その音の正体は
_____あの山には一部の登山家達の間で奇妙な噂があるらしい。
自分の記憶が曖昧になり幻覚を見る。
そして”大事な何か”を取られると言う、そんな噂が。
***
「う、うぅん」
何故か。理由は単純だった。仰向けに倒れていたからだ。
あれ?なんで仰向けで寝転がってるんだ?それになんだか後頭部が痛い。一体何が起こってるんだ?
「大丈夫?」
その声でハッと我に返る。
「山本?」
声の方を向くと一緒に登山をしていた友達の山本が心配してくれているみたいだ。
「平気?」
「うん、触った感じ血は出てないし、眩暈も無い。大丈夫だよ。」
「そうか」
だんだん思い出してきた。
山本と一緒に、山を登っていた途中で、背後から変な音を聞いて、俺が驚いて足を滑らせてしまったんだった。
「すまないな、俺が気を失っている間介抱させてしまって。」
「大丈夫だ。」
素っ気ない返事が寡黙な山本らしい。
頭を打ってるんだしもうちょっと心配してくれても良いんじゃないかとも思わなくもないが、まぁ、山本だしな。
そんな事を考えていると、ぽつぽつと雨が降り出してきた。
「うわ、降ってきたな。どこか早く雨宿り出来る所を探さないと。」
闇雲に動くのは危険だが、このまま雨に濡れて体温が下がるのも避けたい。
「取り敢えず暫くの間、雨を凌げる場所を探さなきゃな。」
とどこか雨を凌げそうな場所を探していると、背後からとイノシシの鼻を鳴らした様な音を耳にした。
ぶすっぶすっ。
まただ、さっきの変な音………。
振り返り辺りを確認する。が、やはり特に生物らしき姿は見当たらない。
……。
「山本、お前何か聞こえたか?」
「……。」
山本は振り返るがただこちらを見るばかりだった。あれ?もしかして俺にしか聞こえてないのか?
……山と言うものは不思議な事が起てもおかしくない場所だ。こういうのには関わらず無視した方が良い。
そういえば、登山仲間から不可解な現象に遭遇した時は「私は関係ありません」と言っておけば良いと聞いた事がある。嘘か本当かは定かではないが、言っておいて損は無いだろう。
「私は関係ありません。」
何も起きないでくれよ。と半ば祈る様に呟きながら雨を凌げる場所を足早に探す。
辺りを見渡していると草木に阻まれ見えにくかったが洞窟があるのを見つけた。
熊の巣穴、ではないよな……。洞窟に入る前に足跡や糞が無いか辺りを見渡す。
どうやら動物が生活している形跡は無さそうだ。
「よし、大丈夫そうだな。おい山本、良い場所が見つかったぞ。」
「あぁ。」
「ふぅ、寒いな。山本、火を起こすからそっちで焚火に使えそうな枝とか石を探して来てくれ。」
「あぁ。」
山本は洞の入り口まで、ふらふらと向かっていった。
アイツも、凄く寒そうだな。早いとこ焚火をして温まろう。
周囲に燃えそうな物が無いかと洞窟の奥を見る。
「おっ、奥に良い感じの枯れ草があるじゃないか。」
身を乗り出して洞窟の奥に行く。
と、洞窟の岩の影に隠れていて見えづらかったが少し奥に行った所に赤いザックが落ちていた。
なんでこんな所にザックが?ザックを置き去りにする様な何かがここであったのか?
映画や漫画なんかだとバラバラの死体、なんてのがお決まりだが…。
……。
確認しない事には答えは得られない。恐る恐る歩み寄ってザックに近づく。
何、調べただけで死ぬ様なデストラップ、と言う事は無いだろう。
ザックの中を調べると、中には登山用具や財布があった。
「良かった。バラバラの死体とかじゃな……。」
そこまで言いかけて、気が付いた。
「待てよ、これ……。」
玉の様な汗が噴き出す、慌てて中身を確認する。見覚えがある。この財布は俺の財布だ。
さらに財布の中を調べる。
そこには、自分自身の運転免許書やクレジットカード等が入ってあった。そこで確信を得た。
これは俺のザックだ。
「どういう事だよ…。」
なんだ?何が起こっている?これは確かに俺のザックだ。だが何故ここに?誰かがここに運んだのか?だとしたら何故?
その時、ぷすぶすと、あの音が真後ろから聞こえてきた。
「は…?」
情けない声を上げて振り返る。
しかし、周囲に動物の気配はない。気のせいか、と思いザックに目を落とす。
その時、また背後から。
ぶすっぶすっ。
「また後ろ…。」
そこでふと、気づいた。
目の前に俺のザックがあるのならば、今、俺の背負っているザックは一体……。
ここまで来るのに何故ザックに意識が向かなかった?
