。ただインナーはパーカーで、セミロングの髪を金色に染めていた。可愛らしい目鼻立ちとサイズの割に、ジト目で愛想はゼロである。警戒心の高い小動物といった感じ。

「【コルバ】、こいつで合ってる?」

 小動物は、腕の端末に話しかけた。俺の腕にあるのと同じ物だ。

『はい、対象です。彼を【フォーセップ】まで護送してください』

 端末から無機質な女性の声が流れる。

 小動物は俺を見つめ言った。

「そういうことだから、行くわよ」

「………どういうことだ?」

 何もわからない。

「アタシ達はあんたを連れて行く。あんたは付いてくる。以上」

「何故、どこに?」

「ああもう、めんどくさっ。ちょっとー! いたよー!」

 小動物は声を張り上げる。

 足跡がして二人現れた。

 男と女だ。二人共若く、小動物も含め、たぶん学生枠だろう。

 男の方は、中肉中背で人当たりが良さそうな顔。女の方も、人の良さそうな顔で、接客業とか向いていそう。

 支給された制服姿だし、冒険者なんだろうが、何というか“っぽく”ない二人である。

「キヌカ、彼が依頼の人?」

「たぶん」

 キヌカと呼ばれた小動物は、男に聞かれ適当にうなずく。

 男は俺を見て言った。

「どうも、僕は上杉です。ええと、セオ・飛龍さんであってます?」

「あってます」

 ワイバーンと言われ、からかわれた過去のある名前だ。

 そっちは飛竜の方なのだが。

「自分ら三人で、次の【フォーセップ】まで護送します。こいつはキヌカ、で、こっちは早苗」

 キヌカは余所見して、早苗と呼ばれた女は『よろしくねー』と小さく手を振る。

「その、上杉君。俺から一つ聞いていいか?」

「どうぞ」

「どういうことか、全くわからないのだが」

「そこからですか。まあ、進みながら話しますんで行きましょう」

「はあ」

 俺は、三人の後に続く。

 廊下を歩きながら、上杉は説明を受けた。

「改めてもう一度、飛龍さんを【フォーセップ】。えと、階層と階層の間に撃ち込んだ、休憩施設まで護送させていただきます」

「何故に?」

「OD社からの依頼です」

「どうしてまた、会社がそんな依頼を」

 ブラックなイメージがあったので、俺を助けるような依頼を出すとは思わなかった。

「詳細は知らないです。飛龍さんって、初日に事故って二十日間意識不明だったんですよね? その間、本来受けるべき講習とか、支給される装備とか、それで得られるボイドとか全部持っていないので、その補てん? 的な? ものだと思います」

 え?

