第30話「邪神」

「ル、ルーシス公爵! あなたは一体何を!?」


 焦燥したアリテスタはルーシス公爵を睨んだが、彼は何事もなかったかのように髭を弄んでいる。


「見てのとおりですな。邪神ですよ。二千年前、龍と人類に封じられた怪物」

「そんなものが何故今になってと聞いているのです! 帝国の倫理観が超やばいとは思っていたけど、これはいくら何でも! あれがどういうものかあなたも伝承で知っているはずだ! 第一どうやって! どこであんなものを!」


 ルーシス公爵は、髭を整えながら自慢げに鼻を鳴らした。


「世界各地に封印された九柱の邪神たち。我が帝国にも封印されていた邪神の体細胞から作り出したもの。大量の蒼脈と治癒魔法を応用して採取した細胞を培養し、再現したモノですな。我々にとって龍人とは時代遅れの兵器。やはりそれが証明されましたな」

「証明?」

「左様ですな。龍人も果ては蒼脈師も個人の才能に左右される不安定な戦力。ならば常に安定した戦力を保有した者が、やがては世界の覇権を握るのですな。つまりそれが邪神であり、龍魔弾ですな。龍魔弾という戦略兵器による抑止力に基づく防衛網の構築、邪神という戦術兵器による侵攻能力の確保。戦場で活躍する一流の蒼脈師を育てるためには、類稀な逸材を数十年の歳月をかけて鍛え上げる必要がある。そんな蒼脈師などとはコストパフォーマンスが違う。平凡な治癒系統の蒼脈師が数人いれば一日の内に邪神一体の製造が可能。後天的な蒼脈取得者に、治癒魔法が覚えられずとも代用品としての治癒系統の魔法薬の調合法さえ学ばせればいい……この結論に至るには長い年月を要しましたな。だがようやく実現したのですな!」

「長い年月? まさか!?」

「そのまさかですな。九年前のカイ・アスカを暗殺者としてアザランド王国に送り込んだあの事件」

「あれはまさか!? 当時の太正国が帝国に傾倒しつつあったのもこのための! 太正国も知っていたのか! この超やばい計画を!」

「魔法薬学、つまりは忍法に関して太正国は一日の長がありますからな。あの国にとっても有用な兵器ですな。ご覧なさいなアリテスタ殿下。これが新しい戦争の形。これが新しい兵器の形。才気優れる英傑に頼るのではなく、凡夫が薬品一つで邪神を量産しうる時代。それが我が帝王が御創りになられる新しい世界の秩序――」


 二千年の時を経て、兵器として産声を上げた邪神は、赤子のような肉付きの腕で船体に抱き着いた。

 スカイギアと同等の体躯。クリヤルタ山脈の峰にも等しい巨体を支える馬力が船体を圧迫してくる。艦橋に船体の軋みが悲鳴のように轟いた。このままではさすがのスカイギアでも破壊され得る。


 ――このままじゃまずいわ。


 ミラは、唇を噛み締めながら艦橋の窓を埋め尽くす邪神の顔を睨んでいた。帝国は、アリアを欲しがっていただけじゃない。邪神の実証実験が目的だった。

気付けなかった。ミラだけではない。恐らくジャン国王までも帝国に裏をかかれた。


「帝国側は、父上の行動を予測していた。父上が汚れ仕事を帝国に押し付けるためアザランド王国領内での自由活動を許可する。とすればこの行為も……」


 龍人リディアによるミディア峡谷への攻撃を見ても国王が帝国側にかなりの権限を与えているのは明白。その自由裁量権を帝国側がまんまと利用した形だ。


「仮に糾弾されても奴らには父上の許可を盾に逃れる気よ。父上の策略をまんまと見抜いていた。だけど父上がこれで終わるはずがない。あの人が邪神はともかくとして帝国側が好き勝手やると予測しないはずが……」


 ミラの知るジャン国王は、知力に富む策略家。帝国側に権限を与えた結果を予測できないほど愚かではない。


「父上は帝国の暴走を考慮していたはず……帝国の横暴を頭の隅には入れてあったはずだわ。それなら父上は、なにかしらの手を打って……」


 脳裏を巡るある可能性。ジャン国王が打った一手。


 ――まさか、父上は?


