#5 「Swampman」
15
アカネを救出する計画の実行日。
駅ビルに設置された多目的トイレの中で凪は途方に暮れていた。正面の鏡に、ノースリーブの夏用ワンピースに身を包んだ自身の姿が映っている。頭の上にちょこんと乗った小型のフクロウが、その姿を共に眺めていた。晴香が操作する無人機だ。
『……正直あんたの実力をナメてたわ。まさかこんなことになるなんて』フクロウから落胆する晴香の声が聞こえる。
〈しょうがねえよ〉通話中の星野がイヤホンの向こうで笑う。〈せめてもっと男受け悪い服を選ぶべきだったな〉
「いつも歩いてる道がこんなに怖いなんて知らなかったよ。意識変わるなぁ」鏡の中の自分を見ながら力なく言う。
『まさかこの短時間で四回もナンパされるなんて……計画に修正が必要だわ』晴香は本気で困った様子だ。
〈あの……〉通話越しのマナがボソボソ言う。〈こういうときはいっそ男の人と一緒に行動したほうがいいかも〉
『それだわ!』フクロウから出力された晴香の声がトイレに響く。
〈おっ、んじゃあ俺が彼氏役やるわ〉星野がいつもの軽いノリで立候補する。〈あとマナ、お前はマイクの音量ちょっと上げとけ〉
『お願いするわ。フクロウの引き取りがてらちょっと付いててあげて』
十数分後、星野が凪のもとに到着した。
「……なにその恰好」凪は星野の服装にツッコまずにはいられなかった。
『ブッ! ちょっ、あんたそれ……ガラ悪すぎ……』フクロウの姿の晴香も吹き出す。
「なんだよ、あの辺に溶け込むならこれでいいだろ」
星野はジャケットを片手にさげ、もう片方の手で開いたシャツの胸元をひらひらとさせた。うっすら化粧をして高級感のあるホストファッションに身を包んだ彼の姿は、完全に夜職のそれだ。
「ハマりすぎて余計目立つね」
「今のお前には言わたくねぇな」星野はピアニストのような指で凪のエクステを掬った。
*
星野が同伴することにより、凪は風俗店近くのカラオケまで移動することに成功した。
個室に入り、星野にフクロウを手渡す。彼はそれを鞄に入れて部屋を出ていった。これからしばらくは四人の通話に参加しつつ、この場所で一人待機だ。
喉が渇いた。
「ちょっと飲み物取ってこようかな」ふらりと立ち上がる。
〈ナンパされないように気をつけて。これ以上目立ってほしくない〉晴香の声色は冗談ではなくマジのトーンだ。はいはいと返事をしながら部屋を後にする。
幸いドリンクバーはすぐそばに位置しており、誰にも出会うことなくウーロン茶を確保して戻ることができた。
〈あっ、やっぱあんたあんま飲み物飲まないで〉晴香が突然言う。
「なんで?」
真夏の日差しが照り返すビル街を歩いてきたせいで脱水気味だ。このタイミングで待ては辛い。
〈その身なりで男子トイレに入ったら目立つでしょ〉
「……なるほど、盲点だった」
これが終わるまで水分補給はお預けということか──手に持ったグラスをちらりと見る。氷で冷えた表面が汗をかき、部屋の明かりに照らされてキラキラと輝いていた。
「……」
バレないよう、音を立てずに一口だけウーロン茶を含み、グラスをテーブルに置く。
これからの事が終わったら全部飲んでやる──そう心の中で唱え、それ以上の水分補給を自制する。
ふと飲み口に付いた口紅が目に留った。なぜか恥ずかしくなり、静かに指先でそれを拭う。
そうこうしているうちに、星野が目的地の風俗店前に到着した。
〈このへんでいいか?〉星野が小声で言う。
〈うん、あんたはそのまま前を見て直進。あたしはタイミングを見計らって自力で鞄から出ていく。そこの看板の影に隠れるから、そこを横切る感じで歩いて……ナイス!……オッケー、無事に隠れた〉
どうやら晴香のフクロウは計画通りの配置についたらしい。
〈よっしゃ。んじゃまあ気をつけてな〉星野は囁き声をキープして話し続ける。
〈星野。あんたはこの通りを抜けたら、そのまま凪のところに戻って。あたしは店内に入ったあと色々準備することがあるから、それまでのんびりしてて〉
〈そのフクロウの視覚映像どっかに流せねえの? 待ってる間見たいんだけど〉
〈あー、じゃあ落ち着いたらこの通話のチャンネルに流しておくから適当な画面に繋いで。見続けると酔うかもだから気をつけて〉
〈おっサンキュ〉
黙って二人の会話を聞いていた凪は携帯端末を取り出し、室内のカメラを背にして手元を死角にしつつチャンネルに映像が共有されるのを待つ。
それからまもなくして、星野がカラオケの個室に戻った。
「おつー。おっ、もう映像来た?」星野の手には氷で冷やされたコーラのグラスが携えられている。
「おつかれ。まだ来てないよ」端末の画面に視線を戻す。
〈今やってるからもうちょい待って〜〉晴香の声から少し遅れて端末に暗い映像が表示される。フクロウの視覚映像だ。〈……よし、映像出てる?〉
「あー来た来た。見えてるよー」
「お、ナイスタイミング」
星野が隣に腰掛け端末の画面を覗き込む。微かにシトラス系の整髪料が香った。
画面に映っているのは左右に行き交う大きな靴の群れ。小人目線の歓楽街。
〈このおっさんの影に隠れて忍び込むわ〉
画面いっぱいにアオリで中年の男が映った。その手がドアノブにかかり、扉が開く。晴香のフクロウは男の後ろにピッタリとついたまま店内へ潜入し、ドア横に置かれた椅子の下へサッと転がり込んだ。
〈うっし。ちょっと気合入れよ〉晴香は独り言のように小さく呟いた。
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