「二十日!? 俺そんなに寝てたのか!?」

「だ、そうです」

 上杉は俺を見て苦笑いを浮かべる。

 二十日って嘘だろ。ついさっきのことのようだ。混乱する。左手が痛み出した。骨、尺骨の辺りがジンジンと痛む。

「あの~事故の原因って聞いてもよさげ?」

 早苗と呼ばれていた女が質問してきた。

「集会中に、一人で抜け出た」

「どして?」

「出し抜いて、ボイドを手に入れようと思った」

「………………」

 早苗は、笑顔を凍り付かせて俺から顔を背けた。

 ケラケラと笑い声。小動物―――――じゃなかったキヌカが笑いながら言う。

「で、あんた肝心のボイドは手に入れたの? ゼロでしょ?」

「ゼロだ」

「アハハハハハハッ! 怪我して時間無駄にしただけじゃん!」

 バシバシと、キヌカは俺の背中を叩いた。

 急に距離感を縮めてきたな。舐められてるだけの気もするけど。

「変な女に突き落とされたんだ。油断していた」

「落とされる方が悪いのよ」

「そーかい」

 キヌカは、滅茶苦茶嬉しそうである。

 あーいるよな。人の不幸が面白い奴。俺も気が落ち込んだ時は、人の不幸が心地良く感じる。

 そんなこんなで、また地獄の門に着いた。

 変わらず門は少しだけ開いている。

「キヌカ、飛龍さんの護衛は任せた」

「えー」

「君のボイドは、守りに使ったら強い」

「それなら早苗の方が」

「ごめんねー、キヌカちゃん。私は未来の旦那様を守らないと」

「ははっ」

 上杉は短く笑う。

 サラッとした惚気はスルーして、もしかして、

「俺以外、みんなボイドを持っているのか?」

「ええはい」

「まーね」

「当たり前じゃない」

 と、上杉、早苗、キヌカと順番に返事。

 凄い疎外感だ。

 俺だけ給食のゼリーが配られなかったことを思い出す。

 門を潜ると景色が一変した。

 どういうことだ? 前に見た風景とは全く違う。

 狭い通路は、夕日のような赤い光に満ちていた。

 空気は生温かく、古い油の匂いがする。

 天井、壁、床は錆びた鉄のような素材。側溝があり、そこには得体の知れない黒い液体が流れていた。廃材や、鉄クズ、鉄パイプも転がっている。廃墟のような空間だ。

 背後の門は、普通サイズの扉と変わっていた。

 通路の奥から、冒険者に似た“何か”が現れる。

「知り合いか?」

 隣のキヌカに聞いた。

 冒険者の頭は、大きな歯車になっていた。

 それが五体いる。近付いてくる。錆び付いた機械的な動き、そして敵意を感じた。

「この階層で死ぬと、ああいう風になって現れるの。何度も何度も。近付いたら、首を引っこ抜かれるわよ」

 死体が歩き回るのか。まるでゾンビだな。

「ボイドの実演も依頼にあるから、丁度いいか」

 上杉が拳銃を取り出す。映画やゲームで飽きるほど見たコルトガバメントだった。会社の支給品かと思ったが、それにしてもボロっちい。てか、壊れていないか? マガジンもないし撃てないだろ。

 上杉は、足元の鉄パイプを拾って左手で持つ。

「飛龍さん、これが僕のボイド【ラストリゾート】です」

 見事なドヤ顔である。

「分類はS1。ボイドには、S1、S2、S3、S4と分類があって、そのうちのS1がこんな感じのものです」

 上杉は銃を撃つ。

 鳴き声に似た銃声。歯車頭たちの体がバラバラに吹っ飛ぶ。

 拳銃の威力じゃない。まるで大砲だ。

 と、左手で持っていた鉄パイプが消えていた。

「使い方は、左手で弾丸にしたい物体を掴んで、引き金を引く。それが弾丸になって発射される。威力は素材によってピンキリです。コルバ、こんな感じで問題ない?」

 俺の端末から音声が流れる。

『補足、S1ボイドは使用者がボイドを選びます。使用手順を間違えなければ、使用者に危険は及びません。金銭での取引は、これが一番多いです』

 いいなぁ欲しい。俺もあんなのが欲しい。

 俺は、物欲しそうな顔を隠して質問する。

「S1ってのは、“誰でも使える”ってことか?」

「僕から奪えば、ですけど」

「なるほど」

 そういうのもアリなのか。

「お兄さん、お兄さん」

「はいはい」

 早苗は、袖をめくって右手首を見せてくる。

 そこには、鍵穴が埋め込まれていた。

「これ、私のボイドね。分類はS2。名前の読み上げは恥ずかしいので省略。説明も面倒だからコルバよろしくねー」

「えっマジ」

 上杉がショックを受けていた。

 俺の端末から音声が流れる。

『S2ボイドは、ボイドが使用者を選びます。使用者の肉体に定着し、使用者が死亡すると一時的に消滅します。S2ボイド寄生者は、OD社の実験に協力することで、衣食住と高額な賃金が保証されます』

