7

 三人は廃駅の出口から地上へ出ると、そのまま歓楽街とは逆方向へ進んだ。


「この先に車が待機してる。車内に入ったら会話は禁止」晴香が歩きながら言う。


 曰く、車内の音声記録は文字起こしされたデータによってインデックスされるため、閲覧権限さえあれば会話内容で簡単に検索できてしまうらしい。


 大通りに抜けると、自動運転の無人タクシーが待機していた。


 開いた後部のドアから晴香が乗車する。凪は先にマナを乗せ、最後に乗り込んだ。


 無言のまま、窓の外を流れていく夜の都心をただ眺める。車は十分程度走ったところで目的地への到着を知らせ、深夜にもかかわらす車両の往来が激しい大通りの停車帯で停まった。


 ドアが開く。夏の夜の熱気が車内へ流れ込む。


 凪は車を降りて少し移動し、軽く背伸びをしつつ辺りを見回した──正面に平屋の倉庫。続けてコンビニ、オフィスビル、駐車場、公園の入口などが目に入る。この位置から見える範囲に人の居住空間となるような建物はなさそうだ。


 車のドアが閉まる音に気づき、振り返る。きょろきょろするマナ。荷物を背負い肩を回している晴香。


「ここからもう少し歩くの?」家らしきものが見当たらず、晴香に訊ねる。

「何言ってるの? ここよ」


 晴香は目の前の倉庫へスタスタと近づき、飾り気のない鉄扉の前で立ち止まった。カツンと、金属同士のぶつかる音。そのあとで、彼女の手がドアノブに伸びる。


「あっなるほ……」


 うっかり呟きが漏れた後で、ヤバいと思い平静を取り繕う。失礼な勘違いをしていたようだ。


「……? ボサッとしてないで早く入って。あんまり人に見られたくない」


 凪は隣にいたマナと顔を見合わせ、少し急ぎ足で家の中に入った。


     *


「おじゃまします」


 凪が扉を閉めると、一呼吸おいてドアノブが小さくカツンと鳴った。オートロックのようだ。


 玄関とそこに繋がるホールの空間は合わせて三畳ほどの大きさで、建物の外見とは裏腹に一般的な住居の内装をしていた。違和感といえば少し天井が高く感じるぐらいか。空調をつけっぱなしにしていたのか、快適な室温が保たれている。


 先に靴を脱いでホールに立っていた晴香が、マスクと帽子を取りながらこちらを振り返る。


「ちょっとだけここで待ってて。突然だったから全然人を入れる準備ができてなくて、とりあえず少し部屋を片付けたい」

「うん、分かった。いきなりごめん」帽子を脱ぎつつ返事をする。

「あっあの!」マナが慌ただしく頭を下げる。「突然こんなふうに押しかけることになって……本当にすみません……」


 晴香は少し笑って小さく「いいのよ」と言い、そのまま突き当りのドアの向こうへ消えた。


 ちらりとマナに目をやる。彼女は少し猫背になり、申し訳なさそうな顔でドアを見つめていた。まるで叱られた直後の子犬だ。帽子はまだ被ったままで、マスクを顎に下げている。

 彼女の頬や鼻の頭には黒い煤のような汚れが付いていた。それを見て、自分の顔も相当汚れているのだろうなと想像する。


 マスクを外す。こもっていた熱が逃げて心地よい。息を吸い込むと少しだけ晴香の匂いがした。


 ドアの向こうで慌ただしい足音や、ガラガラと空き缶の入ったゴミ袋を移動させる音が聞こえる。


 そういえば今は何時なんだろう。晴香と駅で別れたのが二十三時前だったが、それから色々なことがありすぎて時間の感覚がない。

 携帯端末をポケットから取り出して時間を確認する── 01:48

 ふと、画面に違和感を覚えた。電波強度の表示位置で警告マークが点滅している。圏外だ。昨今の一般的な人の生活空間において、電波が届かないということは通常ありえない。壊れてしまったのだろうか。


 端末の不調に思いを巡らせているうちに、晴香が掃除を終えてホールのドアを開けた。


「おまたせっ。上がっていいわよ」


 呼吸が少し乱れている。待たせては悪いと急いでくれたのかもしれない。


 ドアをくぐるとそこはリビングになっていた。


 かなり広い。高めの天井や置かれている物の少なさが、その印象をさらに強めている。

 正面の壁にはラックが設置されており、各段に役割の分からない重箱のような機械が乗っている。そこから伸びたケーブルが床のあちこちを這っており、注意して歩かなければ足を引っ掛けそうだ。

 右の壁際に広々としたL字デスクが設置されている。その中央には、今どき珍しい有線のヘッドホンと、映画でしか見ないような古めかしい入力機器が置かれていた。走り書きの数式が記述された大量のルーズリーフや、わざわざ紙に印刷された論文などが隅に追いやられ、折り重なっている。


「洗面とトイレはそこ。キッチンカウンターの奥のドアは寝室。開けたら殺す。とりあえずそこのソファー使って」

「分かった。落ち着く前にちょっと洗面借りるね」

「私もお借りします」

「どうぞ。タオルは洗面台の下にあるから」晴香がデスク前の椅子に腰掛けながら返事をする。


 凪とマナがリビングに戻ると、卓上の空間にいくつかのウィンドウが投影されていた。


「おかえり。色々話したいことがあるから、まあとりあえず座って」晴香はソファーを指示した。

「すみません……」マナがおずおずと腰掛ける。

「座ったね」


 晴香の指が何かの入力機器に触れる。


「あっ」


 押下されたキーがコトンと音を立て、同時にマナの体からフッと力が抜けた。そのまま糸の切れた操り人形のように、どさっとソファーへ倒れ込む。


「えっちょっと! 何やったの!?」慌てて晴香を問いただす。

「大丈夫」晴香は涼しい顔で言った。「ちょっと眠ってもらっただけ。解析が終わったら元に戻すわ」

「えっ…ええ……?」


 突然のことに頭がついていかず、横たわるマナを見ながら狼狽してしまう。

 晴香は机に向き直り、軽く伸びをした。


「じゃあ早速、この子の正体を確かめさせてもらいましょうか」

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