第25話「龍人の威力」
虫の息で倒れ伏すロクの手からアリアを貫く水の槍が伸びていた。
脈は測った。確実に止まっていたはず。
水の干渉制御を応用してミラが脈を確かめている時だけ全身の血流と拍動を停止させたのか?
「畜生! 化け物が邪魔をして! あの女の臓物をぶち抜くはずだったのにぃ!」
ロクは生まれたばかりの馬のような足取りで立ち上がり、水の槍をアリアから引き抜き、ミラに向けたが、ミラの初動はその遥か上を行く速度と大海すら瞬時に気化させる灼熱の憤怒を拳に込めて繰り出した。
「ブラストスピアアアア!」
極光の槍がロクの胸をえぐり穿ち、彼はたまらず水たまりの上に倒れ込んだ。
「アリア!」
アリアを抱き起こすと、彼女は微笑んでいた。陽だまりのように温かい。微風のように安らぐ何時もの笑みだ。
「ミラ様……アリアもです。アリアもミラ様を守りたいんです。大好きだから――」
アリアは眠るように瞳を閉じた。傷口を押えるが出血が止まらない。命が零れ落ちていく感覚が伝わってくる。
「アリア! しっかりしてアリア!」
傷口を止血するミラの頭上から金属のこすれ合うような音が響いた。大地を揺らし、大気を震わせ、空間を歪める。これまで一度として耳にしたことのない威圧的な音は、リディアの喉から発せられている。
兵器として自我を縛られながらも、魂の奥底で認識しているのだ。我が子の命の灯火が消えようとしていることを。愛する子供を亡くした親にとって世界など無価値な概念にすぎない。彼女を人として留まらせていた唯一の楔がたった今外されたのだ。
「ガアアアアアアア!」
悲愴な母の
「こ、これが龍人の火力……彼女の……炎の龍脈」
破滅の具現化にミラは人生で初めて死を実感した。ミラ一人では、とても防ぎきれるものではない。到底力が及ぶものではない。到底拳が届くものではない。
「待ってくださいリディア!」
最後に残された武器は言葉だ。聞こえていない公算のほうが極めて高い。それでもわずかに残された奇跡の可能性に縋るより他になかった。
「あなたの娘さんはまだ生きているのよ! 彼女はまだ龍人として未覚醒なの! あなたの炎には耐えられないわ! だからお願い! 私を信じてください! 矛を収めてください! 私の薬学師は優秀なんです! 彼女の傷をきっと癒せる! だから!」
突如地面の底から突き上げるような衝撃が襲った。リディアによるものかと考えるミラだったが、すぐに別の可能性が脳裏をよぎる。生き残った村人たちに向かってミラは叫んだ。
「みんなこっちへ来て! 動ける人は動けない人を連れて! 急がないと地面が陥没するわ!」
村人たちはしばし硬直していたが、次第に激しくなる地揺れがかえって平常心を取り戻す手助けをしたのだろう。ミラの指示通り、動ける者は動けない村人を抱きかかえて走った。
ロクによって命を奪われた亡骸を残して村人全員がミラの元へ集った瞬間、激しい地揺れと地鳴りを伴って峡谷の大地が隆起した。
太陽すら霞む極限の炎に照らされて金属の巨体が、スカイギアの威容が地上に姿を現した。艦橋の水密扉が開かれ、見張り台にカイが飛び出してきた。普段の飄々とした振る舞いなど見る影もなく焦燥しきっている。
「みんな乗れ!」
ミラはアリアを抱きかかえたままスカイギアの上甲板に飛び乗った。
「早く飛び乗って! すぐに出るわよ!」
スカイギアの高度は地面と同じ。村人たちでも飛び移れる高さだ。
ここにいても死が待っているだけだと村人たちも理解しているのだろう。次々に上甲板に飛び乗ってくる。しかしたった一人だけがカイのいる艦橋を目指して跳躍した。
「カイ、待ってよ!」
ロクである。胸に大穴を開けられ、螺旋蒼破で内臓を破壊されたはずなのにまだ動いている。あまりのタフネスぶりにさすがのミラも辟易としていた。
けれどカイは、先程までの焦燥が嘘のように冷めた表情をしている。懐から薬液の入った小瓶を一つ取り出し、短剣で切り裂いた。
