第六話 七日目:謎の取引は姿見と

「誰が夕子ゆうこを隠したのよ! 名乗り出なさいよ!」


 激昂げきこうする歩美あゆみさんの表情は、ぐちゃぐちゃだった。

 怒っているのか、憎んでいるのか、悲しんでいるのか、笑っているのか……本人にも解っていない様子だった。


「夕子を返して……せめてとむらわせてよ……」


 力なくくずれ落ちる彼女を、あたしたちは遠巻とおまきに見ていることしか出来なかった。

 より正確に言うなれば、あたしは、彼女がなにを問題視しているのか理解できないでいた。


「なんで、なんであたしたちばっかり……夕子はなにも悪くないのに……あ……ああ……そう……? ひょっとして、そうなの……?」


 のろのろと顔を上げた歩美さんが。

 ジットリとあたしたちを見据みすえ、


「あんたたちに頼めば――この屋敷から出してもらえるのね?」


 ぽつりと、そう口にした。

 口に出した瞬間、彼女の感情はせきを切ってあふれ出す。


「そうでしょう? そうなんでしょう? これは、なにか――そう! ドッキリで! あんたたちに泣きついたら、あたしも夕子みたいに外に出られる! そうなんでしょう!? いくらよ、いくら払えば外に出して――」

「――貴様、さっきからなにをわめいているのか知りませんが、その……」


 彼女の言葉をさえぎるように。

 藍奈が、困惑の言葉を投げる。



?」



 え?


