第32話「抑止力」
アザランド城・王座の間にてジャン国王は、通信用の魔法陣を右の掌の上に展開している。通信の相手はクリヤルタ山脈にいるアリテスタである。
「アリテスタよ。ご苦労じゃ。お前の千里眼を通してはっきりと見えたぞ。毒の龍魔弾」
『ええ。姉上はあと一発持っていると宣言しましたが、愚かなことです。一発では王国と帝国を相手取れない。それをわざわざ教えるなんて。しかもルーシス公爵は臆病風に吹かれたのか姿を消してしまいました』
ジャン国王は辟易としていた。察しの悪い長男に心底辟易としている。
「ルーシス公爵に言われておったのに分からんのか?」
『は?』
間の抜けた声音。やはりまるで理解していないのだ。ミラが打ってきた一手に。
「よいか。アリテスタ、ミラは龍魔弾を一国に一発しか撃てないのではない。一国には一発撃てるのだ。王国と帝国、どちらかの首都に龍魔弾を撃ち込める」
『同時に撃ち込まねば超意味はありません! それに龍魔弾は王国帝国合わせて五千発も!』
ジャン国王は左手の人差し指と親指で眉間を強く揉んで、情けなくてあふれ出そうな涙を押し込めた。
「まだ分からんのか。スカイギアに攻撃を仕掛けてきた方にミラは龍魔弾を撃ちこむのじゃ。そうなった場合、帝国にしろ王国にしろ壊滅的な打撃を受ける」
『同時に攻めれば!』
「それでも変わらん。問題はその後だ。首都が壊滅的被害を受けた場合、どちらか一国だけがその被害を受けた場合、被害のない国はどう動く」
『どう動くとは……』
ジャン国王は、嘆息をつきつつ諭すような声で魔法陣に語り掛けた。
「こちらが手段を選ばなければスカイギアを落とすのは難しくない。数発の龍魔弾で事足りるじゃろう。しかし今スカイギアはクリヤルタ山脈におる。お前も知っていよう。クリヤルタ山脈が両国を隔てる天然の城塞であることを」
『はい。それは庶民の子供でも知っているかと……』
「スカイギアの龍魔弾が平均的な龍魔弾と同等の射程と考えると、あそこは王国と帝国双方の首都を狙える位置におる。そして先制攻撃を仕掛けた国をミラは道づれにするつもりなのじゃ。仮に帝国側が龍魔弾を使用してスカイギアに攻撃を仕掛けても龍魔弾弾着までには十数秒の猶予がある。当然スカイギアは反撃するじゃろう。龍魔弾でな。となれば、スカイギアを撃沈できても帝国側も首都へ壊滅的な打撃を受ける。首都が龍魔弾で壊滅的被害を受けた状況で我がアザランド王国はどう動く? 救援を出すか? 助けに行くか? ほんの数か月前まで血で血を洗う戦争を繰り広げていた隣国をか? もしも王国が首都に龍魔弾を直撃させられたらどうなる? 帝国はどう動く?」
『まさか……姉上は――』
「一発あればいい。一発あれば脅しとしては十分なのじゃ。ミラに先制攻撃を仕掛けた国はミラと共に破滅の運命が待っておる。遅いか早いかの違いしかない。王国と帝国は同盟国ではない。利害が一致した今は共同作戦をしているが、本質は休戦状態。戦争の状態にある。弱った敵国に攻め込まん君主がどこにおる。帝国の君主が見逃すとでも? わしが見逃すとでも?」
残り一発の龍魔弾を撃ち込まれた国は確実に崩壊する。アザランド王国とドラグヴァン帝国の領土境界線のクリヤルタ山脈に位置しているため、スカイギアの龍魔弾は確実にどちらかの国に放たれる。そしてどちらの国の首都もスカイギアの魔弾の射程内。
先制攻撃で要塞を潰そうにも、龍魔弾を撃たれればどちらかの国の首都が崩壊する。それは国力の低下を意味する。となれば弱体化したほうの国へもう一方の国が攻め込む。
下手に手を出せば待っているのは破滅。目先のミラを倒した所で大国相手に不利な戦争をしなければならないプレッシャー。ミラはそこまで読んだ上で計画して反逆したのだ。
「アリテスタよ。お前は姉上の掌の上でルーシス公爵と共にまんまと転がされおったというわけじゃ」
『……そんな、あの超能なしの姉上に僕が……』
「アリテスタよ、気にするでない。期待通りの働きじゃ」
『……え』
アリテスタの声が絶望で染め上げられていく。
