27

 凪は車に詰められて目隠しされたあと、どこかの建物へ移動させられた。


 彼らの声や足音が遠くまで反響して聞こえる。どうやら広い空間のようだ。


「耳の裏に小型のイヤホンマイクが張り付いてたんで剥がしておきました。パンツも脱がせて確認しましたが、それ以外のヤバそうなもんはないっす」テープで縛られた後ろ手を掴んでいる男が言う。おそらく銀髪だ。


「んそ、とりあえずこの椅子に座らせて。あと火」続いて坊主頭の声。


 背後の男に腕を引っ張られ、無理やり着席させられる。ひやりとした金属のパーツが直接肌に触れた。服を脱がされたからだ。

 ベタついた何かを巻きつけられ、体が椅子に固定されていく。おそらく後ろ手を縛っているものと同じテープだろう。


 そうして身動きが取れなくなった所で、目隠しが外された。


 広く薄暗い空間、高い天井、錆びた壁、積まれたコンテナ──どこかの倉庫のようだ。開いたシャッターの向こうに海が見える。それを背にして、目の前で坊主頭が煙草をくゆらせていた。


 流れてきた煙が顔にかかる。嫌いな臭いだ。


「女のhIEは?」坊主頭が銀髪に聞く。

「一旦奥の部屋に置いてます」

「そか。社長がその機体の性的サービス機能の有無を調べておけだと。チェック用のコード表示誤魔化してるかもだからちゃんと指突っ込んで確認しろってさ。謎」

「はぁ」

「や、やめろ!」


 思わず声が出た。坊主頭の視線がこちらを向く。奇怪なものを見るような目だ。


「……え、何? お前もしかしてアンドロイドガチ恋男なの……? その顔だったらいくらでも生の女食えるだろうに……もったいな」


「何とでも言えよ! あいつにこれ以上何かしたら殺してやる」


「なるほどね」坊主頭は無精髭が散らばった口をニヤつかせた。「石塚! ダッチワイフに一発ぶっかけとけ!」デカい声と一緒に飛んだ唾が体にかかる。


「やめろって言ってんだろ!」


 殺してやりたい──凪は歯を強く噛み締めた。縛られた体に殺意が飽和していく。

 坊主頭はにやけたままこちらに視線を戻し、


「じゃあ喋れ」


「……」


 話せない。星野や晴香を売れない。


 それだけじゃない。


 体の内側が燃やされるような感覚の中で思う──この状況に絶対屈してはいけない。

 もうマナに傷一つだって付けたくない。本当は、安全な場所に置いてその穏やかな笑顔を守っていたい。

 でも、彼女にはその命よりも大切な目的がある──マナやアカネのような存在が、もう二度と生み出されないようにすることだ。

 ここで終わったら、これまで彼女が痛みに耐えてきた意味すらなくなってしまう。


「石塚、いけ」坊主頭は煙草を持った方の手で奥の部屋を指示した。


「……」


 拘束された体の内側で殺意がのたうつ。脳が焼けそうだ。


「まぁお前の趣味はどうでもいいけどよ……」坊主頭が煙草の煙を吐き出す。「今日は休みの予定だったからさ、俺も早く終わらせたいんだよね。さっさと喋ってくれたほうがお互いのためだよ。誰に依頼されたの?」


「……だからさっきから知らないって言って──」


 頬に平手が飛んだ。

 少し遅れて肌がしびれ、口の中に鉄の味が滲む。


「あっ……今回は痕残しちゃダメなんだった」


 坊主頭は何かを考えるように頭を掻きながら辺りをきょろきょろ見回すと、床に落ちていたテープを拾った。それが手頃な大きさに千切られる。びりりという音が倉庫に短く反響した。

 テープで口が塞がれていく。男の顔が近い。無精髭の残った口から黄色い歯が覗いている。内臓が腐っているのではないかと思わされるような口臭。肺が犯されるような感覚に、思わず目を瞑って息を止める。


「まぁ一旦落ち着こ。タバコ吸う?」


 口を塞いでおいて何を言ってるんだ? バカなのか?

