第21話「死闘」

「こっちに気づくとはカイのやつ、これほどの超すごい使い手だとは思わなかった」


 ミディア峡谷からはるか離れた岩山の頂上からカイを見つめる人物が驚嘆を露わにしていた。アザランド王国の第一王子アリテスタ・クーフィル・アザランドである。


「しかしそちらも超手練れの二人、よく用意されましたな。ドラグヴァンのルーシス公爵」


 アリテスタの傍らにいるのは黒い軍服を身にまとった中年の男だった。カモメのような口髭が印象的で、窪んだ瞳は卑しい黒に染められている。


「なんのなんの。太正国は我がドラグヴァン帝国に大きな借りがありますからな。当然回すわけですな。最高の戦力を」


 ルーシスの下卑た笑みに眉をひそめながら、アリテスタは水球に閉じ込められたミラを見つめた。距離にしておよそ百二十キロ離れていても、アリテスタの目は眼前にいるかのごとくミラの表情を窺い知ることができた。

 アリテスタが先代のミーシャ女王から受け継いだ蒼脈法『千里眼』である。仙法と魔法の混合技である千里眼は、どれほど離れている場所でも見通し、さらには視界を指定した人物と共有することも可能だ。

 アザランド王家に代々受け継がれてきた特別な蒼脈法であり、当代ではアリテスタのみがこの千里眼を扱える。


「姉上、全然苦しそうじゃないなぁ。超つまんない」


 水球に閉じ込められたミラは至極冷静である。

 水中の中でも両拳を腰だめに構えて水球を縦横無尽に泳ぎ回るロクの動きを目で追っていた。攻撃に接近したところを叩く。シンプルだがロクを相手にするのにこれ以上の戦術はない。


「姉上はいつもああなのですよルーシス公爵」


 どこまでも愚直に己の拳を頼みにする。アリテスタの顔に実の姉への強い失望と憐憫の念が同居した。


「いや、僕にはこの距離は見えませんな」

「まったく我が姉ながら実に恥ずかしい。母上に一番似た容姿でありながら千里眼の力も受け継がず、できることと言えば殴るか壊すか。そんなものは雑兵の役目でしょう。王家のすることじゃない。超恥ずかしい。ほら見えませんかあの超情けない姿」

「だから見えませんな……視界共有、僕にもしてくれませんかな?」

「ああ、嘆かわしい。あの人は王家の恥だ」

「あなたも人の話を聞かんタイプですな……」

「しかし超脳筋の姉上はともかく、カイが忍の里の者だとは。偶然か? それとも姉上は知っていて自分付きの薬学師にした? あの人は超能なしだと思っていたけど実は意外と頭が回るのか? まぁ父上の足元にも及ばないだろうけど。そうでしょう父上。あなたにも見えているはずです。僕の千里眼の視界を共有しているあなたには。そう、能なし姉上の姿が」


 戦いの場にいる肉親へ抱くはずの情などかけらもない凍えそうな千里眼の気配。


 ――見ているんでしょうアリテスタ。


 ミラは、水球の中にいながらもアリテスタの視線を感じていた。


(お父様があなたを送り込んできたということは、なるほど……そういうことね)


 ジャン国王は、アリテスタの目を通して全てを見届けるつもりだ。


(では父上、かわいい長男の目を借りて安全なお城の王座でじっくり見物していなさい。そしてアリテスタ、あなたは姉上の戦い方をとくと目に焼き付けるのね)


 水球の中にいながらもミラの体調は乱れていない。

 仙法を応用すれば血液中の酸素と同様の働き方をさせることができる。呼吸の心配はない。問題なのは水球に閉じ込められた村人たちだ。

 ロクは一向に攻撃を仕掛けてくる気配がない。恐らくは村人たちが溺れる瞬間を待っている。残念ながら、村長を含めた数名の老人が溺れて、既に息絶えている。


(ごめんなさい……)


 歯を食いしばり、ミラは動かない。敵は、彼等を助けに行く時にできる隙を狙って攻撃を仕掛けるつもりだ。

 両の拳を腰だめに構えて迎撃態勢を取り続ける。焦れたが最後、ロクに先手を取られ、主導権を握られていいようにされるのがオチ。

 それに人質はあくまでも時限装置。人質全員が死んでしまえばその効力を失う。そうなればロクは駒を一つ失うこととなる。ロクはミラが村人を犠牲しないという前提の上で、この戦略を選択した。ならばその駒がこの戦いで通用しないのだと思い知らせればいい。


(ごめんなさい……恨んで。全部私のせいなのだから)