「お前は言うこと聞くいい子じゃが、自分の頭で考えるということをせん。能なしと見下していた姉は自分の頭で考えて動ける人間じゃ。平時に優秀さをひけらかす君主など無能の証明じゃ。無能だから己がいかに優秀かと見せつけねば気が済まんのじゃ。求心力を保てんのじゃ。真に優れた人間は、自ら宣伝せんでも見抜かれてしまう。自分と同種の人間にのう。そんな君主にこそ、優れた民が付き従うのじゃ。優れた民とは自分で考える頭を持っておる。君主に言われたままをやるだけの人間なぞ平時にしか使えん欠陥品よ。よいか、父親の言うことが王の言うことが必ずしも正しいとは限らん。自分の頭で最善を判断せよ」
『……はっ!』
「しかしお前のその癖が抜けるのはずいぶん先じゃな」
『は?』
「今まさにわしの言ったことを考えるそぶりもなくそのまま信じおったろうが」
カラカラとジャン国王が笑うと、アリテスタの通信が遮断された。己の未熟さに耐えられなくなったのだろう。けれどジャン国王は通信用の魔法陣を解除せず、誇らしげに破顔していた。
「帝国側は龍人を失った。期待通りの働きじゃ。さすがはわしのミラ……」
亡き妻ミーシャは七人の子供たちに分け隔てなく愛情を注いでいた。しかしミラに対して特別な思いを抱いていたのを知っている。それはジャン国王もミラを特別に思っていたからだ。
「わしはな。配下や世間が能なし姫と馬鹿にし続けてきたミラこそが建国以来最高の君主と呼ばれたミーシャ女王の性質を最も色濃く受け継いだと思っておるのじゃよ。これで帝国の戦力は削がれ、審美眼のない愚か者どもに真なる王の器を見せつけたというわけじゃ。今度のドラグヴァン帝国との会談も我が国の優位に運ぶじゃろう」
ドラグヴァン帝国が一番恐れているのは、アザランド王国とミラの造る新国家が同盟関係になること。スカイギアにアザランド王国の龍魔弾を提供されたらアザランド王国とドラグヴァン帝国の抑止力バランスは著しく崩壊する。
しかしそれは反対を言えばミラとドラグヴァン帝国が同盟を結べば同じ苦境にアザランド王国が立たされうるということ。ミラ・クーフィル・アザランドとスカイギアの存在はアザランド王国とドラグヴァン帝国だけではない、十三大国全ての関係を一変させる可能性を持った劇薬だ。
「ミーシャ。これもお前の掌の上のことなのかのう」
在りし日のミーシャ女王の言葉を思い出す。
『あなた。一つの国が覇権を握ると世界は硬直し、腐敗します。多様な考えがあってこそ、そうした様々な国の有様を認め合うからこそ人々は営んでいけるのです。宗教思想民族。戦争の火種であることは間違いありません。ですが、一つの国が一つの国の思想をもって世界を牛耳ることもまた悪なのです』
ミーシャは気づいていた。自分亡き後、ジャン国王が世界を収めて覇道を進まんとすることを。
「さすがじゃ。自分亡き後、わしがアザランド王国を世界の覇者に導くと読んでおった。我が子を、ミラをわしへの抑止力にしおった。だからこそ彼女はミラにスカイギアのありかと使い方を教えたのじゃな。さすがはわしを伴侶に選んだ女じゃ。死んでも尚抜け目ないわ」
今は亡き最愛の女性が今の自分を見たらなんと言うだろうか。愚かさを鼻で笑うだろうか。それとも優しく諫めてくれるだろうか。
「さて、しばらくは我らの娘がどのように国を治めるのか、見させてもらうか。そうじゃろうミーシャ?」
国王が左手で玉座のひじ掛けを愛でるように撫でていると、右手に展開された通信用魔法陣から声が聞こえた。
『聞こえますか父上』
ミラの声だ。城を飛び出す前はかすかに残っていた少女らしい甘さが完全に消え上せている。今回の反逆と旅が彼女を主君として大きく成長させたのだろう。
「ミラ。ああ、聞こえておるよ」
『父上、提案があります』
「聞こう。なんじゃ?」
娘の成長に目を細めながら、ジャン国王は穏やかな声音で返した。
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