26

〈荷物を別の車に移動させてる。すごい、晴香ちゃん大当たり……〉


 マナの通話音声を聞きながら、携帯端末に表示された彼女の視覚情報を確認する。


 ワゴンの後ろからアタッシュケースが取り出され、あらかじめ駐車されていた車のトランクへ移されていく。おおよそ何かを輸送する用途には思えない黒塗りのセダンだ。やがてその作業が終わり、トランクが閉められる。


「この黒い車を追えばいいのか」

〈……いや、これどっちも追わないとダメだな〉晴香が言う。

「え?」

〈始めにワゴンに乗せられたアタッシュケースは四つ。今移動したのはそのうち二つだけ。まだワゴンに荷物が二つ残ってる〉


 よく気づくな──晴香の抜け目なさに改めて感心する。しかし輸送者の行動の意図がいまいち掴めない。


「どうしてわざわざ……。二箇所に運ぶ必要があるのかな」

〈あるいはどっちかの荷物が空か……。そうだとするとかなり用心深いな。マナ、ちょっと危ないからすぐ凪の所に戻って〉

〈……うん、わかった〉マナが小声で返答する。


 視覚映像から、彼女が引き返しはじめたことが分かった。駐車場入口を確認しながらしばらく待つ。まもなくマナが現れてこちらに駆け寄ってきた。


「おかえり。ナイスファイト」戻ってきたマナと軽くハイタッチする。

「ただいま」マナが少し得意げにはにかむ。「でも、これからどうしよう……」

〈……ちょっと大変だけど、できればそれぞれの車の分担を決めて追跡を続けたい。それでもいい?〉


 晴香がその質問をするまでには少しがあった。言い出しにくかったのだろう。


〈俺はいいぜ〉


 星野が疲れをおくびにも出さずに言う。コンビニへの買い出しでも頼まれたような軽さだ。


「僕も大丈夫。こっちで黒い車を追いかけるから、そっちは今まで通りワゴンを追いかけて」

〈へーい〉


 星野の間の抜けた返事に、少し緊張がほぐれる。


〈二人とも悪いわね。集中が続かなくなったら中断するから無理せず言って〉


     *


 辺りがゆっくりと暗くなりはじめた。


 信号待ちでしばし停車する。沈みかけの太陽がグラデーションに染めた空を、ビル群の直線的なシルエットが切り取っている。逆方向の空へ目をやると、すでにちらほら星が見え始めていた。


