#3 「What is it like to be a machine?」

8

「とりあえず簡単ところからやってくか。まずはボディのハードウェアのチェックから」


 晴香の指がコトコトと入力機器を打鍵する。凪はソファーに横たわるマナをちらりと見て、隣にそっと腰掛けた。


 手持ち無沙汰になり、晴香の背中を見守る。


 デスク上の空間に人型のモデルが現れる。少し大きめのビスクドールぐらいだろうか。晴香はそれを掴むようなジェスチャーで手繰りよせ、くるくると回転させながら全身をチェックしはじめた。時折モデルから飛び出たタグを引き出してカードを表示し、記述を読んでいる。


「……想像してたより安物のパーツで固めてる。おそらく玉川電商のAASC2-hIE用ボディのセミオーダー ──ありふれた機体ね。正規の機体識別情報を設定すれば、すぐにでも行動管理クラウドによる他律制御に切り替えられそう」


「へぇ」説明を受けても詳しくないのでピンとこず、生返事になってしまう。


「外装のチョイスが少し特殊ね。皮膚感覚の解像度が高い……人間相当。肌の質感にもこだわってるな。代わりに耐久性に関してはある程度目をつぶってコストを抑えてるっぽい。頻繁に張り替えることを想定してるのかな」


「ああ、見た目に違和感がないのはそのせいか」


「うん。顔の可動部の数も多い。削れるところを削って外見にお金をかけてる印象」


 ほぉ、と返事をし、隣に横たわるマナを見る。目を凝らして観察するが、やはりその質感は人間そのものだ。違和感と言えば呼吸が止まっていて微動だにしないことと、顔の造形が完全に左右対称であることぐらいか。


「……おかしいな」晴香が確認を続けながらぶつぶつ言う。「脊柱管内を走ってるバスがやけに高性能。通常のボディに比べて触覚情報の転送量が多いことの対策かな。あるいは繊細な運動を行うための情報を低レイテンシでやりとりできるようにするためか……ともかく制御する頭が優秀なら、かなり自然な仕草ができそう」


 彼女はそこまで話すと、手を頭の後ろで組んで背もたれに体重を預けつつ、凪の座るソファーへ椅子を向けた。


「ここまでの印象を総合すると、ある程度部品の交換が頻発することを想定して安いパーツを選択している一方で、人間らしさの演出にはちょっとお金かけてるって感じかな。ただ、ここまでコストを気にしたハードウェア選択をしているとなると、なおのこと自律制御で運用してる理由が分からない……」


「どうして?」


「法的な制約、制御系ハードウェアの調達コスト、運用コストのどれを鑑みても割に合わないもの」


「なるほど」


 解析作業を開始してからまだ数分。この短時間でそこまで分かるものなのかと素直に感心してしまう。


「ボディに接続されているアクセサリの一覧も調べてみる」晴香は椅子を回転させ、机に向き直った。「冷凍庫にアイスあるから取ってきて。凪も食べていいよ」


 アイスという単語を聞いて、喉がカラカラであることを意識する。今日はかなり汗をかいたはずなのに、色々なことがありすぎて今の今まで気づかなかった。

 親切な同級生に感謝しながら立ち上がり、背にしていた広い空間を見回す……が、冷蔵庫らしきものは見当たらない。


「冷凍庫どこ?」

「キッチンカウンターの奥。あそこ」晴香は振り返らずに指で方向を指示する。


 影に隠れているのだろうか? 凪はカウンターに近づき裏側を確認した。

 当たりだ──死角には小型の冷凍庫が雑に置かれていた。設置されていると言うより、奥に寄せられているといった感じだ。ダンジョンの宝箱か? と心の中でつっこみながら近づき、ドアを開ける。

 中にはミニカップのアイスが大量にストックされていた。抹茶、抹茶、抹茶、抹茶、キャラメルホリック、抹茶、抹茶、抹茶……。一貫性があると見せかけて煮えきらないチョイスだ。キャラメルホリックが食べたいが、一つしかない味を選択するのは気が引ける……。三秒程度の熟慮の末、結局凪は抹茶を選択した。


 二組の抹茶アイスとスプーンを確保し、晴香のそばへ戻る。

 背中越しに声をかけようとして、晴香の耳が真っ赤になってることに気がついた。暑いのだろうか? 冷房が弱いようには感じないが。


「晴香」

「あっ! えっなに!」


 まるで悪戯いたずらを親に発見された子供のような驚き方。本当にどうしたんだ。


「……いや、アイス」予想以上に驚かれてこちらまで吃驚びっくりしてしまう。

「あっ、ありがと!」


 晴香は目も合わせずに差し出されたアイスを受け取る。明らかに動揺している。


「何かヤバいアクセサリがついてたの?」

「いやっ、特に怪しいパーツはなかったわ」


 嘘が下手すぎる。彼女がここまで動揺するのも珍しい。なにか隠してるだろうと思ったが、嫌な予感がして詮索するのをやめた。


 少し間をおいて、


「……あっいやごめんさっきの嘘」机に向かってアイスを食べていた晴香が何かに気づいた。「なんか首の後ろに変なのついてるな」

「へー、なんだろ」


 肩越しにデスク上のモデルを覗き込む。直後、晴香が口を開く。


「分かった、物理制御のブレーカーだ。おそらくこれに信号を送る装置があって、その有効半径にいる限りいつでも制御系とボディを切り離せる。自律機はネットワークに繋がってなくても動けちゃうから、こういう原始的な安全装置で停止手段を担保する必要があるのね」