 あそこに就職できるなら将来は安泰だろう。

 実験、という言葉に怪しさしか感じないけど。

『S2ボイドの実演をお願いします』

 通路が終わり、広場に出た。

 天井には金網、さらにその上には巨大なファンが回転していた。べったりとした嫌な空気が循環している。

 広場の左右にあるシャッターが開いた。先ほどの歯車頭がゾロゾロと並んで現れる。

「ほい、じゃ実演するね」

 早苗は、手首の鍵穴に鍵を差し込んで回す。

 すると、扉が現れた。

 普通の民家で見るような普通の扉だ。普通過ぎて、ここでは逆に異物にしか見えない。

 しかも扉は一つではない。無数に、壁になるほど現れて、俺たちと歯車頭を遮断した。

「コルバ、文句ない?」

 驚いたな。

 さっきの銃も凄いと思ったけど、異常さはこっちの方が上だ。

 どっから出てきたんだ? この扉。

『使用制限について説明をお願いいたします』

「は~い。お兄さんS2の場合、使用制限が近付くと体のどこかが痛むんで。そしたら、使用は止めた方がいいよ。前に無理した子が、ボイドに内側から食い破られて死んだから」

 怖っ。

「使用制限って、もしかして、その銃にもあるのか?」

 上杉の銃を見て聞く。

「ありますよ。一日に撃てる回数は決まってます。それを超えて、前の持ち主は死にました。詳細は仲間にしか、いや仲間にすら言わない人も多いか」

 ペラペラ喋っても、得をするのは盗人か。

 上杉は言う。

「飛龍さん、今のとこ問題ないですか?」

「S1が誰でも使える。S2が選ばれた人間だけ。詳細は秘密にする」

「お金や、信頼が絡まない限りは、秘密にしましょう」

 金と信頼ね。

「ところで、お前のは?」

「ああん?」

 隣のキヌカに聞くと、めちゃ嫌そうな顔をされた。

「いや、この流れで教えてくれるかと」

「言うわけないでしょ。あんた話聞いてた? 信頼よ、信頼。あんたとアタシの間には、お米一つ分も存在してないでしょ」

「確かに」

 正論だ。

 さておき、

「S3ってのは?」

 興味が沸いたので聞いた。

 上杉と早苗は、俺を無視して戦闘を繰り広げる。壁になっていた扉の一部を消して、歯車頭を一列に誘導。そこを、上杉が銃で撃ち殺す。

 キヌカは無言で、バラバラの死体を指した。

「死体のことなのか?」

「自立するボイドのことよ。コルバ、後よろしく」

 最初っから全部コルバでよい気もする。

『S3ボイドは、観測データだけで最低四千万の報酬が支払われます。完璧な破壊方法、完全な利用方法などは、一億以上です』

 現実感の薄い金額が来た。

「そこらのは?」

『登録済みです』

「だろうな」

『S3ボイドの多くは、人類に対して明確な敵意、悪意、収奪意識を持つ存在であり、当社にとって不利益になります。見つけ次第、即破壊を推奨します。貢献が認められた場合は、昇格のチャンスもあります』

