64

 凪は鑑に引き連れられるまま駐車場まで移動した。鬱蒼とした森に囲まれたこの場所は、がなり立てるような蝉の声が古民家よりもよく響いて聞こえた。


 鑑がかなり焦った様子で足早に焼却炉を横切り、車に近づきながら助手席を指示する。教会のあった森からここまで移動した時に使った車だ。トラックを使わないということは、今日は荷物を運ぶ用事ではないのか。

 助手席の側に回り込み、ふと車越しに鑑を見る。彼は少し開いた運転席のドアに手を添えたまま乗車せず固まっている。何か考え事をしているのだろうか。


 なんとなく不審に思い、彼の顔を注視する。


「凪」鑑が突然呼びかけてくる。「俺はな、お前がデカくなったら、一緒に酒を呑みたいと思ってたんだ」


 いつものように彼はこちらの目を見ない。

 鑑が突然意味の分からないことを語りだすので少し動揺してしまう。一体これから何をするんだ。


「いきなり何ですか?」

「……なんでもねえ、乗ってくれ」


 鑑は何かを取り繕うように、顎髭に手を当てて少し伏し目になった。

 彼の振る舞いを不審に思いつつも、促されるまま助手席のドアに手を伸ばす。


 ドアハンドルに指先が触れた、その瞬間

 木々に取り囲まれた駐車場に、乾いた破裂音が、空を割るように大きく鳴り響いた。


 強く揺れる車体。凪は反射的に頭を庇いその場に伏せた。

 何が起きたんだ──少し顔を上げ、窓越しに鑑の方を見る。


 向かいの窓が、打ち付けるように飛び散った飛沫で鮮やかに染まっていた。その奥で鑑が二の腕あたりを抑えながら唸っている。その指の隙間からは、どくどくと這い出すように液体が溢れ出していた。


 鑑は怪我をしたのか? さっきのは発砲音? 撃たれた? 誰に?


 どうして彼から、人の血と同じ色の液体が吹き出しているんだ?


 状況が理解できずに呆然としていると、もう一度同じ衝撃音が強く響いた。炸裂するような眩しい血紅色が先程よりも派手に向かいの窓へ弾け飛ぶ。鑑の大きな体がその場に崩れた。


「その車に乗っちゃダメ!」


 声に振り向く。駐車場の入口で見覚えのある女の子が、鑑に拳銃を向けて立っている。チカだ。


 理解が追いつかない──鑑を撃った人物はこの状況を見れば誰の目にも明らかだ。でもなぜ、よりにもよってあのチカが?


 彼女の姿は凪をさらに混乱させた。白のフレアスカートに白のブラウス。そこから伸びるすらりとした白い腕。無垢が服を着て歩いているようなその少女の体は、命そのもののように鮮やかな色をした飛沫でべっとりと塗れていた。命を切り裂いたときに吹き出す、暖かくて生臭い、赤。

 チカの服を汚しているのは鑑のものではない。彼とチカの間には距離がある。彼女の服の汚れは、ここに来る前についたものだ。


「こっちに来て! 早く!」


 チカが叫ぶ。彼女がその手に握りしめた黒光りする筒は鑑に向けられたままだ。状況は飲み込めないが、彼女の鬼気迫る表情から只事でないことは伝わってくる。チカのことは物心ついた頃から知っているが、その顔がここまで殺意に歪むのは初めて見た。


 もう一度ちらりと鑑の方に目を向ける。彼は傷を庇うようにうずくまったまま目線だけをこちらに向けている。顔に表情がない。

 凪は背筋にぞくりとした寒さを感じ、その視線から逃げるようにチカのいる場所へ駆け出した。

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