第24話「龍人」

 ――この気配は何? すごく速度で近づいてくるわ!


 ミラは、頭上に広がる雲を見やった。

 カイとアリアも村人を治療する手を止めて上空から迫りくる何かに気付く。

 ジュウロウとロク、二人の達人を凌駕する脅威だ。毛穴から汗が噴き出し、腹の内側から悪寒が込み上げてくる。

 蒼脈の気配がない。蒼脈を持たずして重力を万倍にしたかのような重圧が精神を汚染していく。この場から逃げ出したい衝動が生まれる余地すらないほどに身が竦んでしまっていた。


「……まさか!?」


 ミラは、神に祈った。自分の予想が外れていてくれと。

 しかし神は無慈悲だった。

 雲を打ち破り、蒼天に姿を現したのは一人の女である。

 女神を具現化したような美しい面立ちを燃えるような赤髪と紅玉をはめ込んだかのように煌めく瞳が飾っている。衣服の代わりに鋼板で出来た拘束具で身を包み、皮膚に埋め込まれた機械に侵されながら、その美貌はいささかも霞んでいない。空中で制止した女は、アリアを見下ろし、アリアもまた彼女を見つめていた。


「……母さん?」


 そう呼ばれても女に反応はなかった。けれどアリアの表情は、霞が晴れたかのように鮮明になっていく。思い出しているようだ。母親の記憶を。十五年前を。

 ミラも彼女の顔はよく見知っている。ドラグヴァン帝国の繁栄を支え、アザランド王国が最も恐れた最凶の兵器。


「――龍人リディア……カイ! 手当はあとよ! スカイギアを起動しなさい! 正面戦闘では彼女に歯が立たないわ!」

「はっ!」


 カイは、治療をやめて全速力で洞窟に向かった。龍人リディアの瞳はカイを映したが、数瞬で興味を失ったのか、すぐさまアリアに視線を戻した。


「アリア」


 声が震えてしまう。恐怖を抑えられない。対応を一つ間違えた瞬間、知覚の間もなく消し炭になれる直感が全身を蝕む縛となった。


「アリア、動かないでね」


 極力穏やかな声で名前を呼び、硬直した足を強引に動かしてアリアに近付いた。


「あなたは、私と一緒にここにいてちょうだい。いいわね?」

「ミラ様、どうして母さんが? アリアは、母さんがあの時死んだものとばかり……」


 死んだものと思っていた母親が変わり果てた姿で目の前にいる。アリアからすればそんな状況だ。けれどミラにとってのリディアは父母から伝え聞いていた通りの姿をしている。

 機械で制御された異形のモノ。帝国にとって龍魔弾を凌駕する抑止力


「あの人はね、アリア。どんな蒼脈師の攻撃にも耐える鉄壁の防御。島国を焼き尽くし、山脈を消滅させる火力で眼前の敵を焼き溶かす。如何なる戦場においても戦闘可能な飛行性能。蒼脈師とは段階が違う存在。それがドラグヴァン帝国のみが持ち、アザランド王国を恐怖させた龍人リディアよ」


 殺戮を目的として調整されたはずの兵器に攻撃の意思は見えない。あらゆる存在に破壊を約束するはずの龍人が動かない理由は一つしかないとミラは考えていた。


「彼女が攻撃してこないのは、彼女にあなたの記憶があるからだわ」

「アリアの記憶……でも母さんは、あの頃みたいにアリアの名前を呼んでくれません。あの人は本当に母さんなんですか? 一体何をされたんですか?」

「あの人の魂に刻み込まれているのよ」

「魂? 母さんの?」


 兵器として調整させながらもわずかに残った人としての心。最愛の我が子がこの場にいるからこそ、リディアは兵器ではなく人として踏みとどまれている。


「アリアのおかげよ。もしもあなたが私の言う通りにスカイギアに残っていたら、今頃はこの峡谷ごと消し去られていたわ。あなたのわがままが奇跡を起こしたのよ」

「ミラ様、どうして母さんが? あの姿は何なんです? 龍人って何なんですか?」


 拘束具と機械に繋がれた母親を簡単に受け入れられるはずがない。理由を知っている以上は説明する義務があるだろう。もう黙っていることはできない。隠してきた真実を明らかにして受け入れさせる時が来たのだ。