 もっと早くスカイギアを起動する判断をしていれば。アリアの言うように村人たちと話し合いをしていたら――。


(ここで後悔してはいけないわ。戦闘において何の手助けにもならない。責任の取り方はこいつを倒す以外にないわ)


 決意を固めて微動だにしないミラの周囲を旋回するようにロクは泳いでいた。十二分に間合いを取り、ミラの攻撃が届かない距離を維持し、機会を待っている。この状況を楽しんでいるようだった。


(あくまで王女は動かないわけか。なら第二弾といこうか)


 ミラの周囲を泳ぎながらロクが右手を伸ばすと、ミラの耳にくぐもった音が届いた。


(なに……今の音?)


 視界の右端から赤い靄が広がっていく。


(血?)

 間違いなく血である。けれどミラの身体に異常はない。続いて漂ってくるものは赤いもやに塗れた桃色の物体。それが人間の臓腑であることをミラはすぐに悟った。

 またくぐもった音がする。今度は背後からだ。さらに音。今度は頭上から。やがてミラも異変を感じる。先ほどよりも身体が重い。妙な圧迫感を感じる。


(水圧が変わった?)


 ぐちゅん。


 ぶつん。


 ぼぶっ。


 果実を握り潰そうような音が全方位から反響してくる。このままでは数分としないうちに村人は全滅する。


(ごめんなさい……まだ動けない……)


 焦って動けば勝機を逸する。多少の犠牲に目を瞑ってでも確実に勝てる道を選択し、実行に移すしかない。そんなミラに、ロクは侮蔑と嘲笑を向けてくる。


(村人も犠牲にするんだね。そうやってカイのことも捨て駒にするんだね……許せない! 僕のカイを奪っておいて!)


 旋回していたロクがミラの背後で動きを止めて両の手刀を振り下ろした。指先で撫でられた水流は鋭い刃となって水球を進む。

 迎撃しようとミラが右の拳を肩まで引くと、ロクの口元に邪な感情が灯った。


(なに……あの表情――)


 突然、水流の刃とミラの間にイズが現れた。身体が水流に絡めとられ、死の恐怖と酸欠により、顔が紫色に染まっている。

 ここに居られてはミラの拳が直撃してしまう。コンマ一秒以下の極小の戸惑いをあざ笑うかのようにイズの肉体は水刃によって瞬く間に解体され、ミラの左肩と右大腿部にも深い爪痕を残した。すぐさまミラは患部を強く握り、止血をする。


(水の中のせいで出血が多い!)


 ロクは再び水球の中を旋回しつつ、さらに水刃を繰り出し、その軌道上に村人を運んでくる。今度は幼い男の子だ。ミラの手の届く範囲にいる。


(手を出したらダメ)


 いくら子供でも。


(これが奴の狙いなのよ?)


 助けてはならない。


(覚悟を決めたじゃない……)


 ならないのに。


(……それでも!)


 たまらずミラは両手を伸ばして男の子を胸に抱え込み、水刃を背中で受け止めた。

 蒼脈の浸透した水流は、仙法で強化された肉体でも防ぎきれるものではない。気法を込められた剣と同等の切れ味でミラの背中に斬撃を刻んだ。


(そうだ! ようやくらしくなってきたよ! そうやって人を庇え! 矮小な正義感に捉われてこのまま切り刻まれちゃえよ!)

(彼から見たら私はじり貧……戦況は圧倒的な不利……そう見える)


 ミラの闘志は衰えていなかった。ミラが倒れたらロクは、村人全員を瞬時に殺すだろう。だからこの戦いに負けるわけにはいかない。村人たちの暮らしを犠牲にしようとした。せめてもの罪滅ぼしに、守り切れるだけの命は守らなければならない。


(こっちにも水中でこそ威力を発揮する魔法があるのよ……問題は射程。決して長いわけじゃない。相手を懐に誘い込まないと)


 肉の潰れる音が次々に木霊する。村人たちが水圧に耐えきれず、潰されているのだ。あまり時間は掛けられない。しかしロクの戦略にはまるような動きをすれば即命を絶たれる。

 相手は達人。数瞬の隙が致命傷。得られる機会は一度きり。


(必ずやつのほうから仕掛けてくるわ。今の私にできるのはその瞬間を待つだけ。た

とえ村人が何人犠牲になろうとも。それに動じない覚悟を持って! たとえ一人だけでも救うのよ!)


 ミラがロクの機会をうかがっている頃、水球の外ではカイとジュウロウの死闘が繰り広げられていた。

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