第四話 六日目:パチモン巫女のはたらく動機

「〝赤い部屋〟という都市伝説があります。詳細ははぶきますが――指示を破り続けたものは〝赤い部屋〟という名称めいしょうを知るところになり、最後は首を切られ、部屋を真っ赤に染めて死ぬというものです」


 自室へと戻ったあたしたちは、話し合いを続けていた。

 というか、藍奈の蘊蓄うんちくが終わっていなかった。


「〝赤い部屋〟が起動するトリガーはふたつです。一、指示を破り〝赤い部屋〟という名前を知ること。二、その過程を自主的に行うこと。結果として〝赤い部屋〟は数を増やします。繁殖活動のように、情報汚染のように。つまり私たちは生け贄に選ばれた、ということになるでしょうね」

「ぜんぜん今回のバイトが似ているとは思わないんだけど」


 ひとが死んで、首を切られ、部屋が赤く染められている、というのは一致している。

 けれど、逆にいえばそのぐらいしか共通点はない。


類感呪術るいかんじゅじゅつというものがあります。これは模倣もほう――つまり、似ているものの間では共感が発生するというものです」

「互いに影響し合うってこと?」

「一方的に影響を与えることも出来る、ということです」


 ……つまり?


「この屋敷が〝赤い部屋〟でないとしても、〝赤い部屋〟と似た部分を作り、同調させれば、〝赤い部屋〟と同じ効果が発揮されているということです」

「めちゃヤバじゃん」


 そんなところにあたしたちを投げ入れた依頼人は、いったいなにを考えているのだろうか?


「先に言ったとおり、順当に考えれば生け贄ということでしょうが……残念ながら、いまの私には解りません。どうにも〝検閲けんえつ〟でも受けている気分ですね……」


 あの藍奈が、歯切れの悪い物言いをする。

 それだけで異常事態なのは間違いなかった。


「真実を語れない名探偵みたいなことを言ってる?」

「核心に触れることが阻害されている……と言及げんきゅうするのが限界でしょうか。言葉を正しく使うこと。そして、精神に連続性をたもつことが、この家の中では難しく感じます。まるで思考にもやがかかっているようです」

「探偵というより、まるっきり学者の口ぶりじゃん、それは」


 ……そういえば、藍奈はたびたび、自分をなんとか学の学徒がくとだとか呼称こしょうしていた。

 もしかすると、こんな見かけだが学生だったりするのだろうか?


「んー」

「どうしました?」

「いや……あたし、藍奈のことなんにも知らないなって」

「なんですか、やぶからぼうに。気色悪いですよ?」

「らしくもないのは承知してるけどさ……たとえば、藍奈はなんで、心霊バイトやってるの?」


 毒舌をスルーしながら、たずねる。

 あたしの理由は言うまでもなく、借金の返済だ。やるべきことをやっている。

 けれど、彼女の動機どうきは、これまで耳にしたことがなかった。


 ジッと、正面から見詰めると。

 ややあって、藍奈はため息を吐いた。


「姉上が、入院しています」

「病気で?」

「……脳死状態です。生き返る可能性もなければ、延命装置を離脱りだつして生きていくことも出来ません。病院に多額の献金きふをして、無理矢理病床びょうしょう融通ゆうづうさせている状態です。私がお金を稼がなければ、姉上は明日にも、物言わぬむくろとなるでしょう」

