第四話 奪われたものとは隠し沢か?

ひどい違和感です、あるしゅ禁足地きんそくち土足どそくで立ち入っているような罪悪感があります」


 額に手を当て、藍奈がうめく。

 彼女はうっすらと、冷や汗をかいているようだった。


「足下を見てください、先ほどまでは獣道けものみちひとつ無かったのに、いまは飛び石が置かれ、なんなら石垣いしがきまであります」

「どういうこと?」

「入り口は巧妙こうみょうに隠されていました。あやまって迷い込むものがいないようにです」

「だから、なに?」

「並んでいる樹木が解りますか? クリ、スダジイ、オニグルミ、どれも戦前から病害虫に強く、可食性かしょくせいの実をつける樹木です」

「だーかーらー! どういうことかって聞いてるじゃん!」


 たまらず大声をあげたあたしに、藍奈はゆるゆるとかぶりを振り、こう答えた。


「ここは、隠し沢ですよ」


 隠し、沢……?


「文字通り、存在しないことにされている沢のことです。試しに水の中を見てください」

「?」


 言われるがまま、あたしは沢へと歩み寄って、水面をのぞき、


「うわぁ!?」


 とても、喫驚びっくりすることになった。

 そこには大量の……ほんとうに、ひしめくほど無数の魚がいたのだ。


岩魚いわなですね。おそらく別の場所で釣られたものが、ここへと運ばれ繁殖したのでしょう。尺岩魚しゃくいわなの姿まで見えます」

「ブラックバスみたいな感じ? 侵略的外来種みたいな……」

「ぜんぜん違います。万が一のそなえですよ」

「……?」


 なにを言ってるかピンとこない。

 首をかしげまくっていると、さすがにこちらの無知むち気遣きづかってくれたらしく――それはそれでしゃくだが――藍奈が上唇を舐め、解説の体勢に入った。


「沢を遡上そじょうしながら話しましょう。まず、クルミやクリ、スダジイは、適切な処置をすれば長く保存の利く果物ですね」

「それは解る。スダジイなんか、どんぐりのくせに生でも食べられるし、優秀」

「水場には、なにかありますか?」

「カキドオシとか、イワタバコとか、ユキノシタなんかが自生じせいしてみるたい」

「そして、岩魚です。ここまで言っても、合点がてんがいかないほどおまえは愚物ぐぶつですか?」


 いやいや。

 それはいくらなんでもあたしのことを馬鹿にしている。

 つまり、この場所は。


「食料貯蔵庫」

き。そういうことです。おそらく今朝会った老人、彼が住まう村が近くにあって、そこの人々が作ったものでしょう」


 でも、なんのために?


「この地方には、飢饉ききん逸話いつわが多くあります。おそらくそういった食糧難に当たって、藩主はんしゅなどに徴収ちょうしゅうされない、緊急避難的な食料が必要だったのでしょう。そうして、その風習が現代まで続いていたと……」


 驚くべきことだと、彼女は言う。

 ……もしかして、管理人さんが探してこいと言っていた山の幸は、これってこと?


「可能性は高いでしょうね。しかし、だとしたら」


 そこで、藍奈は言いよどみ。

 いくばくか迷ってから、奇妙な推論すいろんを口にした。


「これが、〝奪われたもの〟、なのかもしれません」

「〝奪われたもの〟?」

「あのご老体が言っていたでしょう、わしらからまた奪うのかと。これのことではないですかね? 隠し沢は村の共同財産。勝手に手を出し荒らして、それを金銭にえているとなれば、怒りのひとつも買うでしょう。つまり、奪ったのは管理人さんということです」

「あー」


 確かに、そうかもしれない。

 けれど。


「ええ、なにもずに帰ることもできませんし、いくつか頂戴ちょうだいしていきましょう。私たちには関係のないです」

「頂戴するたって、釣り具とかないよ?」

「頑張りなさい野生児。たぶん手づかみでもいけます」

「まじかー」


 結局、あたしたちは十匹ほどの岩魚を捕獲して、ついでに山菜をみ、山小屋へと戻ることになった。



§§



「本日の業務はここまで。ふたりとも、初日からよく働いてくれたな。それから、例の沢を自力で見つけてくれたのも助かった。こいつは日当にっとうだ、確認してくれ」


 渡された封筒は分厚く、結構な額がおさめられていた。

 藍奈が何度も枚数を確認していると、管理人さんが思案しあんするように顎に手を当て、


「ふたりとも、よかったら温泉につかっていかないかい?」


 と、誘ってきた。


「深夜はさすがにお客さんも使わない。昼間の疲れと日頃のあかを落としてきてくれていいんだぜ?」


 それは、嬉しい申し出ではあったけれど。


「いいえ、やめておきます。なにせ、もう遅いですから」


 藍奈が、きっぱりと断った。

 管理人さんは残念そうに顔をゆがめ、


「そうかい。だけど、入りたくなったらいつでも言ってくれ。案内するよ。なにもなければ、昼間でも!」


 すぐに表情を切り替え、笑顔で面倒見がいいことを口にした。

 このあたり、経営者っぽいなと思った。


「ところで管理人殿、食堂の写真についてですが」

「ああ、あれね。あれは俺の娘。かわいいだろ? 食べちゃいたいくらいさ!」


 当たりさわりなく探りを入れた藍奈に、管理人さんもほがらかな笑みを返す。

 けれど、結局それ以上は話を聞くのも難しくなって。

 あたしたちはおやすみの挨拶をすることになった。


 そうして、割り当てられた寝室にて。


「どうやら、ほんとうのようですね」

「うん、これは間違いない」


 寝室のすみで額を寄せ合い、頷き合う。

 引っ張り出した携帯には、事前にオーナーから送られてきた資料画像が表示されていた。

 それをのぞき込み、藍奈はうなった。


「『失踪者しっそうしゃ多数。その理由を探れ』。まったく、オーナーも無茶を言ってくれるものです」


 画像には、この半年で音信不通になった心霊バイトの顧客こきゃくほか

 ずいぶんな数の一般人が、このキャビンに泊まったあと姿を消しているむねが、しるされていたのだった――

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