3

 凪と少女は追跡者の死角に入ったあと、廃ビルに身を隠し内側から施錠した。


「ここなら流石にバレないんじゃないかな」


 安堵しかけた直後、鍵をかけたドアがガタガタと音を響かせた。


「嘘でしょ! なんで分かるの!?」


 少女の手を引き、飛ぶようにドアから離れる。

 ドスンと、重い打撃音。繋いだ華奢な指がぎゅっと強ばる。施錠に気づいた追跡者が扉を蹴飛ばし始めたようだ。

 入り口から響く衝撃が暗闇を震わせる。凪は身を翻し、少女を連れて一目散に建物の奥へ走った。


 窓のある通路を離れ、周囲が闇に包まれていく。


 このままでは何も見えなくなる。凪は走りながらポケットの携帯端末を取り出し、その光で暗闇を照らした。


「あのっ! 多分なんですけど……」少女が小さな声で話しかけてくる。

「えっなに? ちょっと待って」


 移動しながらだと会話が難しい。凪は一度足を止めた。

 闇雲に走っていたため自分のいる場所が全くわからない。軽く辺りを見回して様子を確かめる。大きな柱、防火扉、二階及び地下へ続く階段──どうやら非常階段の前らしい。

 少女を防火扉の影へ移動させ、自身も扉にもたれて乱れた呼吸を整える。


「……いいよ、話して。どうしたの?」息切れしてしまい、途切れ途切れの発話しかできない。

「あの……多分私の位置、彼らにバレバレなんじゃないかと……」

「えっどういうこと?」

「私自身が、彼らに位置情報を送信してしまっていそうで……」

「位置情報? 自分で切れないの?」

「彼らに取り付けられたもので、私には無効化できません」

「取り付けられたって……どうにかして壊せない?」

「体内に仕込まれているようで……でも詳しいことはよく分かりません。壊しかたも分かりません」

「そんな……位置情報の送信機がインプラントされてるなんて、君何か悪いことでもしたの? っていうか、それじゃ隠れても意味なくない?」

「そう、ですね……でもどうしたらいいか……ごめんなさい」


 責められていると感じたのか、少女はそのまま下を向き、黙ってしまった。余裕を失ってうっかりキツい態度をとってしまったかもしれない。

 俯いて肩を震わせる少女。その姿に、胸の奥から情けない気持ちがこみ上げてくる。晴香だったらこんなときでも涼しい顔で上手く立ち回りそうだ。彼女だったらこんなときどう考えるだろう。


 目を瞑って深呼吸する。


 位置情報を相手に知られてしまう限り彼女を隠すことはできない。だからまず、どうにかしてその送信を止める必要がある。しかしその機能は持ち主の意思で停止することができず、破壊することもできない。

 それならいっそのこと、それが正常に動作できない空間に彼女を隠してしまえば──


「……位置情報の計算方法や送信の仕組みにもよるけど、基本的には電波暗室にさえ潜り込めばこっちから情報を送ることはなくなるはず」


 目の前にあるのは、二階へ続く階段と、地下へ続く階段。


「廃墟の地下に潜り込めば、信号を完全に遮断できる可能性はある。ひとまずこの階段を下りて地下階へ……ああでもダメだ、位置情報が消えたことでそれがバレたら一階に繋がる階段を全て塞がれるかもしれない。そうなったら袋の鼠だ」


 少し考え、ふと今自分がいる建物がどんな場所か思い出す。


「周辺一体の地下は大きな廃棄区画で、もともとは地下街だった。僕らの足元には昔の主要な建物や駅を繋いでいた通路が何本も複雑に通ってる。もし下りた先がそこと繋がっているなら逃げ道が封じられることはない。行き止まりだったら逃げ場は無くなるけど──」


 鋭い破壊音が会話を遮るように響いた。少女が音に怯えて強く身を震わせる。裏口の方から聞こえた。窓ガラスが割られたのか。


 悩んでいる時間はなさそうだ。


「──ここにいても捕まるだけだし、一か八か、地下に逃げてみようか」


 震える少女の手をとる。動揺が伝わらないよう、焦る気持ちを必死に隠しながら。


 少女は小さく頷いた。縋るような目。泣いているような表情だったが、涙は流れていなかった。



 非常階段を下りて辺りを確認する。携帯端末の光の照らす範囲は狭く、遠くまでは様子が分からない。

 歩を進めると足音が遠くまで反響する。かなり開けた空間のようだ。このフロア一帯は隠れられる物陰が少ないかもしれない。


 明かりを持った状態では目立ちすぎる。しかし真っ暗な地下では光源を持たなければ進めない。追跡者たちがこのフロアに下りてくる前に出入り口を見つけなければ、面倒なことになる。

 見える範囲の様子を確かめたあとで、携帯端末の光量を最小まで落とす。そのまま少女の手を引いて、壁を伝いながら小走りに進む。


 空調もないのに、空気は不気味なほど冷たい。暗闇と静寂の支配する空間に、二人の足音だけが反響している。


 フロアの隅から壁際に沿って中程まで進んだところで、あることに気づいた──向かい側の壁に、携帯端末の光と自分の姿が反射している。ガラス張りの壁。ショーウィンドウだ。少女の手を引き、急いでそこへ近づく。

 ガラスの向こうにグリルシャッターが降りていた。隙間に目を凝らす──通路だ。地下は行き止まりではなかった。


「やった!」思わず声を漏らし、少女と顔を見合わせる。彼女の表情には、先程まで失われていた希望が戻っていた。


 壁伝いに進むと出口はすぐに見つかった。一般用の出入り口とは別の通用口だ。


 鍵を回し、ドアノブを倒して金属製の扉を押す。少しだけ開くも、すぐにどこかが引っかかり、びくともしなくなった。錆びついているのだろうか。

 もしこのまま扉が開かなかったら──嫌な想像が頭をよぎる。それを振り払うように力を込め、肩を強くぶつけた。


 扉は金属同士が擦れ合う鋭い音を暗闇に響かせ、勢いよく開いた。

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