「いや、そこに転がってるのって、俺たちと同じ元人間だろ」

「コルバにそんなこと言っても無駄」

 言って、キヌカは俺の脇腹を叩いた。

「後さ、この先はもっと酷いから。まともな感性は捨てなよ」

「そうなのか」

 ちっこい先輩からの貴重なアドバイスだった。

「片付いた。みんな進もう」

 上杉が号令を出した。

 歯車頭は一掃されていた。動くものは一つもない。

 右のシャッターを潜り、俺たちは進む。皆、死体は踏まないように移動していた。俺も倣う。

「根本的な疑問を一つしていいだろうか?」

「どうぞ」

 上杉が答えてくれるようだ。

「ボイドなしで、俺は先に進めるか?」

「………………」

 無言が答えのようだ。

「僕らの時は、三日間だけ使える銃器が支給されたんですけど。もしかしたら、飛龍さん用の装備がフォーセップで貰えるかもしれません」

「コルバ、俺に銃器は支給されるのか?」

 皆の真似をして端末に聞いてみた。

『されません。フォーセップまでの護送が、あなたの階級に当社が用意できる“公平”となります』

「フォーセップって、休憩階層、施設? なんだっけ。そこに到着したら俺は何をすれば?」

『あなたの自由です』

 丸投げだった。

 嫌な空気の中、俺たちは進む。

 上杉の横顔に汗が浮いていた。こいつの思っていることがヒシヒシと伝わってくる。

 三人の中でリーダーっぽいのが彼だ。命に繋がる損得勘定は大事だろう。他二人の命も預かっているわけだし、俺みたいな無能を背負う理由はない。

 かといって、上杉はそこまで非情な人間ではないようだ。

 銃で歯車頭を撃つ時、口が『ごめん』と動いていたのをチラリと見た。

 まだ、“まともな感性”の持ち主である。

「飛龍さん、すいません。助けてあげたい気持ちはあるんですが、僕らは四月二十九日の【第一次帰還日】にダンジョンを抜けるつもりなんで」

「ああ、四月末に帰還日があるって言ってたな」

 四月末と八月、十二月、来年の四月の四回。俺たちは、ダンジョンから脱出できる機会が与えられている。

「だからその、正直自分らの身を守るのが精一杯なもので。他の連中と波風を立てたくない」

「すまん。他の連中とは?」

 これから世話にならなくとも、今は情報が欲しい。

「フォーセップには、四十六人の冒険者がいます。皆、【第一次帰還日】にダンジョンから出る予定の人ら、ほとんどの冒険者は先に進んでしまいましたけど。僕らみたいに、堅実に金を稼いで生きてダンジョンから出たい人もいます」

 こんな場所で堅実というのもおかしな話だ。

「先に進んだ冒険者って何人くらいいたんだ?」

「確か、四百人以上は先に進みました。といっても、この階層でボイドを手に入れられず、仕方なく進んだ人も多いです。こんなイカれた仕事、まともな人間はやれませんよ。おまけに、コルバ」

 上杉は自分の端末に話しかけた。

「冒険者同士の争いについて聞きたい」

『冒険者同士の争いは、“推奨されています”。特にボイド使用した戦闘データは貴重であり、場合によっては報酬が支払われます』

「こういうことです」

 上杉は、うんざりとした顔を見せた。

「何となくわかった。フォーセップで、ボイドの奪い合いをしているんだな?」

「してます。【黒峰】って奴が徒党を組んで、手に負えない状態で。ボイドを奪われたら、ボイド相手には何もできないですし。後はもう、連中の玩具になりながら二十九日まで泣いて過ごすしかないです。最悪、殺されることも」

「わかった。俺のことは気にしないでくれ。そもそも、一人が性に合っている」

「ねぇちょっと」

 キヌカは、俺の足を蹴る。

 だんだん攻撃に遠慮がなくなっている。痛くないので気にしていないけど。

「あんたボイド探すんでしょ?」

「そりゃまあ」

 あるかどうかは知らんが、探し方もわからんが、まあ最初からそのつもりだったし。

「アタシ、手伝ってあげる」

「いや、待てキヌカ」

 上杉が止めた。

「この階層のボイドは取り尽くした。もう見つからないはずだ」

「S2ボイドって、寄生者が死ぬと消えて、ダンジョンのどこかに出現するよね。なら、この階層に誰かのボイドが出現する可能性はゼロじゃない」

「可能性はあるけど、駄目だ。今はダンジョンに潜るだけでリスクがある。早苗も言ってやってくれ」

 やれやれと早苗は口を開く。

「キヌカちゃん。自分より弱い人間の世話をするって、かなり気持ち良いことよね。わかるわかる。でも、このお兄さんをよく見て。んで、次に私たちを見て。では、私たち三人が崖に落ちそうです。二人しか助けられません。誰を助けるの?」

