第19話「龍脈」

 アリアは、龍魔弾をランタンで照らしつつ、ミラの足音が完全に聞こえなくなるのを待ってカイに問うた。


「カイは気付いているのですか? いえ、質問が違いますね。気付いていますよね……アリアが何なのか。アリアも知らないことをカイは知っていますよね」


 龍魔弾の弾頭の表面を短剣で軽く削りながらカイは首を縦に振った。


「大体はな」

「でも教えてはくれないんですね」


 削った龍魔弾の粉末を短剣の切っ先に乗せて、懐から出した透明な薬液の入った小瓶のふたを開けて中に入れる。すると透明な薬液が仄かに赤く色づいた。

 カイは、軽く舌を打ち、小瓶の蓋を閉めて懐へ戻した。左隣に設置してある龍魔弾の表面を再び削り始める。


「お前さんを助けるためさね」

「アリアに原因があるのは分かっています。でもその原因が何なのか、カイもミラ様も教えてくれません」


 苛立つアリアを横目に見ながら先程と同様に懐から透明な薬液の入った小瓶を取り出し、中に龍魔弾の削りカスを入れる。薬液はまたも仄かな赤みを帯びた。


「アリア」


 耳心地のよい柔和な声で名前を呼んだ。


「これは大事なことだからこそ俺の口からは詳しく話せないのさね」


 諭すように。申し訳なさそうに。


「けどな、お前さんに覚えておいてほしいのは、姫様はいつだってアリアのことが一番ってことさね」


 最大限の敬意を込めてカイは言葉を紡いでいく。


「確かにお前さんの言う通りさね。姫様の行いは罪深い。不気味に見えることもあるさね。だけど信じてやれ。彼女の全てはアリアのためだ」

「龍魔弾もですか? こんな悪夢のような兵器に頼ってでも」

「なんとなしには分ってるはずさね。お前さんの抱える運命が」

「アリアの運命……」


 思い当たる節は彼女にもあるはずだ。

 突如飛躍的に向上した身体能力。紅玉色の虹彩の輝きにかぶさるようにして芽生えた紫色の光。肉体に起きている異変はアリア自身が誰よりも思い知っているだろう。


「アリアは、どうなってしまったんですか?」


 カイがどのような説明をしてもアリアを納得させることはできないかもしれない。


「あるべき姿に帰ろうとしてるのさね」


 ミラと出会った日。彼女から聞かされたアリアの真実。それを知った時、いつかは今日のような日が訪れると確信した。


「……アリアは、人間じゃないんですか?」


 そのための準備もしてきたつもりだ。


「人間さね。アリアが自分を人間だと思っている限りは人間さね」


 いざ現実となってしまうと、月並みな台詞で誤魔化す以外に何もできることはなかった。己の無能さを味わわされる。


「少なくとも俺にとってのアリアは、人間さね」


 真実を隠したままだとしてもアリアに対して誠実でありたい。話せる範囲で教えられることは全て伝えた。これ以上はアリア自身が知っていくしかない。


「カイの話はいつも難しいですね。お薬の話もそうですけど」

「すまん。性分さね」


 アリアは、破顔した。困らせてすまないと謝るように。


「ミラ様とカイはアリア以上にアリアのことを知っているんですね。ならいいです。それでいい。あとはアリアが起きたことを受け止めます」


 彼女の言う通りだ。逃れようのない過酷な運命が定められている。ならば受け止める以外に道はない。


「このスカイギアが空へ羽ばたいた時には全てがわかるさね」

「スカイギアが?」

「大きく事態が動くことになる。良きか悪しきかは分からんがね。俺たちは迫りくるそれらをうまくやり過ごすしかないさね」


 空へ逃れても運命は追いかけてくる。この翼でどこまで抗えるのか。先行きへの不安が浮かぶ余地を与えぬように、カイはひたすら検査に没頭した。




 艦橋は闇に飲まれている。床に固定された椅子に座り、ミラは操舵装置を見つめている。指先に流体状の魔力を編み上げて光球を生み出し、蒼い明かりで操舵装置を照らす。

 船と同じように舵があり、その左隣に黒いレバーが取り付けられていた。


「大切なモノを守りたいとき……黒いレバーを引け。母上はそう言っていたわね……母上、このレバーを引くとなにが起きるというのですか?」


 アリアを守るために必要な力が手に入るはず。

 では一体それが何なのか?

 何故ミーシャは、そんなことを知っているのか?

