第23話「新たなる脅威」

 ジュウロウが倒れ伏した姿は、水球に閉じ込められたミラの目にもはっきりと映っていた。それはロクとて例外ではなく、ジュウロウの敗北を目の当たりにして狼狽している。


(やられた! さすがはカイだよ。九年前よりも腕を上げていたんだ)


 アリアに支えられたカイの姿を愛でるように眺めた後、あからさまな憎悪をにじませてミラを見据えた。


(やっぱり僕が殺すしかないのか!?)


 任務の達成を第一とする傭兵としての顔ではない。私情に毒されてしまった滑稽な復讐者がそこにいた。


(僕がカイを。全部お前のせいだ! 八つ裂きにしてやる!)


 ロクは水の抵抗などまるで感じさせず、空を飛ぶかのようにミラを目指して突き進む。両の手に殺意を纏わせる姿を前にしてもミラは怯まない。


(この瞬間を待っていたわ)


 何故なら歓喜に打ち震え、勝利を確信していたからだ。


(カイならやってくれると信じていたわ)


 ロクの戦闘技術は本物だ。しかし精神的な打たれ強さに欠けている。自分が優位な状況にある時は残虐性を露わにするが、いざアクシデントに遭遇した時、短絡的な行動に走るタイプ。

 カイとの会話を見ていても自分の感情を何より優先し、意にそわないことが起きるとパニックを引き起こして衝動的な攻撃性を発揮する。

 ジュウロウが倒されれば、ロクはミラへの復讐心任せに強引な攻撃を仕掛けてくると読んでいた。人質を取っている絶対的優位も忘れて激情に身を任せた短絡的な攻撃に頼ると。

 その予測は完全に的中した。ミラを中心として周回することも村人を盾にした攻撃も選択せず、砲弾のようにまっすぐ突っ込んでくるだけだ。

 拳の間合いに入るより直前、ミラは抱きしめていた村の少年を背中へ回し、ロク目掛けて右手を突き出した。青い光の波動が螺旋を描いて大量の水を巻き込みつつ放たれる。渾身の蒼脈を込めた一撃は、ロクを飲み干そうと大口を開けて迫った。


(狙っていたのは分かっていたよ!)


 しかしロクの身体は、水中でありながら宙を舞う羽のような体捌きでひらりと身を翻して後退。波動の魔手から余裕たっぷりな冷笑だけ残して逃れた。


(もっと引き付けるべきだったよ! 勝負を焦ったのはミラ、君の方だ!)


 起死回生の一撃は回避した。これで自分の勝利は確実だ。そんな風にロクは考えているはずだ。だがミラの攻撃はまだ終わっていない。否、始まってすらいなかった。

 突き出していた右手を強く引くと波動は周囲の水を巻き込みながらミラの手中へ戻っていく。驚異的な吸引力と水流の乱れにロクと言えど抗えず、水流に手足をからめとられてミラの元に引き寄せられていく。


(な、なんだこのパワーは!)


 いくらもがいても螺旋状の魔力波動と水流の束縛からは逃れられず、ロクの身体はミラの拳の射程内に収められていた。


(蒼脈式魔法!)


 干渉制御魔法のような器用な代物ではない。大量の魔力を噴射して周囲の物を絡め取り、強引に引き寄せてしまう魔法。大気中では風を、水の中であれば水を巻き込み、圧縮された魔力と合わせて敵に叩き込む。


(螺旋蒼破!)


 破壊的な回転力と爆発力を纏った拳がロクの鳩尾に食い込んだ。肉が弾け、ねじ切れる感触が手甲越しに伝わってくる。

 ロクの口から夥しい鮮血と無数の肉片が躍り出し、水球内に広がると、見えない水槽に縁どられたかのような真球の形を保っていた水球が破裂。あふれ出た膨大な水の放出により、巨大な池溜まりを峡谷に生じさせた。

 水球の外にいたカイとアリアも多量の水しぶきに襲われ、頭からつま先までぐっしょりと濡れているが、全く気にも留めずに全身で喜びを表現しながらミラへ駆け寄ってくる。


「ミラ様! よくご無事で」


 安堵の笑みを咲かせたアリアは、ミラに肩を貸して立ち上がらせてくれる。


「さすがは姫様ですね……あのロクを力業で倒すとは」


 うつ伏せに倒れるロクは身じろぎ一つしない。螺旋蒼破の直撃を受けながら原型を留めている時点で称賛に値することだ。

 ミラは、数分ぶりに味わう大気を肺一杯に含んでから、大きく一息をつくとロクの首筋に指を当てる。脈は触れない。安堵したミラは、すぐさまカイに指示を飛ばした。


「カイ。この人たちの手当をお願い。あなたも手負いで大変でしょうけど」


 地面に数十人の人々と数十人分の潰れた肉が広がっている。水圧にやられた人々は素人目にも助からないと判断できた。

 しかし生存者の中には浅い呼吸を繰り返す者、身体を痙攣させている者が多くいる。彼等は処置をすれば助かる可能性がある。ミラの指示を受けたカイは、すぐさま村人たちの元へ向かった。


「カイ……助かるかしら?」


 息のある村人、数人の診察を終えてからカイは答えた。


「ええ。ただ見た目は平気そうでも、体内で内臓が潰れている者もいます。全員を助けるのは難しいかと」

「助けられるだけお願い。アリアも私は大丈夫だからカイを手伝ってちょうだい」

「はい、ミラ様」


 犠牲を出し過ぎてしまった。


 ――だけど心を折ってはダメよ。


 後悔は何の役にも立たない。全ての敵は倒れていない。まだ残っている。


 ――考えなさい。次に取るべき行動を。アリテスタが取ってくる行動を予測するのよ。




 百キロ以上離れた岩山の山頂から、カイとアリアが村人たちの治療をする様子を窺うアリテスタは金槌で脳天を打たれたかのような顔をしている。


「あれほどの超達人二人がやられるなんて……二人とも予想していたよりも超強い」


 幼少の折からミラとカイを見続けてきたアリテスタだったが、二人の蒼脈師としての苛烈な部分を目の当たりにするのは初めてであった。圧倒的な戦闘能力は敵ながら感嘆するよりほかにない。動揺で千里眼は震え、頬を冷たい汗が流れ落ちる。

 一方でルーシス公爵は背中に板でも入っているかのように胸を張り、右手でカモメ型の口髭を弄んでいる。


「アリテスタ殿下。御心配には及びませんな。次善の策は常に打っておくものですからな」

「ルーシス公爵、次善の策とは一体?」


 ルーシス公爵は、死肉喰らいの獣が獲物にありつけた時のように、にちゃりと口角を吊り上げた。


「少数精鋭にしたのは多くの兵士を連れてくると面倒だからですな。退避命令を出すのがな。所詮奴らは卑しい風見鶏国家太正国の傭兵と忍。どうなろうと知ったことではありませんな」


 空を仰ぐ酷薄な瞳の光は、氷のようだと形容することすら憚れる。無色透明な悪意を宿した視線の先にあるのは空を覆いつくす分厚い雲だ。


「ルーシス公爵、どういう意味ですか?」


「空をご覧にならせるとよいですな。その目なら見えるはず……彼女の姿がな」


 ルーシスに言われるまま恐る恐る空を見上げたアリテスタの千里眼は、雲の中を進む一つの脅威を捉えた。

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