#4 「秘密の交換」

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「えーすなわち、hIEの動きは超高度AI〝ヒギンズ〟によって、事故を起こすことがないよう取り図られているということですね」


 凪はうとうととした意識の中で、教師の淡々とした話し声を途切れ途切れに聞いていた。晴香の家で少し眠ったとはいえ、寝不足であることに変わりはない。


「このように、hIEの協調行動は、『世界をひとつの箱庭とみなして、その内部の状態をhIEからフィードバックされた情報を用いて計算し、全体として問題が起きないように動かす』というかたちで保たれています」


 学校に着いた時、授業は三限の途中だった。どうせ遅刻するならもう少し休んで午後から来ればよかったと、今更になって後悔する。


「〝ヒギンズ〟はhIEを管理するとき、個々に能力の違いがあるhIEを五段階の能力レベル 〝AASCレベル〟に割り振りました。機体の能力差を考慮に入れていると、協調行動のために行動管理クラウドが処理しなければいけないデータが膨大になってしまうためです」


 本来なら昨日の夜は、今日行われる追試の対策をする予定だった。しかし色々なことがありすぎて、全ての予定が狂ってしまった。


「たとえばAASC2には子どもなど身体的弱者のかたちをしている機体が属していて、AASC3には一般成人男性レベルの能力を持っている機体が属している、といった具合ですね」


 追試がダメだったら夏休みも補習を受けることになる。それだけは絶対に回避したい思っていたが、こうなってしまってはとうとう覚悟を決めないといけないかもしれない。


「行動管理クラウドにとってアンコントローラブルな機体に割り振られるレベルもあります。AASC1の故障機、AASC0の人間ですね。後者は日常生活で耳にすることはないかもしれませんが、行動管理クラウドの内部的には私達にもAASCレベルが割り振られて管理されているんだなということを覚えておいてください」


 もうどうにでもなってくれ──凪はついに起きていることを諦め、机に突っ伏した。

 視界が暗くなる。段々と遠ざかる教師の声。

 服についたコロンの香りが微かに意識へと上って、ゆっくりと輪郭を失い、消えていく──


     *


「おっつー。バスケしようぜ」


 追試に惨敗し、光を失った目で遠くを見つめる凪に、長身の同級生が声をかけた。星野 祐介ほしのゆうすけだ。


「お前今日なんで遅刻したんだよ。なんかゲッソリしてんじゃん。体調わりいの? あれ、姫は一緒じゃないのか。珍しいな」


 星野はたまに晴香のことを姫と呼ぶ。一部の女子たちに王子と呼ばれている凪としょっちゅう一緒にいるからだ。


「晴香は今日休み。ごめん、ちょっと用事があってこれからすぐ行かないといけないんだ。また誘って」

「……なんか晴香の香水の匂いしねぇ? もしかして、今日学校サボって二人でいた?」


 星野にはこういう鋭いところがある。


 マナについての事柄をあまり人にベラベラ喋りたくないが、この状況を切り抜けるアドリブ力がない。ごまかしの言葉が浮かばずに目を泳がせていると、奥で女子がヒソヒソと何か話しているのが見えた。誤解だ。


「ま、詮索はしないよ」彼の顔はにやけている。「そういやさ、昨日の花道通りで起きた騒ぎニュースになってんの見た? メッチャ近くじゃん」

「えっ、なにそれ」


 昨日レストランの窓越しにマナを見かけた場所だ。何かあったのか。


「しらんのか。あの周辺の警備用hIEが一斉におかしくなって、通りにある風俗に突入して大騒ぎになったんだよ」


 それを聞いて、マナと無関係ではないかもしれないと直感する。


「……へーそうなんだ。まあ、あのへん治安悪いし、よくあることでしょ」ひとまず知らんぷりを決め込む。

「hIEが一斉に誤作動するなんてよくあってたまるか。んでさ、その原因が不気味なんだよ」


 ボロが出ないうちに切り上げたい──ちらりと星野の顔を見る。彼の目はらんらんと輝いていた。続きを話したそうだ。


「どういうこと?」流れ的にここは質問しないと不自然だろう。


「事の発端は、風俗店から出てきた女が警備用hIEに『店のロビーで刃物を持って暴れている男がいるから助けてくれ』って大騒ぎしたこと。そんで、複数のhIEがその男を止めるためにその店に突入したんだけど、店内では特に何も起きてなかったらしい」


「ふーん。それ誤作動じゃなくない? ちょっとヤバい女が騒いでたのをhIEが真に受けたってだけでしょ」


 このタイミングなら話を切り上げても不自然じゃない──さりげなく机の脇に下げた鞄へ手を伸ばす。


「まあ最後まで聞け」星野の大きな手にポンと肩を叩かれる。とにかく誰かに話したいらしい。


 はいはいと言って手を引っ込め、深く座り直して話を聞くモードに入る。


「で、その女にどうして虚偽の通報をしたのか事情を聞こうとしたが、周辺をいくら探しても見つからない。女の足取りを追跡するためにその時間の定点カメラの映像を確認するも、そこに映ってたのは誰もいない壁に向かって喋ってる警備用hIEだけだった」


「おお……それは結構ホラーだね」


「で、なんでそんな誤作動をしたのかって話になってhIEをコントロールする行動管理クラウド上の履歴を調べた所、確かにデータ上そこには人間がいたことになってたらしい。でも、その識別番号に対応する人間はこの世のどこにも存在しなかった──今メディアに情報が出てきてるのはこのへんまで」


「確かに不気味だね。星野が好きそうな感じに」


 星野は野次馬根性が強く、特にこういう謎めいた事件が大好物なのだ。


「そう! 俺の揉め事大好きセンサーがただ事ではないと直感している。はぁめっちゃ気になる。今から現場見に行っちゃおっかな」


 星野は大柄な体をレストランでご馳走を待つ子供のようにそわそわとさせている。そんな彼に言うのは気が引けるが……。


「……いやぁ、やめといたほうがいいんじゃないかな。危ないし」


 ここまでその場を取り繕うための返答を繰り返していたが、これは本心からの言葉だった。

 昨日の夜から今朝にかけてあったことを踏まえると、おそらく星野の言う『ただ事ではない』という直感は当たっている。だからこそ、彼の好奇心と行動力で嗅ぎ回るのは危ないと思ったのだ。


 ちらりと星野の顔を見る。彼はごきげんな顔つきで明後日の方向を見ており、全くこちらの様子など気にしていない。話したいことを話せてスッキリしたのか。


「急いでる所引き止めて悪かったな。どうせこれからまた姫と会うんだろ。じゃ!」

「あっちょっ……」


 引き止める声に気づきもせず、星野はそのまま教室を出ていった。

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