第3話
午後の授業も滞りなく終わり、世理は帰路についていた。
ひとりの帰り道で、莉子たちに聞いた話がずっと頭から離れなかった。何度、横目で橘京也を視界に収めたかわからない。誰かに見られていれば、彼に好意を持っていると思われてもおかしくなかった。
父親が刑務所に入ってる。
莉子たちも詳しくは知らないらしいが、彼の父親は中学のときに詐欺罪で逮捕されたとのことだった。身内に犯罪者が出ることの影響は家族にとって計り知れないものだ。世理はそれを身を持って知っていた。学校には行けなくなり、友達からは拒絶された。
それだけならまだいい。辛かったのはこれまで生きてきた時間全てを顔も知らない連中から全否定されることだった。四方八方から飛んでくる見えない石は容赦なく世理を傷付けた。いまでもネットを開くのが怖い。この経験は肉体的な痛みとは全くの別物だ。よく生きてきたな、と鏡で自分をみるたびに思うことだった。
橘京也は世理と似たような境遇だった。もちろん、殺人と詐欺では世の中の受け止め方は違うから、同じように括るべきではないかもしれないが。
自分の鼓動が早くなっているのを自覚した。
同じではない。彼はこれまで通り中学へ通い、地元の高校に進学した。目立った軋轢もなかったそうだ。
同じではないけれど、他人に対して親近感を持ったのは否定できなかった。
ふと、道路沿いの歩道を歩いていた世理の耳から音が消えていく。
片側一車線の道路は頻繁に車が走り、世理に近づいてはすぐに遠ざかっていった。けれど、遠くで響く列車の残響のように遠く遠くへとそれは追いやられていく。
まただ。
静寂の世界で世理は反対側の歩道へと眼を向けた。そこには微笑を浮かべた母が立っていた。目が合うと彼女の薄い唇が動いた。
『仲良くなりたいなら、自分から声をかけるのよ。千尋ちゃんのときは自分からお話ししなかったでしょう』
とても聞こえる距離ではないのに、母の声は世理の耳に届く。鼓膜に張り付くようにべっとりとまとわりついていく。
『出会う友達は一生ものよ、世理』
わかっている。世理がそう応えようとしたとき、唐突に過ぎ去った車の音が息を吹き返すように蘇った。スカートを引っ張られていることに気がついたからだ。
世理のそばには女の子が立っていた。世理を見上げて不安そうにスカートの裾を掴んできている。
一体、どこから現れたのか。戸惑いながらも、世理は目だけを反対車線に向けるがそこにはもう誰もいなかった。
「あー。えっと……私は君のお母さんではないわけだけど」
そういうも、女の子は黙ったままで動かなかった。
身体が強張っているのを自覚した。世理はおそるおそるというように女の子を観察する。
五歳には満たないだろうか。幼稚園かそこらかもしれない。ひとりなわけがないはずだが、辺りを見渡しても保護者らしき人は見当たらなかった。
世理は子どもが苦手だった。
合理性に欠けて会話が成立しないしすぐに泣く。どうひっくり返っても可愛いなんて思える生物ではなかった。自分にもこういう時期があったのかと思うと自己嫌悪でいっぱいになるのだ。
「…………離して、くれないかな」
子どもに対する言葉ではない自覚はあっても嫌いなものは嫌いである。
直後、世理の耳元で声が掛かった。後ろ首から手を回されて抱きしめられる。音が遠い。とても、遠くなる。
『小さい子どもには優しくしないとだめよ、世理。子どもとはどうやって話すんだった?』
生唾を飲み込んで息を吸い込む。世理はしゃがんで女の子と目線を合わせた。
『そう。子どもと話すときは目線を合わせること』
手を握ること。笑顔で話しかけること。不安にさせないように尽力すること。
母に教わった全てを、世理は心の中で反芻し一つ一つを行動に移していく。その所作は子どもを嫌っているような動きにはとても見えなかった。
世理は女の子の手を包むように両手で握ってから言った。
「私は雨宮世理。名前は言える?」
「……春海」
「春海か、良い名前ね。ここまでは誰と来たの? お母さん?」
春海は首を横に振る。
「お父さん?」
また首を振る。
「んー、じゃあ兄妹かな。お兄さんかお姉さんか」
さすがに妹、弟ではないだろう。もしそうなのだとしたら親の顔を見なければ気が済まなくなる。世理にとって子どもは嫌いな存在だが、自分の子どもに責任を持たない大人はもっと嫌いだった。
春海は少し考える仕草をする。制限時間ギリギリまで使うように長考し、悩んだ末に出した答えは沈黙だった。俯いて首を横にも縦に振らない。解釈に困る返答である。
「子どもでも悩むんだね」
春海の頭を撫でながら、今度は世理が悩む番だった。
置いて帰りたいのは山々だがさすがにその選択肢を選ぶのは人として終わっているだろう。とりあえず近くを歩いて回るのが無難か。こういうとき、男だと一目で誘拐犯だと思われるから、女は便利なものだった。
「春海ぃ、いたー」
大人びた、それにて疲れ切っていることがわかる女の声。母親だろうと予想して声の方へ顔を向けると意外にもセーラー服姿の女の子だった。年下には見えるので中学生くらいかもしれない。立ち上がり、迎え入れようとした世理だったが、彼女のそのまた後ろにいた人物を目にして絶句せざるを得なかった。
小走りでやってきた二人組はどちらも学生だ。一人はセーラー服の女子、もう一人は世理と同じ宮篠高校の制服を着た男子だった。
「あれ? 雨宮じゃん」
同じく世理を視認した橘京也は軽快に手を挙げて挨拶をしてくる。
『自分から声をかけるのよ、世理。ボーイフレンドには特に積極的に、ね』
聞き慣れた母の声が急かしてくるも、世理は黙礼だけでその場をすませた。
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