まるで意識が”そこ”に向かない様に......。
そこまで思い至って背筋に冷たいものが走る......。急いで、ザックを肩から外そうと__
___しようとするも肩から離れない。
「ハァ!?なんだ!?なんだよこれ!!」
半ばパニック状態に陥りながらも必死に藻掻く。
ザックが洞窟の壁に当たる。
すると、今までの抵抗は嘘の様に驚くほどするりと肩から落ちた。
「え?」
糸が切れた様に落ちたモノを見ると、皺だらけの赤褐色の皮膚をした赤ん坊の様なイキモノがいた。
腐った泥の様な臭気が辺りに立ち込めていく、茫然と立ち尽くしていると、そのイキモノは冷血動物の様な黒く、そして無感情な温度の無い視線をこちらに向けていた。
ぶすぶす。
体を小刻みに揺らし、皺だらけの口を不気味に引き攣らせ鼻孔音を鳴らしている。
それを見て、気付いた。気づいてしまった。このぶすぶすと鳴らしているこの音は。
こいつの笑い声だったんだ。
頭を打った時も、洞窟で俺が免許を見て混乱しているもこいつは俺の背後からずっと嘲笑っていたんだ。
得も言えぬ気持ち悪さが背中を這い上がってくる。訳の分からない存在から理不尽に悪意を向けられる事への恐怖。異様な臭気と耳障りな鼻濁音が全身を総毛だ足せる。
"逃げなくちゃ"
そう直感した瞬間、普段より鋭敏になった感覚は背後に忍び寄った気配を感じ取った。そこには、男の姿があった。
「大丈夫?」
それは山本だった。
「やっ山本か!おい行くぞ!逃げろ!逃げるぞ山本!早く!なんか変な奴がい……」
「平気?」
「山本…?」
しかし、山本はその場から動こうともせず。よく見ると、顔は張り付けた能面の様に顔は表情を宿してはいなかった。ただただ淡々と
「大丈夫?」
「そうか。」
「大丈夫だ。」
「平気?」「大丈夫?」「そうか。」「大丈夫だ」
「ヘイキ?」「ダイジョブ」「ソウカ。」「ダイジョウブダ。」
ヘイキダイジョウブソウカダイジョウブダ……。
壊れた機会の様にリピート再生を繰り返す。
一点を見つめただぶつぶつと決められた単語を繰り返し、繰り返し、呟いていた。
思い返せばそうだ。ここに来るまでコイツは、ずっとそうだった。
「あっああああ!!わっ…私は関係ありません!私は関係ありません!!」
迷信を大口に叫び、死に物狂いで走った。見れば体の至る所に小さな木の枝が刺さっていた。知るものか、今はこの山を出る事が先決だ。
喉が擦り切れるほど酸素を吸い、肺が破れそうなほど無我夢中で山を駆け下りていった。
そこから先は覚えていない。ひたすら足を動かしている内に自宅に戻り、いつの間にか玄関先で倒れていた。
***
あれから数カ月経った。あの一件があってから登山は行っていない。
あの山での出来事は一体何だったのか。何故自分はあそこにいたのか。あの奇妙なイキモノは何だったのか。
今となっては何も分からないままだ。
そう言えば、最近酒場で登山仲間と話すことがあった。登山はもうしないと言ったら意外にもやっぱりかといった表情だった。
何故かと聞けば 、あの山には一部の登山家達の間で奇妙な噂があるらしい。
知っていたなら教えて欲しかったが、でも、もう良い、あれは終わった事なのだから。
これからは平凡な日常を噛み締めて生きていくのだから、あの奇妙な出来事はもう俺には関係ないのだから。
ただ、今でもあの時酒場で登山仲間が言っていた事が妙に引っかかる。
※※※
ビールジョッキを3杯空け、酔いも回った頃、登山仲間は口を開いた。
「そう言えば、いつもつるんでたあの山本って言ってたっけか?あいつは今日来てないのか?」
「誰だよそいつ。酔っぱらって記憶が変になってしまったんじゃないか?」
「あれ?違ったか?おかしいな。いやすまないこっちの勘違いかも知れない。」
「あぁそうだ。そうに違いない。」
今晩は気分が良い。余計な事は言わないでくれ。俺は日常へ何事もなく戻って来れて酒を飲んでる。それだけで満足じゃないか。
実際、山本と言う男は知らない。普段から遊んでいるなら兎も角、そんなどこかに行ってつるんでいたなんて記憶も一切ない。一体どこの誰と勘違いしたんだろう。
あれ?待てよ、と言うかなんで俺は山本が男だと言うことを知っているんだろうか。
……。
思い出せないと言う事は、そんなに大事な事では無いのだろう。そう自分に言い聞かせどこか魚の小骨が刺さった様な夜をアルコールと共に流し込んで行った。
***
_____あの山には一部の登山家達の間で奇妙な噂がある。
自分の記憶が曖昧になり幻覚を見る。
そして大事な何かを取られる、と言うそんな噂が。
大事な何か。取られたものは何なのかは誰にも分からない。勿論、本人にも。
それを知る者がいるとすれば………。
ぶすぶすっ。
どこかで口角を不気味に歪ませ、鼻濁音を鳴らしているのかも知れない。
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