 そもそもこの状況を作り出したのは誰だ?

 ドラグヴァン帝国にアリアを引き渡すと、ミラに告げたのはジャン国王だ。

 ミラの行動を焚き付けていたのではないか?

 スカイギアを使うことを予測していたのではないか?

 だとすればスカイギアと邪神が対峙しているこの状況も、ジャン国王は予想していたのでは?


「まさか? 帝国に対抗するための策が……私?」


 ミーシャとの約束を守り、ミラはジャン国王にもスカイギアの在り処を示す地図を見せることはなかった。けれどジャン国王ならば予測していてもおかしくはない。スカイギアの存在を。ミラとミーシャの秘密を。

 アリアを利用されて、結局ジャン国王の掌で踊っているだけ。

 このまま父親の敷いたレールを走り続けるのか?


「……それでいいのよ」


 構わない。どれほど利用されようとも、どれほど浅ましかろうとも、アリアを守れたらそれでいい。そのためなら道化にでも傀儡にでもなってやる。それに何よりミラは、信じている。ミーシャが残してくれた言葉を。


『艦橋にある黒いレバーを引くとスカイギアの秘密兵器が使えます。いいですかミラ。この黒いレバーを引くのはミラの一番大切なモノを守る時です』


 大切なモノを守る時、それは今だ。ジャン国王がミラとスカイギアを利用しようとしたことからも推察できる。スカイギアは邪神に対抗しうる兵器なのだ。

 でもどうやって?

 邪神に対抗できる兵器。邪神と対等な存在――。


「まさか……」


 邪神と対等に戦える存在。この世界から痕跡一つ残さずに消え去ったスカイギア。そしてミーシャが読み聞かせてくれた自作の絵本は、スカイギアの絵本だけではない。戦う相手に応じて形を変えた龍。心臓で龍脈を生み出し、口からその力を吐き出す龍。

 世界中に伝わっている龍の伝承もある。人類に蒼脈を授けて邪神を討伐した後、神々の住まう天へと帰っていった。しかしスカイギアに関してはそうした伝承は一切残っていない。にもかかわらず残骸など、実在した証拠は何一つ存在しないとされてきた。

 スカイギアが龍に作られたとされる伝説。スカイギアに搭載されている現在の技術を超越した医療器具や生活用の設備の数々。まるで人類の数千年先を行っているような技術。

 ミラが操舵装置に取り付けられた黒いレバーを引くと、船体が激しく揺れ出した。艦橋に響く軋みが一層激しくなり、艦首の装甲が展開されていく。だが邪神の膂力に耐えきれなくなったわけではない。

 開かれた艦首からせり出したのは巨大な金属の頭だ。長い顎に鋭い牙が並んでいる。続いて艦尾の装甲が展開され、大蛇のように蠢く尾が飛び出してきた。

 さらには船体側面の装甲が落雷の如き轟音を轟かせて変形し、鋭い爪を携えた二本の腕と大地を踏みしめる二本の足を形成する。

 艦橋内部にも変化は及ぶ。操舵装置が展開され、いくつもの黒いレバーが飛び出し、管制装置の中央部にも拳銃型のトリガーが一つ迫り出してくる。

 スカイギアの予想外の変容と機能に、ジュウロウは固唾を飲み、眠り続ける母を抱くアリアは呆然とし、カイはミラを見つめていた。


「姫様、これは……」

「カイ。母上が教えてくれたの。父上が気付かせてくれたの。これがスカイギアの本性よ」

「本性?」

「スカイギアという兵器、何故残骸はおろか破片も見つからないのか。母から教えて貰ったおとぎ話と照らし合わせてようやく確信したのよ。人類や大自然に蒼脈と龍脈を残し、邪神討伐後は天へと帰ったとされる龍。龍も動物と同じように数多くの種類が存在したと言われているわ。ある者は獣のような姿を。ある者は樹木のような姿を。そしてある者は鉱物のような姿を。鉱物、つまりは金属。その正体がこれなのよ」