 なるほど、と納得しかけた所で、一つの疑問が湧く。


「変だな。その機能が想定してる事態って、例えば今日みたいに機体が脱走した時とかだよね。なんでマナを追ってきた人たちはそれを使わなかったんだろう」


 少し考えるような間の後で、晴香が言う。


「そうね。この子がどう上手くやったのかは、この後直接本人に聞いてみましょ」


 モデルが空中で手放される。人型のそれはここが宇宙船の中であるかのように、角速度を維持してゆっくりと回転しながらその場に浮かんでいる。


「次は頭を調べる。集中するからしばらく話しかけないで。終わったらあたしから声かけるから、それまで好きにしてて。あ、シャワー使っていいよ。あんた今少し汗臭い」

「えっマジか、ごめ──」


 言葉を返す暇も与えず、晴香はさっとヘッドホンを付けて集中モードに入ってしまった。


 家の主を不快にさせるのは悪いし、汗がベタベタして気持ち悪い。長時間地下街を駆け回っていたせいで、体中が汚れている。拒否する理由もなかったので、凪はシャワーを借りつつ晴香の作業を待つことにした。


     *


 シャワーを終え、制服に着替えてリビングに戻ったあとも、晴香はまだ机に向かっていた。


 冷凍庫から二つ目の抹茶アイスを確保してフタを開け、一掬いして口に含みつつ、ソファーで横たわるマナの隣に座る。


 眠る少女。動いているときは人間と見分けがつかなかったが、呼吸による胸の上下すらなく完全に停止していると、途端に人形めいた不気味さを纏う。完全に左右対称で理想形に整えられた人工的な顔立ちが、その印象をさらに強めている。


 さっきまでの気弱な女の子と今の無機的な印象の人形とでは、どちらが彼女の本質に近いのだろう。


「ふぁ……」うっかり欠伸あくびが出てしまい、慌てて噛み殺す。


 シャワーを浴びたことで神経の高ぶりが落ち着いたのか、途端に眠気が出てきた。携帯端末の不調も回復せず、表示は依然として圏外のままだ。時間を潰す手段がない。


 アイスを食べ終え、しばらくソファーで暇を持て余しているうちに、凪は眠りについてしまった。


     *


「凪、起きて。終わったよ」


 肩をポンと叩かれる。


「うん?……ああ、ごめん。寝ちゃってた」


 目をこすりながら晴香の顔を見る。彼女の目元には少し隈ができていた。


「いいよ。綺麗な寝顔ね。起こすのためらっちゃった」


 晴香は時々、息をするようにさらりと恥ずかしいことを言う。


「ありがとう」寝起きの掠れ声が出た。「全部任せっぱなしでごめん。何か分かった?」

「うーん、まあ……ね」


 煮え切らない声色。彼女は椅子に腰掛け、


「マナの頭の中に、生きた脳は存在しなかった」


「えっ、ロボットだったの? 嘘でしょ」予想外の答えに、起き抜けの頭がすっと冴える。


「話は最後まで聞いて。あの子の制御系を構成する全てのユニットに生命活動を伴うものはない。純粋に人工的なモジュールの寄せ集め。でも……」


「でも?」


「完全に人間でないと言い切っていいかは……微妙」


「どういうこと?」


「動作の仕組みは完全に把握できた。でも、なんというか難しいのはそういうことじゃなくて……この子を人間として捉えるべきかあたしに判断しようがないっていうか……ちがうな、こういう存在をどう捉えるべきかっていう一般論を、この社会自体がまだ持ってないんだ」


 考えながら途中の思考を途切れ途切れに話している。普段の淀み無い弁舌とは対照的だ。

 そんな状態を自覚したのか、晴香は少しハッとした表情を見せ、


「ああ、ごめんちょっと意味分かんないよね。これからちゃんと順番に話す」


 と言って、ソファーに横たわるマナへ視線を落とした。


「……あんたの言ったとおり、通報する選択を先送りにしたのは正解。この子はただの自律機じゃない。もしあのまま警察に引き渡してたら、多分この子はその特異性に気づかれることなく、誤った対応を受けていたと思う」


 彼女はそこまで話すと、椅子の上で足を組みなおした。

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