第4話

 一体全体、どうしてこんなことになってしまったのか。


 八畳間の居間として使われている和室にて世理は現状が飲み込めないでいた。木製の古びたローテーブルの前に座り、膝の上には春海がちょこんと座って絵を描いている。この子は次女の橘春海。セーラー服の少女の方が長女の橘紫帆だそうだ。

 そして。


「悪いな、こんな感じになっちゃって」


 そういって、来客用の湯飲みをテーブルに置いたのは長男の橘京也きょうやだった。

 大丈夫だと目で伝えたあと、世理は一心不乱に絵を描いている春海を見つめる。

 こんな事態になった原因はこの春海が世理から頑なに離れようとしなかったことにあった。京也や紫帆が何を言っても嫌、嫌、嫌。世理の太ももにがっつりと抱きついて離そうとしなかった。

 そこで橘兄妹の出した妥協案が世理を夕食に招待する、というものだったのだ。


「しかし、OKが出るとは思わなかったわ」


「え?」


「いや普通さ、あんまり話したことないクラスメイトの家に来ようって思わないかなって」


「……全力で頭下げたくせによく言うね」


 彼に興味があったことは認めるが、それは断じて異性として意識していたわけではない。自宅にお呼ばれなんて迷惑な話だった。ただ、兄妹揃って土下座ばりにお願い倒されてしまったら、断る方が難儀というものである。


 苦笑しながら京也は言った。


「すまんすまん。ただ雨宮ってどんなに頼んでも自分曲げないタイプかなって思ったからさ、意外だったんだよ」


「…………子どもに好かれるのは、悪い気がしなかっただけ」


 思ってもいない言葉を口にして、自己嫌悪が走る。

 まるで自分がそう思っているような言い方だった。自分なんてものが世理にあるわけがないのに。

 何か違う話題をと世理は思いつくまま京也に問いかけた。


「お母さんはお仕事?」


「ああ、夜勤だからな。少し前に家出たよ」


 そこで世理は春海がこちらに顔を向けていたことに気がついた。どうやら絵が出来上がったようだ。画用紙には世理と春海らしいシルエットの二人が手を繋いでいる。


「上手だね。私と春海?」


 春海は頷くことはせずに、照れるように俯いて見せた。

 となりの京也が覗き込む。


「いいなぁ。春海、俺のことも書いてくれよー」


「……」


 春海は沈黙で返す。京也もそれがわかっていたようで春海の頭を撫でて見せた。

 不自然というのは、言い過ぎかもしれない。

 ただ、この兄妹の距離感は独特に思えた。他人ほど離れていなければ、家族ほど近くもないような。何かあるのだろうか。


「お待たせしましたー。春海、お片付けしてね」


 そこへ居間続きの台所から紫帆がカレーの載ったトレイを持ってやってくる。着替えずにセーラー服の上からエプロンをつけた姿だ。急がせてしまったのかもしれない。


「すみません、何もお手伝いせずに」


「とんでもないっ、無理に誘ったのはこっちですから。むしろこんな汚い家ですみません。しかも用意出来るのがベタなカレーで」


 京也がからかうように割って入ってくる。


「これで不味かったら洒落にならんぜ」


「そう思うなら手伝って。サラダあるから持ってきてよ」


 京也は曖昧に返事しながら腰を上げた。そんな会話のなか、春海は黙々とクレヨンなどの片付けを始めている。

 奇妙なのは距離感があるのが春海に対してだけなことだ。京也と紫帆の二人に絞ればよく見かける普通の兄妹のやりとりに見えた。

 

 世理はあらためて思い返す。玄関と洗面所、そして居間。世理が踏み入れた橘家の場所にはやはり、父親の姿を思わせるものは一つもなかった。


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