「…………」

「そのきっかけを作ったのが、〝あの男〟です」


 〝あの男〟と、彼女は感情にれる声音で言った。

 漠然ばくぜんと、誰を指しているのか、あたしには解った。


砥上とがみ幻揶げんや……」


 藍奈と同じ名字を持つ、喪服の大男。


「あいつは、藍奈の、なに?」

「姉上のかたきです」


 巫女は、恩讐おんしゅうがない交ぜになった言葉を吐き出した。

 怒りか、憎悪か、それとももっと別のなにかか。


 とかく、正負で言えば負位置ふいちでしかない感情が、彼女の可憐かれん口唇こうしんからあふれ出す。

 けれどそのニュアンスはあまりに複雑で、あたしは、どう受け止めればいいのか解らなかった。


形而けいじ疆界きょうかいがくを、おまえは知らないでしょう」

「……知らないよ。藍奈が言ってること以外は」

「〝その男〟は、形而疆界学の実践者じっせんしゃです」


 それは。


「この学問は、形而上存在けいじじょうそんざい――つまり〝概念がいねん〟が、形而下けいじか――〝物質世界〟でどのように作用するかを解き明かす学問です。これまで直面してきた怪異などは、受肉した形而上存在がいねんに相当します。そして、〝あの男〟はパンドラの箱を開けようとしていました……パンドラの箱、おまえは知っていますか?」

「む」


 さすがにそれくらいは知っている。


 災厄さいやくの詰まった箱があった。

 けれどパンドラという女性は、好奇心をおさえきれず箱を開けてしまう。 

 するとたちまち災厄があふれ出して、世界は不幸になってしまった。


「でも、箱の底には希望が残っていたから、人類は明日を生きていけるって話でしょ?」

「希望ではなく未来、あるいは一番大きな災厄が残った、という説もあります。未来を知る方法がなく、無知のままだから人類は絶望せず生きていける……そういう解釈かいしゃくです」


 なんでわざわざ後ろ向きな話を。


「砥上幻揶が、そういう男だからです。〝ひとりばこ〟の一件でもわかったでしょう? 彼奴きゃつはあらゆる怪異に手を出し、利用し、目的を達成しようとしている」


 だから、それはなに?


「世界の防衛ぼうえいだそうですよ」


 ――は?


「その過程で、彼奴は多くの人々を犠牲にする。世界の崩壊を防ぐためなら、人間のことなど安いコストとしか思っていない。私は――それが許せない。形而疆界学を悪用することも、あの男が蛮行ばんこうをふるい、姉上の献身けんしん冒涜ぼうとくし続けることも」


 だから、心霊バイトを続けているのだと、彼女は言った。


夢唯子ゆいこ姉様ねぇさまの命を繋ぎ、そして可能ならば、砥上幻揶の暴虐ぼうぎゃくはばむ。それが私のはたらく理由です」

「形而なんとかも、それに関係があるの?」

「いま、姉上の身体はからっぽです。うつろ肉体うつわへ魂を連れ戻すには、どうしても研究を進めなくてはなりません。実験も、設備も金を食います。莫大ばくだいな費用が必要です。だから」

「……そっか」


 だいたい解った。

 解ったから、いいとしよう。


「それが、藍奈が命をかけてまで、心霊バイトをやる理由なんだね」

「呆れましたか? あまりに話がオカルトじみていて。嫌いだったでしょう、おまえは?」


 自嘲じちょうを含んだ声音。

 あたしはすこし悩んで、かぶりを振る。


「いいんじゃない? 敵の邪魔をする。お姉さんを助ける。それが藍奈のやりたいことなんでしょ? だったら、最高じゃん」

「おまえは……」


 彼女は、いくつかの言葉を飲み込むように沈黙して。


「……おまえは、がたい生き物ですね。ニッカポッカ」


 なんだか、優しげに。

 ほんのちょっぴりだけ目元を細めて、そんな台詞せりふを吐き出したのだった。


「いま、あわれんでる?」

「いえ」

「じゃあ、あきれた?」

「いいえ」


 彼女は首を振って。

 なんだか放っておけないみたいな顔をして。

 ……珍しく、表情を変えて。


「さて、私の働く理由は話しました。つまり、なんとしても生きて帰る必要があります」

「オッケー。じゃあ、これからどうするつもり?」

「簡単です」


 巫女は顔を上げると。

 まっすぐにあたしを見詰めて告げた。


「まずは、鏡の間を調べ直しましょう。何故〝仮称かしょう:赤い部屋〟がここに現れ、人を殺したのか。その謎を解きます」

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