「……ドラグヴァン帝国の誇る兵器よ」

「兵器……」


 母親を兵器と呼ばれることがどれほどの苦痛なのだろうか。母を亡くす気持ちは理解できてもこんな理不尽に縛られた母の姿を見るアリアの気持ちは想像も及ばない。

筆舌に尽くしがたい屈辱をアリアは懸命に噛み殺している。状況を飲み込もうともがいている。


「アリアは、そんな話一度も聞いたことがありません」


 決して責めるような口調ではなかった。アリアにそのような感情はないだろう。それでもミラは自分の犯した罪が刃のようなに胸へと突き立てられているように感じていた。


「あなたの耳に入らないように、私を含めたあなたの周囲の人間が情報を統制していたの。あなたが城の外に出ることを許されなかった原因もこれなのよ」

「アリアは……アリアも母さんと同じですか? 兵器……なんですか」


 ミラは、アリアの肩を抱き寄せて彼女の耳元でささめくように声を落とした。


「よく聞いてアリア。龍人は、本来気高い存在なのよ。龍の血を引く者。決して人間如きに縛られていいものではない。邪神と戦った龍には多くの種類がいたとされるわ。獣のような姿。木のような姿。岩や鉱石のような姿。自在に姿を変化させた者。中には人の姿になれる者もいたのよ。そんな人の姿になれる龍が人間と交わった結果生まれたのが龍人よ。龍人は、強大な力を持つために、人目を避けて暮らしてきたわ。だけど、三百年前ドラグヴァン帝国によって発見された龍人の一族が兵器として運用されるようになった。あれは、愚かな人間が気高い龍の血を引く人を軍事兵器として調整した罪の象徴よ」

「罪……」

「さらに彼女が振るうのは蒼脈の力ではない。その遥か上位存在。あれこそが龍のみが持つ最上の力『龍脈』よ。龍の血を引くあなたは、その力を引き継いでいるわ」

「……アリアが?」

「だからこそあなたは、蒼脈師になれなかったのよ。蒼脈と龍脈では力としての格が違う。人間程度が扱う蒼脈如きが龍脈の保有者に定着なんかするはずもないわ。所詮蒼脈は人間が龍脈を扱えるように劣化させて調整したものにすぎないのよ」

「ミラ様、あなたが反逆した理由はまさか……」

「これが原因の一つよ。アザランド王国とドラグヴァン帝国が休戦協定を結んだあの時……あの時私は決意したの」


 アザランド王国とドラグヴァン帝国の武力衝突は国境付近を中心としたもので互いに龍魔弾を持ち出すことはなかった。しかし長い戦争状態が両国の国力を削いでいたのも事実であり、道は龍魔弾を用いた全世界を道連れにする全滅戦争か、休戦協定の終結以外の二つに一つ。

 アザランド王国のジャン・アザランド国王とドラグヴァン帝国のハルト・ウィスタルト・ドラグヴァン帝王は、世界を巻き添えにしない聡明な判断をした。


「その休戦協定終結の裏である密約が交わされたのよ。アザランド王国にいる龍人を引き渡すと」

「それが……アリアですね」


 ジャン国王は、ミラにその情報を聞かせた。迂闊だったのか。目的があったのか。それとも父親としての愛情からか。ミラがアリアを大切にしていると分かった上で教えてくれた。

 アリアが龍人であることはミーシャから聞かされていた。来るべき日が来たと、反逆を決意したのだ。


「だけど引き渡せるはずがないわ! 大事な人と……お別れするなんて」


 絶対に失えないと思った。世界で一番大切な人。大好きな人。もう二度と会えないだけなら、アリアが幸せになれることなら、自分の感情を殺すことだってできたかもしれない。けれど――。


「アリアに待ち受けている未来が兵器としての日々だなんて想像することすら耐えられなかったわ……きっとリディアさんもあなたのお母さんも同じ気持ちだったのよ。だから亡命を……だけどね、アザランドも同じ。国とは……王とはどこであれ、それは同じよ」


 ジャン国王は、いくらミラがわがままを言ったところで国同士の取り決めを白紙にする愚かな王じゃない。泣きわめこうが欠片もなびかない。仮に母親のミーシャが存命であったとしても同じことをしただろう。


「民のために一人を犠牲にすればいいのなら迷ってはならない。ましてそれが元敵国の人間ならば……」


 ドラグヴァン帝国からの亡命者。憎き敵国の民を一人差し出すだけで平和が得られるのなら迷う為政者がどこにいる。いるはずがない。たった一人、敵国の人間を差し出すだけで買える休戦協定に飛びつかない者がいない。


「だけど私は、世界を敵に回してもあなたを失いたくなかった。あなたを守りたかった!」


 だってアリアは――。


「私は、ずっとあなたが……」


 ミラにとって初めての親友だから――。


「あなたが大好きなの……アリア」

「……っ!? ミラ様!」


 ミラは、突如アリアに突き飛ばされた。あまりに突然のことで姿勢を崩してしまう。怒っているのか。蔑んでいるのか。何を思われても仕方がない。嫌われるようなことをしてきたのだから。しかしアリアの行動が怒りによるものではないとミラはすぐに思い知らされる。

 アリアの腹部を研ぎ澄まされた水が貫いていた。

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