 彼女は黒いレバーを引くとなにが起こるか分かっていたはず。となればスカイギアの内部構造を把握していたと考えるしかない。


「これを引くと……スカイギアが起動するとか?」


 おそらくは違う。舵の右隣に赤いスイッチがある。しかもボタンにはご丁寧にアザランド語で『起動』の刻印が施されている。


「スカイギアを始動するのはこのボタンのはずよね。でも何故アザランドの言葉でわざわざ?」


 起動スイッチ。動力炉。重要な施設にはアザランドの言語で文字が刻印されている。元々あったのか、それともスカイギアが地下で眠りについて以降、彫られたモノなのか。今となっては確かめる術はないが――。


「母上がスカイギアを知っていたのなら、この刻印も母上が? それともその先代の王家の誰か? 刻印したのかしら? じゃあ黒いレバーは……」


 大切な人を守るための力。

 引きたい。

 引いてみたい。

 思いっきり引いてみたい。

 好奇心が心をくすぐり続ける。


「……母上! この誘惑……すさまじいわ!」


 大切な人を守りたい時、引く。

 今なのでは?

 今が引き時ではないか?


「いやなんか違う気がするわ! もっと追い詰められた時というか……まだのはずよ!」


 でも気になる。子供の頃から絵本で読み聞かされてきた黒いレバーが目の前にあるのだから。


「……ちょっと、ちょっとだけ」


 ミラが誘惑に白旗を上げ、身体をくねらせ悶えた瞬間、二人分の足音が艦橋に入ってきた。


「何やってんのさね、あんた?」

「ミラ様、ますます変なことに……」


 カイとアリアが立っていた。それもこれまでで見たことのない怪訝な顔付きで。さすがのミラもこの姿を見られるのは恥ずかしい。咳払いで誤魔化しながら、椅子から立ち上がってカイと向かい合った。


「それで龍魔弾のほうはどうだったのかしら?」

「なに悶えたんですか?」

「お黙り」


 これ以上追及したら腹に一発食らわせてやる。そんな気持ちを乗せてカイを凝視すると、彼は自分の置かれた危機的状況を理解したのか、それ以上追及してこなかった。

 カイを黙らせたところでミラは改めて問い掛ける。


「龍魔弾は?」

「残念ですが、使えません」

「……使えない?」

「検査薬は全て赤。もはや龍魔弾の機能は損なわれています」


 心なしか安堵したように見えるアリアとは対照的に、ミラは全身を襲う脱力感に屈した。倒れるように椅子に座り、失望に塗り固められた吐息が無意識のうちに漏れてしまう。


「そう……やっぱり龍魔弾はダメなのね……」


 落ち込んでもしょうがないが、頼みの綱が一つ切れてしまったのも事実だ。さすがに無傷というわけにはいかない。だが悩んでいても行動しなければ救われない。


「カイ、原因は?」

「凄まじい破壊力を持っているがゆえに、繊細なもんですからね。龍魔弾に使われているのが結晶化した龍脈――『龍脈石』だというのは姫様もご存じですね」

「ええ。それはもちろん」

「龍脈は蒼脈の基となった力。龍の力そのものです。ですが如何に蒼脈の上位の力とは言え、性質は同じもの。漏れ出せばいずれは大自然に吸収されます。ここにある龍魔弾はどれも弾頭が経年劣化でひび割れて、大気に吸収されちまってる。おまけに二千年も経ってるんじゃ、どんな手を使っても龍脈を取り出すのは不可能。もはやこの世のどこにもないのさね」

「弾頭にこびりついていた結晶は龍脈石ではないの?」

「確かに似ていますが、龍脈石とは大地に吸収された龍脈が膨大な時間を経て結晶化したモノ。龍魔弾のあれは精製済みの龍脈が大気に還元された後の残りかすが結晶化したもんです。こうなると石ころと変わらんさね」


 龍魔弾とスカイギアが二つ揃わなければミラの目的、新国家樹立は達成できない。いくらスカイギアでも龍魔弾の抑止力無くして大国と渡り合うのは不可能である。アザランド王国かドラグヴァン帝国の総攻撃を受ければ数日中に撃沈されてしまうだろう。