〈フフーフフフン フフーフフフン フーンフーン フーンフーン〉通話越しに星野の鼻歌が聞こえる。


〈下手くそな鼻歌やめて。なんかムカつく〉晴香も疲れてきているのか、言葉選びをサボり始めている。


〈いやだって暇すぎてよぉ〉


 ワゴンが高速に乗った後、それを追跡する星野たちはずっとこんな調子だ。


 一方凪が追跡するセダンは、しばらく海に近い大通りをワゴンと反対方向へ進んでいたが、ここへきて突然小道に入り始めた。


「やたら細い道に入るようになったな……追いかけづらい」

〈目的地が近いのかもね〉晴香が言う。〈そのへんに埠頭があるから、運輸会社の拠点が近くにあってもおかしくない〉


 人通りの少ない道に入ることが増えてきた。ある程度の距離を保ちながら追跡しているが、それでも目立つかもしれない。


「そろそろ限界かも。バレない距離をとってると見失いそう……このへんの防犯カメラの映像とか引っ張ってこれない?」

〈分かった。ちょっと見てみるね〉晴香が応答する。


 その言葉から少し遅れて、携帯端末上の地図に一つ、また一つと映像が追加されていく。


「すご、ありがとう」

〈どういたしまして〉


 まるで予め準備していたかのような手際の良さ。手品を見せられた気分だ。



 ふと、追跡しているセダンが道の先で停車していることに気づいた。


 突き当りは電灯もなく、高い建物に囲まれていて薄暗い。袋小路のようだ。セダンの黒い車体が、周囲の建物の窓から漏れる僅かな光を反射している。

 ここが目的地なのだろうか。


 少し距離を詰めすぎたかもしれない──そう思い、折り返すために背後を確認した瞬間、危険を察知した。


 道を塞ぐようにして、グレーのバンが停まっている。


「やばいかも」

〈何? どうしたの?〉


 バンのドアが開く。一人、また一人と中から人影が現れる。逆光で姿の詳細までは見えないが、男二人のようだ。

 一人はずんぐりした筋肉質の男で、坊主頭に剃り込みを入れている。

 もう一人は猫背の大男で、ツーブロックの短髪を銀色に染めている。


「おおい! ちょっといいかな!」坊主頭がしゃがれた大声で言う。こんなにデカい人間の声を聞いたのは久しぶりだ。


 二人が近寄ってくる。胸をヒリつかせる暴力の気配。長時間の尾行でダレた感覚が締め出され、一気に頭が冴えていく。


 ふと、腰にしがみつくマナの手が震えていることに気づいた。なんとか彼女一人でも逃がせないか──二人で逃げおおせる状況ではないと直感し、考えを巡らせる。


 ポケットには晴香に持たされた護身用のスタンガンが一つ。音と痛みで怯ませることはできても、気絶させるほどの威力は出ない。威嚇の意味がある相手には見えないし、いざという時まで手の内を見せず隠し玉として温存しておくのがいいだろう。