「ロク。これでお別れさね」
放たれたブラストエッジの斬撃がロクの顔面を縦一直線に切り裂いた。重力に引かれて落ちていくロクの表情は、最愛の人と初めて結ばれた夜のように艶めかしい笑顔であった。
カイが水密扉を閉めようとした瞬間、今度はアリアを抱えたミラが上甲板から飛び立ち、見張り台に着地した。
「すぐに飛びなさい! 進路は北北西! 王国と帝国の国境にあるクリヤルタ山脈!!」
「了解!」
カイは、操舵装置の前に座り、舵を思い切り手前に引いた。スカイギアの船艇と船側に取り付けられた回転翼が高速で螺旋を描き、青く光る粒子を噴射しながら上空へ向け、巨体を押し上げていく。
大きさに見合わない凄まじい速力は音にすら届きうる。だが龍人の動体視力にとってそれは止まっている的に等しかった。右腕をスカイギアで狙いすました瞬間――。
「ごめんなさいアリア!」
ミラはアリアを抱きかかえたまま射撃管制用の装置のボタンと引き金をめちゃくちゃに押しまくる。剣ネズミの剣のように、船体に取り付けられた多数の砲身が一斉にリディアを狙い、砲火が放たれた。
凄まじい弾幕は壁のような密度となってリディアを襲う。切れ間ない砲弾の直撃にリディアの姿勢が崩れ、地上へ向いた右腕から極大の猛炎が放たれた。
罪人を焼く業火を体現したかのような一撃は、ミディア峡谷と呼ばれた土地を飲み干し、瞬く間に気化させていく。起伏に富んだ峡谷の地形は見る影もなく蕩けて、溶岩の海と赤熱化した大気の揺蕩う平地へと姿を変えていた。
距離にして百二十キロ離れていながら、蒼脈に守られた肉体でも火傷しそうな熱波に晒されたアリテスタは、龍人の成した所業にただただ驚愕し、息を呑んでいた。
「超すごい……これほどとはな。龍魔弾に匹敵するという話、嘘でない。純粋な火力では龍魔弾に及ばずとも、あの機動性とこの火力を併せ持つならば抑止力としては超驚異だ」
スカイギアと言えど直撃を受ければ無事ではすむまい。だが空へ登っていくスカイギアに対してリディアは追撃を行おうはしない。
訝しく思ったアリテスタが千里眼でリディアを見ると、全身に取り付けられた機械から漏電しているのが見て取れた。
「おやおや。やはり調整を急いだ影響が出ているようですな」
「あの超兵器、まだ完全ではないと?」
ルーシス公爵は、相も変わらず狡猾な獣のような下卑た笑みを張り付けている。
「あれはもう旧型ですな。これ以上の実用には耐えられないですな……まぁしばらくすれば後一度ぐらいは動かせますかな」
あれほどの火力を発揮させるのだ。いくら龍の血を引くとは言え、人間の限界を超えてしまっている。所詮兵器とは消耗品。摩耗したとなれば必ず次を用意するのが為政者だ。
「超納得がいきました。だからこそあなた方はアリアを求めるのですか」
「まぁ……そうですな。手札は多いに越したことがないですしな。とは言え、やはり龍人は兵器としての安定性に欠ける」
「あの超戦闘能力ならば多少の欠点など」
ルーシス公爵から笑顔が消え失せた。軍人然とした実直な面差しを見せている。
「十の強さを持つ不安定な存在より、五の強さを持つ安定な存在が兵器としては最良と私は考えていますでな」
気にかかる物言いだったが、アリテスタは詮索しなかった。ドラグヴァン帝国にとって龍人が絶対の存在でないとの示唆。そしてルーシス公爵の物言いから推察するに、この共同作戦に裏があるのは明白。
下手にこちらが違和感を覚えたことを相手に打ち明ける必要はない。少なくとも今はまだ様子を見るべきだ。
「あなたのおっしゃる通りですね。ではルーシス公爵、次はどうします」
「追うしかないですな。龍人のオーバーヒートが解決し次第。ですがな……」
「問題は姉上たちがどこを目指しているのか……」
スカイギアの巨体は遥か遠方の雲間に隠れ、アリテスタの千里眼にも映らなくなっていた。
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