#17 「光」
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深夜の和室を照らす橙色の照明は微かに揺らいでいる。その瞬きはまるで古いホラー映画に出てくる切れかけの白熱電球のようで、四人がいる室内に不気味な緊張感を漂わせている。今日日そんなアンティークはわざわざ使わないはずだ。光の揺らぎの原因は、おそらく供給される電圧が安定していないためだろう。
鑑は空になった自身の湯呑みに新しいお茶を注ぎ始めた。まだ話は続くようだ。
「そうは言ってもだ、ヒギンズの内部にモデリングされた
マナが頷く。凪も鑑の目を見て頷き返す。
「よし、では話しておこう」鑑は手を机の上で組んだ。「ヒギンズの脳内で構成されたAASC0のモデルは、その状態を特定の仕様を満たす仮想機械の上に複製することで、ヒギンズから独立して動かすことが可能だ」
「C8NVM……」マナが何かに気づいたようにぽつりと言う。
「ほう」鑑は目を丸くした。「お前の口からその名前が出てくるとはな。追われる立場になるのも納得だ」
鑑の反応から、マナが口にしたキーワードの機密性の高さが伺える。どうしてマナがそんなことまで知っているのだろう。晴香がすでにこの情報に辿り着いていて、一緒に暮らしていた彼女に話していたのだろうか。
「ヒトの脳機能の一部を機械で代替する研究はすでにかなりの程度まで成熟している──脳の欠損部位を機械に置き換えて暮らしている人が存在する程度にはな。単にそのような既存技術を用いるだけで、C8NVM準拠の制御系と人体の接続は可能だった。ヒギンズの頭脳から取り出された俺達の仲間の魂が最初にあてがわれたのは、機械の体ではなく生きた人間の体だったらしい」
鑑の説明が意味する内容に引っかかる。C8NVM制御系を脳の代替物として人体に接続する場合、もともと存在する脳はどのように扱われるのだろう? 脳死判定が出た人物が生前意思で人体実験を容認する場合において、生体を用いた実験を行うことを法律上制限しない国は存在するが、そういった手段で実験用の生体を確保したのだろうか。
「人体とC8NVM制御系の接続に成功してからそれほど間を置かず、ヒューマノイドへの適用方法も確立する。C8NVM制御系とヒトの脳を同一視する段階はすでにクリア済みのため、残りの課題のほとんどは既存のサイボーグ技術の応用で解決可能だったからだ」
そこまでの話を聞いてピンときた。つまりは──
「そうした技術の産物として、hIE用の機体にC8NVM制御系を乗せたマナのような存在が生まれた──ってことですか?」
鑑は頷きで応答する。
「そうだ。そしてこの技術は、人身売買市場の縮小に一役買うことになる。安価に多種多様な能力を持った自律機を生産可能だったからだ。俺達の仲間はそれまで売り買いされていた人間たちの代替として大量に製造され、地下経済に出回った。この『商品』としての制御系は、報酬系のコントロールによる行動制御や性格傾向の調整、記憶のマスキングなどが施されたものだ。しかし稀にそういった処理に失敗した個体が発生する。俺達のほとんどはそういった『不良品』さ」鑑がマナの方を向く。「お前もそのはずだ」
鑑に視線を送られたマナの瞳が小さく動揺したことに気づいた。恐らく鑑にこの感情の機微は伝わっていないだろう。それに気づけたのは、彼女の心を揺らしたであろう出来事を丁度思い出していたためだ──アカネを連れ帰ることに失敗した日の、風俗店オーナーと森口の通話。そこで語られた、アカネとマナにまつわる不具合。
あの日アカネに向けられた視線を思い出す。ガラス玉の瞳が纏っていた、あまりにも人形めいたあの雰囲気。もしマナが『不良品』でなければ、彼女もあのような体温のない視線を他人に向けるようになるのだろうか。
「さて」鑑は机の上で組んでいた手を解いた。「ここまでの話を踏まえて、再度俺達の目標について話させてもらう。俺達もお前達と同じように『俺達のような存在がこれ以上生み出されないようにする』ために活動している。そしてこれは、C8NVM制御系の製造をストップさせるだけでは十分でない」
まさか、と思った。脳裏を過ったそれは、今の社会システムの根幹を揺るがすものだったからだ。
「俺達の最終目標は」鑑は淡々と述べる。「ヒギンズによるhIE行動管理の停止だ」
少しの沈黙の後で、凪は思わず呆れた笑みを返してしまった。鑑の言うことがあまりに突拍子もなかったからだ。
確かに、C8NVM制御系を搭載した自律機が『人権のない人間』として市場に出回るのを阻止したところで、鑑たちの目標が完全に達成されたとは言い難いだろう。そうしたところで、ヒギンズの脳内で人間の行動予測のために、人間相当の振る舞いをするモデルの生成、利用、破棄が繰り返され続けることは変わらないからだ。マナや鑑たちを人間として認めるという前提に立つなら、このプロセスは人体実験と変わらない。
しかし──
「流石に無茶ですよ。hIEが至る所に浸透して、社会システム自体がヒギンズの頭脳に癒着し切ったこの時代で……」
今の社会からヒギンズを取り上げるなんて、どうやっても混乱は避けられない。現実的には不可能だろう。仮に鑑たちがその目的を達成したとして、自分たちの生活は二十年近く昔の状態まで後退することになる。それをこの世界が易々と受け入れるとは到底思えない。
そんな反応は予想済みだとでも言うように、鑑はこちらを見てにやりと微笑んだ。
「なんの後ろ盾もなく無謀な挑戦をしているわけじゃないさ」
「どういう意味ですか?」
何か策があるのだろうか。この社会自体をひっくり返す、革命ともいうべきそれを実現する隠し玉が。
じっと鑑の目を見て返答を待つも、彼はふっと目を逸らした。
「これ以上のことはまだ話せない。お前の今後の扱いをどうするか、仲間たちの間でまだ決まっていないからな」
ここまで話しておいてそれか──いつの間にか緊張で強張っていた体から力が抜けた。
そういえば──鑑が口にした『仲間』という言葉を聞いて、彼に訊こうとしていたことを思い出す。
「あの、一つ気になってることが」
「何だ」
「残りの仲間の方たちはどうしてるんですか? ここには二人しか住んでいないみたいですが」
「ああ」鑑が思い出したように説明する。「使える体がもう無いんだ。人間に破壊されたり、経年劣化で自然に壊れたりしてな。今は残った三つの体を交代で使ってる。もっとも、体の交代が必要になるタイミングも最近はほとんどないがね」
なんだか難儀だ──鑑が話す内容や、その場しのぎの修繕が繰り返されたようなこの家の状態から、彼らの現状に少し同情してしまう。
それはそれとして、まだ気になることがある。
「体を持たない仲間の方たちはどうしてるんですか?」
「今説明してもいいが、今日はもう遅いからな」鑑はどうしたものかと考えるように頭を掻く。「明日お前たちを連れていきたい所がある。下のゴーストタウンにある診療所だ。そこにあるものを見てもらうのが一番話が早い」
「診療所……なにかするんですか?」
「見たところ、マナの記憶のマスキングは製造工程のなかで正常に完了してしまっているようだ。これを解くための処置をする。いつまでも自分自身の記憶にアクセスできないのは辛いだろうからな」
凪は思わずマナを見た。マナも目を丸くしてこちらを見ている。
「あの! それって……!」マナが鑑の方に向き直り、目を白黒させながら言う。
「ああ、お前が〝人間だったとき〟の記憶を蘇らせる」鑑は事もなげにそう答えた。
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