第4話 陸軍救出作戦①
1942年9月 トラック環礁春島錨地
海上護衛総隊旗艦「香椎」の艦橋で一人の男が呟いた。
「海上護衛総隊が創設されるだけでも夢のような出来事なのに、その初仕事が陸軍さんの撤収作業の手伝いになるとは、全くこの世の中は分からぬな」
「ミッドウェー海戦の影響で米機動部隊が行動不能の今こそが好機だと海軍の上層部は考えたのでしょう。」
「私はそのことよりも、長官が御自ら前線に出てきたことのほうが驚きです。」と海上護衛総隊参謀長の島本久五郎中将が言った。
「これ程戦況が逼迫している今、陸軍・海軍の相互協力は急務であり、前線に私が出ていた方が陸軍さんに対して好印象だろう?」と海上護衛総隊司令長官の及川古志郎大将が笑いながら言った。
アメリカ海軍は、日本と開戦した場合に潜水艦による通商破壊によって日本のシーレーンを遮断し、継戦能力を奪うことを開戦前から決定していた。
太平洋戦争開戦直後は、緒戦の勝利とアメリカ海軍の準備不足によって海上交通に対する被害は軽微であったが、1942年の5月頃から米潜水艦による被害が漸増し始めていた。
そこで、軍令部と連合艦隊司令部の間で、「物資輸送計画」の大幅な見直しが図られ、海上護衛総隊の創設が実現したのだ。
当初はミッドウェー海戦の直後で予備兵力にも余裕がないため軍令部内でも、連合艦隊司令部内でも反対論が根強かったが、連合艦隊参謀藤井茂大佐や、軍令部次長井上成美中将が尽力してくれたのだ。
不意に及川が島本に聞いた「ところで参謀長、4ヶ月前のミッドウェー海戦から、海軍が、いや、陸軍を含めた日本軍全体良い方向に変わり始めているという事を気づいているかね?」
「実は私も同様のことを考えており、非常に嬉しく思っていたところです。」と島本が答えた。
「この部隊の創設こそが、海軍が変わってきていることの紛れもない証拠ですよ。」と島本が続けて言った。
「軍令部の井上さんとかは、そこからさらに一歩踏み込んで、陸海協調を推し進めようとしているらしいな。」と及川が言った。
不意に、艦橋の外にいた見張り員からの報告が飛び込んできた。「第8航空戦隊『大鷹』『雲鷹』出航します!続けて、『華山丸』『北京丸』『長寿山丸』出航します!」
及川と島本が艦橋の窓から外を見てみると、「香椎」の右舷後方で、空母「大鷹」「雲鷹」が出航しつつあり、その前方で特設巡洋艦の「華山丸」「北京丸」「長寿山丸」が動き出しつつあった。
「では、私たちも出航するとするか。」と及川が言った。
トラック環礁の春島錨地から西部ニューギニア近海までの航程は5日ほどであり、海上護衛総隊と輸送船28隻は西部ニューギニア近海に辿りついた。
その時、空母「大鷹」の航空電探が反応した。その5分後、「大鷹」「雲鷹」から零戦12機ずつが2空母から発艦していった。
海上護衛総隊にとっての始めての戦い、そして、西部ニューギニアの友軍救出を巡る戦いが始まったのだった。
「東部ニューギニアに展開している米海軍海兵隊の所属機だな。」と空母「大鷹」戦闘機隊隊長安島孝義少佐が言った。
「西部ニューギニアに援軍が送られることを防ぐために奴らも必死だな。」と安島が続けて言った。
もっとも、今回の海上護衛総隊の作戦目標は西部ニューギニアへの増援ではなく、西部ニューギニアからの陸軍兵力の撤収だが、米海軍はまだそのことに気がついていない。
現在、海上護衛創隊に向かって米海軍海兵隊の第1次攻撃隊約30機が殺到しつつあった。
この第1次攻撃隊約30機は海上護衛総隊の約60海里手前で、「大鷹」「雲鷹」から発艦した24機の零戦に補足された。
この24機の零戦の搭乗員の中には、6月のミッドウェー海戦で母艦を失った元「加賀」「蒼龍」所属の搭乗員も一部含まれており、その練度の差は圧倒的なものだった。
零戦隊は空中戦によって3機を失うものの、敵30機中19機を見事に撃墜して、他の機も爆弾を投げ捨てて一目散に撤収していった。
しかし、米海兵隊の第2次攻撃隊がすぐそこまで迫っていた。海上護衛総隊の戦いはまだ始まったばかりだった。
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