「………………上杉と早苗だけど」

「そ」

 早苗は満足そうに笑った。

 キヌカには悪いが、俺は面倒になっていた。他人の絆の見せあいほど、つまらないものはない。だから、それに、一人がいい。

 けれども、言っておこう。

「キヌカ」

「いきなり呼び捨て?」

「キヌカ………ちゃん」

「うわ、キッモ」

 傷付くぞ、この野郎。

「礼は言っておく」

「ただの偽善だけど」

「腹減った野良犬は、餌を出された理由なんて考えない」

「お腹減ってるの? プロテインバーあるけど食べる?」

 こいつ微妙に天然だな。

 キヌカは、俺の返事を聞かず、プロテインバーを取り出してわざわざ包装紙を剥いて差し出す。小腹が空いていたので貰った。

 チョコ味だ。水分が欲しい。

 急に空気が変わった。

 油の匂いが薄まった。心なしか、通路の錆も薄くなっている。

「飛龍さん、次の広場の扉からフォーセップに行けます。何か聞き忘れていることがあるなら今のうちに」

「えーと」

 聞きたいことが多すぎる。だから特にない。代わりに礼を口にした。

「まあ、フォーセップに到着したら俺たちは他人ってことで。元々一人で出し抜こうと動いていた奴だ。気にしないでくれ」

「助かります」

 上杉は困ったような笑顔を浮かべ、早苗は俺を見ず、キヌカは指で俺の脇腹をぐりぐりしている。くすぐったいから止めろ。

 通路のシャッターを、上杉が開けた。

 大きな扉のある広場に出た。

 扉の前には男がいた。

 制服姿。血色の悪い顔色。目の下には濃いクマ。手足が長く、身長も高いので針金みたいに見える男だ。そして何故か、ポニーテールである。

「上杉、ご苦労さん。じゃ、後こっちが引き継ぐから」

「何言ってんだ。鎌田」

 鎌田と呼ばれた男は、昔のホラー映画で見たことのある、巨大な骨切りハサミを持っていた。片刃が半透明になっている変なハサミだ。これもボイドなのだろう。

「野郎一人運んで、二千万はデカイよな。くれよ」

「ふざけんな」

 上杉の語気が荒くなる。

 俺って高いのな。依頼料だけは。

「ま、ホントのところは、うちの大将がそこの男に興味ありだ。OD社が、なんか隠してるってさ。いつもの当たる勘だ。んで、オレは命令されて来た。アンド、小遣い稼ぎ」

 男はハサミを回す。

「ルールは簡単。いつも言っているよな? 逆らうな。ただそれだけだ」

 上杉は、銃を構えようともしなかった。

 早苗も、死ぬほど不機嫌な顔をしているが抵抗する気はない様子。

 銃と扉のボイドを使っても、このハサミ男に勝てないのか?

「はい、お二人さん。よくできました。オレは、素直な人間にはなーんもしない。これも、いつも言ってるはずなんだけどさぁ」

 何を思ったのか、キヌカが俺の前に出ていた。

「こ、こいつは、ボイドも持ってない奴よ。何にも知らない一般人だし、黒峰が興味持つことなんてない。あ、あ、あんたも忘れたらッ?」

 声も脚も震えていた。

 目茶苦茶ビビってる。こりゃなんか策があって動いたんじゃないな。

「キヌカちゃんさぁ、いつになったら学習すんの? 巻かれようぜ、長いもんにさ。オレに逆らわないって難しいことか? あー………そういや、てめぇ、この前もオレが合意の上で楽しくレイプしてたのに、邪魔しやがってさ」

