都へ向かう三人
倉沢トモエ
一日目
都には人があつまる
第1話 辻には黒犬
辻には黒いちび犬がいて、馬車が近づく少し前に、耳をぴくり、と動かして立ち上がった。馬車が近づいてきたのだ。三台も連なっている。
どうどう、と、最後尾にいた馬車の馭者台で小僧が手綱を引き、栗毛と白を制して、犬が遠ざかったのをたしかめた。あぶない、あぶない。
「うまいね、これ」
小僧は先ほど、馬車代の駄賃の足しにと渡された、小腹おさえの魚の揚げ物で口の中をいっぱいにしていた。ふっくらした白身に、香草の香りと塩気のある、ぱりぱりした衣がよく合うのだ。
「そうだろう、そうだろう」
小僧の両脇には、今回の連れがいた。
「うちの母ちゃんが考えた、店の名物だからな」
右側に乗っていたのは、教会の小坊主である。
もとは魚屋で、妻子もあり、店も繁盛していたのだが、ある日発心して祈る日々に入った。
「買い食いは、禁じられているんですよ」
左側に乗っているのも、右側と同じ衣を着けた小坊主だった。
ただしこちらは、元魚屋の小坊主の、一番下のせがれの同級生。まだ十五歳で、見た目からしていかにも小坊主らしい。
同じ衣。白の衣に黒い上っぱりの、小坊主の正装を着て並んでいるのは、これから五日ほど堅苦しいところへ行くからだ。
「相変わらずおいしいな。遊びに行くと、おふくろさんが、わざわざ揚げたてをくれました。なつかしいな」
「ははは、なつかしい、なんて、つい先日のことなのに。
いつもいつもせがれの宿題を手伝ってくれて、その礼だと、あれは言っておりましたがね」
彼は、学校一の秀才である。
もとは教会前に置き去りにされていた赤子だった。印刷工場の誰かが、という噂が持ち上がったが、心当たりは見つからなかった。
なので、祈りの道へ入ったのは、発心というよりは、育ての親が教会だから、ということである。その期待にそむく考えもなかったのだ。
本日の馬車の箱には、都の製本工場へ届けるための、読み物の表紙がぎっしり詰まっている。
これは今、都でおおいに売れている読み物の表紙だ。あまりにも売れたその記念に、挿絵を描いた人気絵師が色刷りの表紙絵を描いた版を一度限り出すことになった。もとの本の表紙は活字ばかりだったので、かなり見栄えが違う。
昔、画工をしていたこともあるその絵師が、表紙の印刷を希望したのが、紙の町の、あの活字拾いの親方が持っている色摺り工場だったのだ。知らせが来た時に工場中が喜んでいた。
「都で評判の読み物って、どんなのでしょうね?」
ちいさい方の小坊主が、しんから不思議そうに言うので、元魚屋の小坊主と馭者の小僧が顔を見合わせた。
「評判の、ったって、なあ」
「そこに見本があるよ。うちの工場で刷った表紙を試しに付けているものだから、まだどこにも売られていないぜ」
小僧は、なにかたくらみがあるような目付きで、馭者台の道具入れを指した。
「都へ行くのですから、評判のものについて頭に入れたほうがいいんじゃないかと思うんですよ」
「それは見上げた心がけだがねえ」
元魚屋の小坊主は、まあ仕方ない、という顔をした。
汚れひとつない見本が何冊か、すぐ見つかった。
「『大成敗・女剣士地獄変』……」
絵師が指定するだけのことはある。水のしたたるような剣のきらめき、女美剣士の気迫こもる眼光、汗ばんだ肌の艶、そこに差す西日の微妙な赤みなど、いつまでも眺めていたいような表紙絵である。
武芸ものかな、と、何の気なしにめくった頁の挿し絵を見て、ちいさい小坊主は固まった。
「……なんですか、この、」
見開きいっぱいに、前を引き剥がされ、たわわな胸をさらけ出した女剣士、あわや、という場面が真に迫る筆致で描かれていた。
「あはは、たしかに評判のスカッとする武芸ものなんだが、時々坊さんには毒になる場面があるんだね」
小僧が笑った。
「……都では評判でしょうが、教会では話題にならないと思います。ありがとうございます」
「後学のため、後学のため」
元魚屋の小坊主が、年長者らしく申した。
「こいつを駅へ運ぶのに、便乗させてもらっているんだしな」
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