 今のスカイギアの姿はまさしく伝説に存在した龍の姿そのものである。

 邪神に抵抗しうる存在。

 そして大切な人を守るための力。

 龍の血を引く少女を守るために二千年の眠りから覚めたモノ。


「スカイギアという姿そのものが擬態なのよ。天へと帰り損ねた一柱の龍。龍こそスカイギアであり、スカイギアこそ龍! これは、地上に取り残された最後の龍なのよ!」


 ミラは操舵装置から突き出た黒いレバーのうち、直感的に二本を選び、握りしめた。


「そして機械龍(ギアドラゴン)その一撃は――」


 山脈を打ち震わせる咆哮と共に繰り出された龍の爪は、一撃の元に邪神を引き裂き、その臓物をまき散らして、山脈の頂を赤く染め上げた。

 伝説上の存在であり、星の全生命体を絶滅に追いやろうとした邪神を苦もなく引き裂く戦闘能力。想像をはるかに超えた力を目の当たりにしてミラ以外の全員は凍り付いてしまった。


「龍は、その姿を戦いに合わせて最適な形に変化させた。母上から直接スカイギアが龍であると聞いたことはなかったわ。だけどそれは恐れたからね。私が口を滑らせて父に話すことを。だからこそヒントを与えたのよ。大切な人を守りたければスカイギアを探せと、さらに黒いレバーを引けと……おとぎ話に乗せて……最も父上はそのことに気付いていたようだけれど……だから父上はアリアのことを私に話した上で帝国の兵士を王国の中に招き入れた。だけどいいわ。アリアを守れるならいい。父上の掌で能なしのように踊っていい!」


 ミラの覚悟を受け止めるかのように血濡れた爪を掲げて機械龍は空に吠えた。




 ヴォオオオオオオオオオオオ!




 驚異的な威容を前に、アリテスタとその部下の蒼脈師たちの間を雷光のような戦慄が走った。


「姉上……超やばすぎるでしょ……スカイギアが龍だと? 龍とは機械の神なのか!?」


 邪神と龍。二千年前の伝説が蘇った衝撃は、アリテスタとその部下を委縮させるには十分すぎた。けれどたった一人。ルーシス公爵だけは、待ち望んだ好敵手に出会えた歓喜に打ち震えている。


「なんて破壊力……これほどとは思いませんでしたな。しかしスカイギアが実在しただけでなく、あれが龍そのものであったとは驚きですな。だが――」


 ルーシス公爵の懐から十個の白い肉の球体が取り出される。


「かつてお前たちは龍と互角に戦ったのだろう。ならば問題はない。二千年間、ドラグヴァン帝国の地下に眠り続けた邪神の遺骸たち。それに新たなる命を吹き込んだのは何故かな。この時のためですな。そうだ。お前たちは敵を応接せよ、抹殺せよ、我らが帝王の覇道を阻むすべてを押し潰せ。それが例え龍であったとしてもだ!」


 白い球体は、ルーシス公爵の演説に呼応するかのように、手を離れて飛翔し、機械龍を目指した。球体は、空を舞う間にも増殖し、機械龍の元に辿り着く頃には先程の邪神と同様の姿に完成され、機械龍を包囲した。計十体が連なる光景はクリヤルタ山脈の隣に、新たに山脈が一つ増えたかのようである。




 ゴオオオオオオオオオオオ!




 機械龍の咆哮に負けじと、邪神の群れの合唱が山脈を震わせた。

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