 やれやれと、ハサミ男は肩を竦める。

 そして、急に沸騰した。

「忘れてた寛大なオレに対して逆らうのかッ! 小賢しいボイド持ったクソガキがッ!」

 キヌカは、ハサミ男に腹を蹴り上げられた。小さい体がサッカーボールのように転がる。

 容赦なくハサミ男は、キヌカを踏み付けた。

 さっきの死体とは違う、生きている人間の血が飛び散る。

 俺は止めに入る、だが動けなかった。

 早苗が腰に抱き着いている。驚くほど強い力だった。

「お兄さん、いいから我慢して! 蹴られた程度の傷なら治せるからッ」

「そういう問題じゃないだろ」

 一歩だけ足を動かせた。

 その間に、キヌカは二回腹を踏まれ、頭を三回蹴られた。とっくに意識は失っている。

 俺は、上杉に向かって手を伸ばす。

「おい、撃たないなら貸してくれ」

 ハッとした顔を見せた上杉は、一瞬迷って銃を手に――――――

「お前も逆らうのか」

 ハサミが開いて閉じる音がした。


「畜生。しくじった」


 一言呟いて、ジョキンッと上杉の首が落ちた。

 首が転がって、体から血が噴き出る。スプラッター映画のような大量出血ではなかった。

 いや、今考えるのは別のことだろ。逃避してる場合じゃない。

 なのに体が固まる。

「いやぁあああああああああああ!」

 早苗の絶叫が耳に響く。

 彼女は、鬼の形相で俺とハサミ男を見た。

「あーあ、お前もか。もったいねぇ」

 ハサミ男が、ハサミを早苗に向けて閉じた。

 早苗の首も落ちた。

 生暖かい血が頬にかかる。

 三秒やる。

 三秒やると自分に言う。

 それで全部切り替えて動けと。

 三秒が過ぎた。

 早苗の死体を振り払って、倒れ込みながら上杉の銃に手を伸ばす。

「おっせぇよ」

 途中で踏まれ、銃には全く届かなかった。

 ハサミが落ちてくる。首を挟まれそうになり、咄嗟に左腕でガードする。

「まったく、どーすんだよ、これ。久々に二人もやっちまったよ。オレ、殺しは嫌いなんだぞ」

「うるせぇよ。人殺し」

「あのなぁ、素人。ここじゃ殺しなんて当たり前だぞ。ま、オレは殺しより脅しが好きなんだけど」

 ハサミが閉じる。

 左手と首が切られた。俺も二人のように死ぬ――――――あれ死んでない?

「説明してやる。説明しないと脅しになんないからな。オレのボイドは、“切ったものを後で切れる。”お前は上杉や早苗と同じで、このボイドに切られた。つまり、オレは好きな時にお前の首を切れる。わかったな? わかったなら、逆らうなよ」

「………………」

 俺はノロノロと立ち上がる。

「おい、返事しろ。ボイドもないクズ」

「………………しょうがないな」

「あん?」

「殺せ。野郎にこき使われて生きるくらいなら死ぬ」

「あ、そ。じゃ死ねよ」

 ハサミが閉じられる。左腕に激痛が走る。

 そして首も――――――首が、俺の首はあった。

「あ、あ? なんだこりゃ」

 ハサミ男が自分のボイドを見て驚いている。半透明の刃が半ば砕けていた。

 あの女の顔が浮かぶ。

 息遣いを、体温すら感じる。

 腕の端末がやかましく鳴いた。

『新しいボイドを検知しました。新しいボイドを検知しました。クラスS2。類似データ、削除済み。関連事項、削除済み。――――発見者、セオ・飛龍。効果予測できません。使用時には細心の注意を、周辺状況への最大限の考慮を、様々な異常性が発現されます。グッドラック、ボイド・シーカー』

 制服の袖が切れ、肉が裂け、覗いた尺骨は白くなく。古い青銅器のような青。

 俺は、本能的に骨を掴む。

「ちっ、寄生されてたのかよ。あーメンドくせ。ガチでやんのメンドくせ。負けねーけどなッ!」

 ハサミ男が、死にかけのボイドを振り上げて迫る。

 自分に二秒やる。

 二秒経過したら何も考えず、ただ――――――斬れ。

 時間がゆっくりに感じた。俺の動きもゆっくりに感じる。けれども、それ以上に遅いのはハサミ男の方だ。

「え、あ?」

 ただ男は、血を噴き上げて絶命した。

 ボイドも肉も骨も、勢いがあったせいで感触は薄い。ただ心臓だけは、鳥肌の立つゾワッとした感触が手に残る。

 刃を回しながら、男の体を蹴って引き抜く。

 俺の手には、剣があった。

 独鈷に似た柄。輝きのない曇った青い刃。刃渡りは40センチもない直刀だ。歪な切っ先から、折れていることがうかがい知れる。

 ボイドが囁いた気がした。

 あの女が囁いた気がした。


『ようこそ、地獄へ』


 と。

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