第五話 六日目:鏡の間を調査せよ

「おまえ……ずっと気になっているのですが、なぜそんな、〝すてっぷ〟を踏むような歩き方をするのですか? この屋敷に来るまでは普通に歩いていたでしょう? 七浦ななうら町で、変な影響でも受けましたか?」

「逆に藍奈は、よくまっすぐ歩けるね」


 怖くないの?


「意味がわかりません……」


 理解を放棄ほうきしたらしい巫女はゆるゆると首を振り。

 それから、気を取り直すように咳払せきばらいをした。


「ところで、いまさらこんなことを言うと、おまえにあなどられそうで嫌なのですが」

「その謙遜けんそんは最悪で、大いに不満があるけど、聞かせて」

「……この怪異の正体が〝赤い部屋〟かどうか、疑問があります」

「――は?」


 チェス盤をひっくり返された気分だった。

 あれだけ強弁きょうべんしていた学徒が、ちょっと弱気になっている。

 なにゆえ?


「あの文字ですよ、禁后という」

「そうだ。あれ、なんて読むの?」

「解りません。解らないから、まずいのです」


 どういうこと?


「先ほども言ったでしょう。類感呪術るいかんじゅじゅつは形を似せることで発動する呪詛じゅそです。一方で、感染呪術かんせんじゅじゅつというのもあります。以前述べたとおり、爪や髪の毛など、相手の一部を媒介ばいかいとする呪いです。これらは共感呪術きょうかんじゅじゅつという言葉でくくられる同系統の呪術です」


 ふむ。


「重要なのは、〝命名〟が、共感呪術とは似て非なる呪詛だということです。名前は知られることで、あるいは与えられることで効果を及ぼします。だから、〝名前〟のわからない〝怪異〟は〝なんにでもなれる〟可能性があるわけです。すなわち、詳細不明と言うことは、万能の神を詐称さしょうすることも可能――むぐ!?」


 なにかを言いかけた彼女の口を、あたしは咄嗟とっさにふさいだ。

 抗議のように殴りかかってくる彼女に、ジェスチャーで黙るよう伝え、前方を指さす。


 鏡の間に続く扉が、開いていた。


「――――」


 瞬間的なアイコンタクト。

 足音を忍ばせながら、扉へと近づき、そっと中をのぞき込んだ。


 歩美さんが、いた。


 歩美さんは死体に寄り添って、ぼうっと姿見を見詰めている。

 十五分ほどもそうしていただろうか。

 彼女は不意に立ち上がると、ゾンビのような足取りで、部屋から立ち去っていった。


 うまいことやり過ごしたあたしたちは、入れ替わりで部屋の中へと入る。

 ザリ、バリと、足下に転がったガラスが、踏まれるたびに嫌な音を立てた。


「歩美さん、なにしてたんだろう?」

「興味はありますが、いまは調べ事が優先でしょう」


 言いながら、藍奈はすでに物色ぶっしょくをはじめていた。

 さすが手が早い。

 あたしも負けていられない。


「んー」


 あらためて見ると、やはり奇妙な部屋だった。

 赤い床には砕けた鏡が散らばっており、それを避けるようにして幾つかの文机が設置されている。

 中央には例の、『 禁 后 』と描かれた布をかけられた姿見があり、これにも引き出しが付いている。


 そして、死体がひとつ。


 とりあえず、一番近いところにあった机の引き出しを開けてみた。

 なかには、たくさんの封筒。

 ひとつを手に取って振ってみる。カラカラと音が鳴る。

 中を覗く。


「歯だ」


 黄色く変色した、たぶん人間のものと思われる歯が、数本入っていた。

 根元の部分は、黒ずんで見える。

 これは、血液が乾いたあとだろうか?


 他の引き出しも開けてみると、やはり封筒が入っていた。

 封筒にはほかに、小さな骨、爪、髪の毛、なんだか解らない乾燥した赤黒いものなどが入っていた。


 感染呪術には、髪や爪などの触媒が必要。

 藍奈のそんな説明が、ここに来て状況のまずさを後押ししてくる。


 つまり、呪詛じゅそが発動する条件は、とっくの昔に整っていたわけである。

 ……いまさら再確認しても、どうにもならない話だろうけど。


 気になったのは、名前の書かれた〝札〟だけが、どの封筒にも見当たらなかったこと。

 代わりに、名前の書いていないまっさらな札が入っていた。


 頭をひねっていると、だんだん気分が悪くなってきた。

 うーん、どうにも頭脳労働は向いていない。


「藍奈、そっちはどう?」

「おまえと似たようなものです。なので」

「そうだね……やっぱり、これが一番怪しいか」


 あたしたちは、かけ布のされた姿見と向き合った。

 藍奈が引き出しを開ける。

 ここに来たとき入れた封筒が、そのままになっていた。


「ん?」

「どうしました」


 なんだろうか、わずかな違和感。

 髪の毛と爪と、自筆の名前が収められた封筒。

 えっと。


「なんだか、数が合わないような気がしない?」

「少ないと言うことですか? あの女が抜き取っていったかもしれないという?」

「そうじゃなくて」


 


 なぜだか、そんな気がした。


らちがあきませんね。どれ、姿見も拝見はいけんしてみましょう」


 藍奈がかけ布に触れた。その刹那だった。


「――――」


 わからない。

 わからないが、酷く嫌な予感がした。

 背中が粟立あわだち、全身の毛が逆立った。


 あたしは、反射的に藍奈の腕を掴んで止めていた。


 目を見開く彼女。

 僅かに揺れた布の合間から、鏡が。

 真っ赤な、細波さざなみのような照り返しスペクトルが、あたしの顔に当たって。


 強烈な、眼球の痛み。



『お ま え は 誰 だ ?』



 激しくあたしを責め問う、何者かがいて――



 認識にんしきが/断絶だんぜつする。



§§



 翌朝、またもヒステリックな悲鳴を聞きつけて、あたしたちは鏡の間へと駆けつけた。

 そこにはうずくまって泣きじゃくる歩美さんが居て。

 そして――


 ――昨晩まであったはずの死体が、忽然こつぜんと姿を消していた。


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