「え?」


 あたしと歩美さんの言葉が重なった。

 藍奈だけが首をかしげている。


「誰って。夕子は、夕子で……えっと、ゆう、こは――」


 緩慢かんまんに目を見開き、顔を青ざめさせていく歩美さん。

 まずい。

 なにかとてつもなくヤバいことが起きている。

 そう感じ取ったあたしは、藍奈へ耳打ちし、たずねた。


「藍奈、この屋敷に、あたしたちは何人で来た?」

「……おかしな事を聞きますね、おまえは? 決まっているでしょう」


 彼女はこともなげに言った。


「私たちは、初めから三人で来たではありませんか」


 ゾッとした。

 背中が粟立あわだった。

 心霊バイトをやってきて、初めて本心からの恐怖を感じた。


 右を見る。

 赤い。


 左を見る。

 赤い。


 前を、後ろを、上を、下をる。


 ――赤い。


 ここは赤い部屋。赤だけが君臨くんりんする領域りょういき


 ああ、そうか。

 既視感きしかんの正体が、ようやくわかった。


「赤い部屋だから、気がつかなかったんだ。この屋敷の中では――」



 〝赤〟の中では、赤色を識別しきべつできない。



§§



 なんとか落ち着きを取り戻した歩美さんを、部屋へと送る。


「あれは虚脱きょだつ状態というのです。なにも出来なくなっているだけです」


 それでも、下手なことをされるよりは、よっぽどいい。

 たぶん、彼女は限界なのだ、いろんなものが。


 そうして、このままだといずれ、あたしたちもあのようになるだろう。

 そうだ。周りから見ればあたしも、きっと本調子じゃない。

 普段からすると、別人のような言動をとっているはずだ。

 藍奈が口にした検閲けんえつされているというのも、このニュアンスに近いのかもしれない。


「藍奈、この現象が赤い部屋じゃないっていうのは、本当?」

「珍しく気にするではないですか。仮説かせついきを出ませんが……おそらく」

「似たようなヤバい話とか、無い?」

類話るいわはあります。しかし同じものはない。あの『禁后』がなにかわかれば、打開策だかいさくもあるのですが」


 ふーむ。

 解っていることは、案外少ないな。


 名前が大事な意味をびていて、なにかをトリガーに人が死に、そして遺体が消えたと認知される。


 類感呪術に、感染呪術、命名法。


 ……ふと携帯を見る。

 時刻は深夜。

 こうやって考え事をしている間にも、夜が来ている。


 この家の中では、時の流れすら違うように思える。

 携帯の時計機能と腹の虫だけが、時間の経過を伝えてくる。

 まるで隔絶かくぜつされた、箱庭はこにわのように――


「――そうか。似てるんだ、この場所。補陀落ふだらくの村に」

「なんです?」

「繋がってるんだよ、ここと、どっかが。だから、認識できないんだ。違う世界なんだから、認知がゆがんでいるのも当然なんだ」

「……?」

「藍奈。名前は呪いだって言ったよね。じゃあ、名前がわからないものは、どうするの?」

たいあらわすものですが、解らないのなら――仮の名前で呼ぶか、おそれることになります。ひとはわからないものを怖れます。畏れれば、当然怪異は強度を増していきます。名前という形がないのですから、万能なまでに」

「だったらさ。名前のないものに、新しい名前を押しつけることって、できる?」

形而疆界学けいじきょうかいがくは、まさにその専門ですが……おまえ、まさか……?」


 それしかないだろうと頷いたとき。

 物音が、聞こえた。


 ふたりしてすぐに部屋を出る。

 音をたどると、そこはやはり鏡の間。


 中の様子をうかがえば、歩美さんがあかりもつけずに座り込んで、姿見相手にブツブツとなにがしかをつぶやいていた。


 割れたガラスの上に直接座っているものだから、足は傷だらけ、血まみれで赤く。

 ああ……あの場所は、昨日まで死体があった場所だ。


胸郭きょうかくを割ればいいのね?」


 不穏な言葉を聞いて、一歩踏み出そうとした。

 けれど身体が、動かない?

 目だけで横を見れば、藍奈もまた身動きをふうじられていた。


 干渉かんしょうが、強まっている。


「それから心臓を取り出せば、夕子を返してくれるのね?」


 歩美さんは青ざめた顔で、虚空こくうを見詰めながらブツブツとつぶやきを続ける。

 夕子さん。

 彼女のことを、覚えているものは、もう――


「……待って」


 ピタリと、歩美さんが動きを止めた。

 び付いた人形がそうするように、ギリギリと音を立てて首を回し、彼女はこちらを向いて。


「誰かに、見られているわ」

「――――ッ」


 息をんだ。

 彼女の眼球は、そこになかった。

 眼鏡の奥には、ただ黒々としたふたつの空洞くうどうがあって、それがこちらに向けられている。


 歩美さんが弾かれたように立ち上がり、姿見へと駆け寄る。

 彼女は、かけ布へと手をかけて。


 そうして――あたしはた。

 ほんの一刹那、まくれ上がったかけ布の下にある鏡面を。


 その中に宿る〝ナニモノ〟かと、視線が、合った。



『お ま え は  だ れ だ ?』



「がっ!?」


 穿うがつような激痛が左目を襲う。身体が大きくり返る。

 藍奈は動けない。

 歩美さんはさらに鏡面を露出させようとしている。

 このままでは取り返しが付かないことになるという確信。


 動け。

 動け。

 動け、あたしの身体……!


『お ま え は  だ れ だ ?』

『だ れ だ ?』

『お ま え は』

『ほ ん と う に  架城かじょう日華にっか か ……?』


「――いまはニッカポッカだ、馬鹿野郎!」


 大喝だいかつ

 なにがこうそうしたか解らないが、肉体が自由を取り戻す!

 奥歯を割れんばかりに噛みしめて、全霊ぜんれいを込めてぶ。


 目標、鏡の間。

 目標、姿見。


 歩美さんを突き飛ばし、残った執念しゅうねんをすべて力に変えて、右足を振り抜く。


 回し蹴り!

 安全靴の先端が、たしかに〝ナニカ〟を割り砕く音を聞いた。


 けれど白虹眼はっこうがんは、鏡の中を直視してしまい――


「――形而疆界学による再定義。〝仮称かしょう:赤い部屋〟の特性を加味し、その情報れってる刷新さっしんする。存在、固定。形而上けいじじょうから形而下けいじかへと零落れいらくせよ。なんじが名は『禁后パンドラ』! 未来までは奪えぬものである!」


 藍奈の呪文めいた言霊ことだまが響き渡り。

 そして。



 そして、あたしは――いつものように、気絶した。

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