 後ろは行き止まりで逃げられない。前の男二人をどうにかするのは難しそうだし、なんとかやりすごせたとしても彼女にバンを乗り越えさせるほどの時間を稼げない。


 とにかく今は、話しながら隙を伺うしかなさそうだ。


 そんなことを考えているうちに、二人組は目の前まで近づいて立ち止まった。

 どちらもデカい。威圧感に嫌な汗が滲む。目の前に爆発物が置かれた気分だ。


「降りて。ヘルメット脱いで」坊主頭が言う。


 言われた通りにするしかない──凪とマナは指示に従いバイクから降りた。

 ヘルメットを脱ぐ。もう通話には参加できない。晴香たちと連絡を取れるのは、機体のデバイスで通話に参加しているマナだけだ。


「なんだぁ。ガキじゃん」坊主頭は驚いたような顔をしたあとで、少しその表情を緩ませた。


 バカな学生の小遣い稼ぎとでも思われたのだろうか。もしかすると、何も事情を知らない使い捨ての末端を装えばこの場は切り抜けられるかもしれない。

 とにかく今は全力でシラを切り通す──凪は無表情を作った。


「何? おっさん」坊主頭に目を合わせたまま言う。

「……ガキのオッサン呼びはリアルにしんどい。お兄さんな」坊主頭が乾いた笑みを浮かべる。思いがけずリアルなダメージが入ってしまったらしい。


 隣の銀髪が何か気づいたようにマナを睨んだ。一歩近寄り、大きな体をかがめて彼女の顔を覗き込む。マナは体を強張らせて少し後ろに引いた。


「こっちの女人間じゃないっすね。hIEかな」

「ゲッ面倒くさ! とりあえず一旦落としてズタ袋突っ込んどいて」


 坊主頭に指示され、銀髪がマナへゴツゴツとした手を伸ばす。


「何すんだよ! やめろ」咄嗟にその腕を掴む。直後、後ろから坊主頭に引き剥がされる。

「まあ落ち着け美少年君! ちょっと話を聞くだけだから。どうしてあの車を追ってたの? 誰かの依頼?」


 坊主頭に頭を強くロックされて抜け出すことができない。汗と煙草と香水の入り混じった臭いが鼻を突く。

 もみ合っている最中さなか、銀髪がマナの頭を掴んだ。


「痛い! 離して!」マナが壁際に引っ張られていく。


 アイボリーの毛束を握る銀髪の太い腕に力がこもった。壁を目の前にして、大きな体躯の重心が砲丸投げのように移動する。


 その動きの意味に気づいて、心臓がドクンと跳ねた。


「やめろ!」


 叫んだ直後、マナの頭が壁へ強く衝突した。


 ゴツンという重い音。彼女の全身が跳ねるように強張る。ざらついた悲鳴が耳をつんざいた。


「あれ、止まんないな」


 銀髪は意外そうに手元を見た。マナは両手で銀髪の腕を掴んで体をじたばたさせている。再度、頭を掴んだ手に力を込められた。

 その光景を目の当たりにし、必死に拘束から逃れようとする凪の首を、坊主頭の腕がより一層きつく絞め上げる。身動きが取れない。

 一回、二回、三回……。銀髪が連続してマナの頭を壁に打ち付け、そのたびに短い悲鳴が狭い路地を木霊する。彼の顔は終始無感情だ。

 これ以上はマズい──ポケットを弄り、スタンガンに手をかける。それを取り出そうと握りしめた瞬間、違和感を覚えた。


 それまで容赦なく継続されていた銀髪の暴力が、不自然に止まった。


 男の手に掴まれたマナの頭。そこからぶら下がるからだが、ぐったりと脱力してへたりこんでいる。糸が切れたマリオネットのようだ。


 どれだけ目を凝らして見ても、彼女は動かない。頭から流れだした黒い液体がドロドロと頬を伝い、華奢な首の筋へ線を引く。


「……嘘だろ」


 銀髪はそう呟いた凪をちらりと横目で見ると、動かなくなったマナの体を担いでバンの方へ歩いていった。


「中々スタンしなかったな、あのhIE」坊主頭の煙草臭い息がかかる。「いつもは一発なのに」


 その言葉を聞いて、先程までの暴力の意図に気づく。

 hIEはボディに強い衝撃を受けた時、誤作動を防止する目的で機体を緊急停止する。これを作動させた後で通信を遮断する何かを被せてしまえば、他律制御のhIEは稼働できなくなる。彼らはこれを利用しようとしたのだ。


 しかしマナはhIEではない。当然、このような安全装置もついていない。彼女に付いていた緊急停止用の機能は首と胴体の信号を物理的に遮断するブレーカーだけだし、それも晴香によって取り除かれてしまっている。


 だとすれば、マナの体が停止した理由は……。


 気づけば、心臓が爆発しそうなほど速く強く鼓動を打っていた。いくら振り払っても頭に浮かんでくる、最悪の可能性。それを受け入れることができず、必死でまだ彼女が無事である可能性に思いを巡らせる。

 痛みで失神してしまっただけかもしれない。もし仮に制御系にダメージが入って停止したのだとしても、回収して晴香に頼めばまだ治せるかもしれない。


 晴香……そうか、晴香なら──脳裏に一つの希望が浮かぶ。


 この男たちは初めからマナをスタンさせる目的で機体に衝撃を与えていた。そして、マナの視聴覚情報は晴香たちにもリアルタイムで送信されている。自分以外の三人のうち誰かが、銀髪の行動の意図に早い段階で気づいていたなら──


 最悪の可能性への不安はまだ拭えない。

 でも、今はその希望にすがるしかない。


「俺の話を聞け。あの車を追ってた理由を教えろ」耳元で坊主頭の声が響く。


 恐らくマナはまだ助けられる。今は演技を続けて隙が生まれるのを待つしかない。


「僕らは何も知らない! 言いがかりだよ!」

「……」


 坊主頭は自由な左手でデバイスを取り出し、それを耳元に当てた。


「尾行してた奴捕まえました。ただのガキっす」


 どうやら誰かと通話を始めたらしい。


「いやぁ十中八九なんも知らない使い捨てだと思うんで逃しちゃったほうがいいと思うんすけど。はい……はい」


 よし、この調子なら──坊主頭の通話の内容に、脂汗をかきながら笑いを堪える。

 そうこうしているうちに、銀髪が車から戻ってきた。通話は終わりそうにない。


「誰かの依頼だったとしてもわざわざめくれるような情報を末端のガキに教えないですって。勘弁してくださいよ……今日運んでんのネタでもハジキでもないんすよね?」


 銀髪はこちらを尻目に、バイクに取り付けられた携帯端末へ手を伸ばした。


──マズい、星野や晴香との繋がりがバレる。


「あがっ!」


 バリバリという放電の音とともに、首をロックしていた腕が緩んだ。

 力が入らなくなった坊主頭の右腕を捻りつつ体を翻し、その勢いで足を払う。重量感のある筋肉質な体が勢い良く転倒した。


 音に驚いた銀髪が振り向く。その手にはすでに携帯端末が握られていた。


 今の隙を逃してはいけない──銀髪に飛びかかり、殴りつけるようにスタンガンを押し付ける。強いショックを与えられるように、できるだけ長く。

 銀髪は痛みでバランスを崩し、バイクごとその場に倒れた。手から携帯端末が投げ出される。


 どうせ逃げ切ることは不可能だ──端末に駆け寄り、踏みつける。フレームが割れて画面の光が消えた直後、後ろから銀髪に羽交い締めにされる。


 ゆらりと起き上がる坊主頭を目の端に捉えた。彼は面倒臭そうにこちらを睨み、


「あぁ前言撤回っす。なんか知ってそうですね。とりあえず倉庫連れていきます」

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