第78話 静かなる前線

1944年9月


 1944年8月7日に生起したマリアナ沖海戦から1ヶ月が経過した現在、戦線は停滞していた。日本海軍もアメリカ海軍も互いに大損害を受け、攻勢に出られるような状況では無かったからだ。


 9月に入り、やっと稼働状態となったトラック環礁の米海軍海兵隊(基地航空隊)からの空襲がマリアナ3島に対して散発的に行われるようになったが、機数が少なかったということもあり、零戦33型や陸軍の「飛燕」が難なく追っ払っていた。


 そのような中で日米両軍はひたすら戦力回復に勤しんでおり、次の米軍の来寇は今年の11月乃至12月だと見積もられていた。


「航海訓練も楽なもんじゃないな。特にこのようなご時世だと」


 1944年の6月に竣工した新型空母祥龍型2番艦「瑞龍」はサイパン島の東50海里の海域を航行していた。平時では竣工後3ヶ月の今の時点で航行訓練に従事することは明らかに性急だが、戦時の今となっては一刻も早い戦列化を目指すためにこのような処置が取られているのだ。


「この航海訓練はこの艦の慣熟訓練のみでは無く、艦載機の訓練も兼ねているものなので仕方ないかと」


 「瑞龍」艦長、林龍兵大佐のぼやきに副長が答えた。


「副長、応急指揮官の貴官の目から見て、本艦の応急時の対応は何点くらいかね?」


「まあ、50点といった所です。竣工後3ヶ月しか経っていない事を考えたら好成績だと本官は考えます」


「良い点・問題点はどこだ?」


「良い点は、艦内無線が開戦時の頃とは比べものにならないくらい発展したおかげで、乗員の移動配置がスムーズになった点です。改善点は新兵が多いせいで火災発生から火災鎮火までの時間が遅いと予想されることです。特に新型ポンプに乗員が慣れ親しむまでは時間が掛かるでしょう」


 「祥龍」「瑞龍」を始めとする改飛龍型空母には過去の戦訓を踏まえて新型の消火用ポンプと塗料が導入されており、先のマリアナ沖海戦でも「祥龍」はこの2つの装備のおかげで被害を最小限のものに留めることに成功していた。


「新兵の割合が多くなってしまうことは仕方ないだろう。熟練兵が欲しいのは山々だが、新型空母が順次竣工している今の状況では余り本艦に回しては貰えまい」


 副長は新兵について問題提起をしたが、実際にこの頃の日本海軍の人的資源は既に底を見せ始めており、払底寸前といった状況であった。先の海戦でも「隼鷹」「飛鷹」「龍驤」の3空母が撃沈されており、中でも「龍驤」は被弾から沈没までの時間が約15分と非常に短かったため、艦長以下9割以上の空母乗員が未帰還となってしまっていた。


 商船改造空母ながら2万トンを遙かに超える重量を持つ「隼鷹」「飛鷹」は沈没までのかなり長い時間艦が海上に留まり続け、その結果、比較的多数の乗員が艦外に脱出する事に成功したが、それでも全乗員の約2割が未帰還となってしまっている。


 日本はアメリカと違って空母の隻数に全く余裕が存在しないため、内地での空母乗員の訓練もはかどっておらず、熟練の空母乗員の頭数は目減りしていくばかりであった。


 現に、堂々と航海訓練をしているこの「瑞龍」にしても新兵の割合が全体の6割を大きく超えている上に、あろうことか艦の欠員率が10%程度も存在していた。


「艦の欠員率がこのまま10%前後で推移するような状況が続いてしまったら、いざ実戦になって艦が被弾し、応急修理に取り掛かろうとしたときに、応急修理に回せる人員が不足してしまい、艦が致命的な状態になってしまうリスクが格段に上昇してしまいます」


「新兵が多いと言えば、応急時の対応だけではなく対空射撃に関しても問題点が山積みです」


「だろうな。空母という艦種の対空射撃はただでさえ当たりにくい上に、連戦に次ぐ連戦で機銃員もバンバン戦死しているし」


 「瑞龍」は「大鳳」や防巡が装備している新型の長10センチ連装高角砲を予算と工期の理由から配備して貰うことが出来なかったため、高角砲の命中率が思うように上昇しないのだ。


 林と副長が対空射撃に関して議論を交わしていたとき、不意に艦橋が騒がしくなった。


「またか・・・」


 林がため息を漏らし、副長も頷いた。


「瑞龍」所属の航空機が「瑞龍」の着艦に失敗して盛大にマリアナの海に突っ込んでしまったのだ。


 日本海軍が採用している航空機各種は海面に着水してから約10分しか海上に止まることが出来ないため、その間に機内から抜けださなければ、その搭乗員は戦死者リストに名前を連ねる羽目になってしまうのだが、幸いにも搭乗員はすぐ機内から脱出することに成功した。


「艦だけでは無く、こっちも問題だよなぁ・・・」


 林は「瑞龍」の艦長職を預かる身として艦の事だけではなく、艦載機の練度の問題にも頭を悩ませていたのだ。


 マリアナ沖海戦では空母搭載機全554機の内、約4割の機体が未帰還となってしまい、日本軍機動部隊の搭乗員の練度は大幅に低下してしまった。


 それを補完する予備戦力は例のごとく日本には存在していないため、こちらも空母乗員と同様、練度の低下は避けられないものがあった。


 日本海軍が満を持して送り出した新鋭空母の「瑞龍」は一見すると頼もしそうに見えるが、実は内憂外患の状態であった・・・



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