 そう思った矢先、坊主頭が一度手に持った煙草を吸い、煙を吐き出しながら、凪の鼻にそれを突っ込んだ。


     *


 晴香はヘッドセットを被り、真っ暗な自宅のリビングで椅子に腰掛けていた。


 ヘッドセットは音声の入出力のためのものではなく、Brain-machine Interfaceに有線で接続するためのものだ。感覚をフクロウの操作に持っていかれているため、自身の体は上手く動かせない。機械とのやりとりは手や肉眼を介さずBMI経由で行っている。


 晴香はマナとの通信が回復するのを待っていた。


 マナの視覚及び聴覚情報から、彼女がバンに乗せられるまでの顛末は把握していた。しかし車内で何か通信を遮断するものを被せられたらしく、それ以降の情報が入ってこない。

 彼女が頭を壁に激しく打ち付けられている時『気絶したふりをすれば相手は頭部への打撃をやめる』と助言をした。相手がhIEの安全装置を作動させてスタンさせたいのだと会話から推測できたためだ。

 マナはhIEと違い、通信が遮断された状態であっても活動が可能な自律機だ。そのため、彼女が気絶したふりをしながら隙を伺い、こちらに連絡をとってくる可能性がまだあると踏んでいた。

 しかしいくら待てども通信が回復しない。視界に常時表示している通話チャンネルのマナのアイコンは十分近くグレーアウトしたままだ。


〈ここまでだ。ワゴンの尾行は諦めて凪の方に行こう〉追跡を続けていた星野が言う。

「そうね……でも……」


 凪と星野がそれぞれ別の車両を追跡し始めてからすでにかなりの時間が経っている。今から凪の元へ向かっても、彼らが連れ去られた地点に移動するだけで一時間弱はかかる。とはいえマナを乗せたバンがその後どこに移動したのか分からない以上、他に手の打ちようもない。


「……うん、仕方がない。そうしよう」


 ワゴンの追跡を諦めようとしたところで、突然グレーアウトしたマナのアイコンに色が戻った。通信が回復したのだ。

 小さなノイズが音声に乗り、地図上にマナの位置情報が表示される。埠頭の一角にある建物内だ。遅れて視覚映像も回復するが、ただ一様にグレーの画面が表示されているだけで何もわからない。


「マナ! 大丈夫!? 今の状況は!?」


 マナは応答しない。

 布の擦れ合うようなガサゴソとした音や、微かな呼吸音が、ただ流れてくる。

 脳裏に蘇る、通話越しに響いた彼女の悲鳴。あのとき彼女の制御系がどれほどのダメージを負ったのか分からない。不安でずっしりと胸が重くなる──どうか、どうか無事であってくれ。


〈壊れちまったのかな……〉


 星野も同じことを考えているようだ。


「……あれ? ちょっと待って」


 コツコツと遠ざかる足音のあとで、マナの視覚情報に変化があった。薄暗い部屋の天井だ。


〈晴香ちゃん。聞こえる? ごめん、声は聞こえてたんだけど人がいて話せなかった〉


 耳に飛び込んできたそれは、小声で話すマナの声だった。


「マナ! よかった! 頭は平気?」

〈私は大丈夫。言われた通り気絶したふりをしてただけ。それより凪くんが……〉


 口調から焦りが伝わってくる──凪に一体何が?


「……どうかしたの?」

〈別室に居て、音しか聞こえないから詳しくは分からないんだけど……多分拷問されてる〉


 サッと血の気が引く。心臓の鼓動がどっと速まり、黒い不安を全身に押し流す。


〈拷問って……何? 爪でも剥がされてんの?〉星野の声にいつもの余裕はない。


〈詳しくは分かんない……でもさっきからずっと苦しそうにうめいてて……ときどきすごい咳き込んでるのが聞こえてくる〉


〈……マジか〉


「っあぁもうあのドジ!」


 毒か? 暴力か? 掻き立てられる強い不安と手が打てない歯がゆさに、晴香は思わず叫んだ。

 一秒でも早く助けたい。でもどうすれば……。通報するしかないのか。しかしそうした場合、風俗店の機体を盗んだ挙げ句、大手メーカーの通信を傍受してその取引先の車を尾行しているこちらもただでは済まないだろう。いや、最早そんなことを考えている場合ではない。


〈……晴香ちゃん、私をグローバルのネットワークに繋いで〉


 マナが突然切り出した。


「何をするの?」

〈助けを呼ぶの。〝ヒギンズの箱庭〟にある体を使って〉

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