 もちろん次善の策は用意している。しかしこれは確実性が下がるため、あくまで次善の策。だとしても今はそれに賭けるしかない。


「じゃあカイに用意してもらった第二プランのほうでいくしかなさそうね」

「第二プランってなんですか?」

「龍魔弾がないなら龍魔弾を作るのよ」

「つ、作れるものなんですか?」

「材料は道すがらとってきたしな」

「カイが集めてたものって……ファネルアの森で拾ってたあれですか?」

「ああ。龍魔弾を作れる素材が落ちてる場所。そいつを優先的に拾える場所を逃走経路として考えていたのさね。調合にはさほど時間はかからん。やろうと思えば一人でも数時間あれば」


 突如アリアがミラとカイの間に割って入った。


「やっぱりカイは、最初から知っていたんですね。ミラ様の反逆を……」


 アリアは笑っていた。お菓子を食べる時のような安らぎを胸に秘めた笑顔。


「ミラ様の気持ちが嬉しいです。幼い頃の記憶は曖昧ですけど少し覚えています。母さんに連れられてアザランド王国に逃げ込もうとして途中で母さんが捕まったことも……わけもわからず歩いているうち、気が付けばアザランド城で保護されていたことも」


 十五年前、アリアは母親に連れられ、ドラグヴァン帝国からアザランド王国に亡命しようとした。しかし亡命の途中でアリアの母親は帝国の追手に捕まってしまい、アリアだけが逃げ延びた。

 アザランド王国は、アリアを丁重に保護し、第一王女であるミラの最側近という本来ならば王家が絶大の信頼を注ぐ貴族階級の者しかつくことを許されない地位を与えた。

 帝国からの亡命者は珍しいものではない。だが亡命と称してアザランド王国に入った者が諜報機関の人間であった事例も少なくなかった。

 いくら四歳の子供と言えど、帝国側の人間であるアリアがミーシャ女王の長女にして王位継承権第二位に位置するミラの最側近を務めるのは前代未聞の事態である。さらにアリアの素性は王家の人間と極一部の官僚のみが知る最重要機密に指定された。


 九年前、カイと出会ったミラは、全てを話し聞かせた。カイは、すぐにアリアの正体にある程度の見当をつけてしまった。ミラが暗殺者のカイを側近の薬学師として傍に置いたのも、この聡明さと蒼脈師としての練度があってこそ。

 アリアも自分が何者かは知らなくとも、自身が特別な存在であることには気付いていただろう。王女であるミラよりも城の外を知らない。ミラが公務で外出する時も同伴を許されなかった。その異常性と違和感を無視できるほどアリアは愚鈍ではない。

 これ以上隠しておくのは無理だろう。このまま隠し続けてもアリアのためにならない。

 アリアに真実を伝えられる人間は、この世にミラ・クーフィル・アザランドをおいて他にいないのだ。


「姫様。そろそろ話しちゃどうです? あんたの黙っておきたい気持ちは理解できる。しかしな、こうなっちまうと後には引けないさね」


 ミラがアザランド王国に反逆したあの日から、さらにはアリアがアザランド王国に亡命したあの瞬間から全てが動き出している。


「俺たちはそういうところに来ちまってる。壁を越えちまってる。そして乗り越えた壁の後ろ側には二度と戻れないのさね。アリアを納得させられるのはあんたの言葉だけさね」


 これからする話をアリアがどう受け取るか。考えようとして、すぐに思考を放棄した。

 どう受け止めるか決めるのはミラじゃなく、アリアだ。

 覚悟を決めて、肺に溜まった呼気を一度に吐き出した。


「これは全て私の幸せのためよ。そう、全ては私の望みをかなえるため。私の私利私欲のため、私は全てを犠牲にすると決めたの。たとえそれが親兄弟であったとしても」

「やっぱりミラ様はお優しいですね」


 桜色の笑みがアリアの唇を飾った。


「だってアリアのためにしたことなのに、アリアのためにしたって一言も言いません。アリアを傷つけたくないからですよね。責任を自分一人で被るため、罪を一人で背負うため、罰を己の身一つで受けるため」


 図星を突かれた。

 自嘲すら浮かべられない。


「でももういいんです。アリアのためにしたことならアリアも一緒に背負います。ミラ様一人が犠牲になっていいことじゃないんです。アリアにも背負わせてください」

何も語らず、何も言わず、ひたすらアリアの言葉に聞き入ってしまう。お気に入りの音楽を聴いている時のような心地だ。

「アリア……あなたは――」


 突如、頭上から蒼脈の気配が弾丸雨注の如く降り注いだ。ミラはすぐさま手甲を装着し、カイは腰の鞘から短剣を抜いた。

 地上に敵がいる。

 一つの蒼脈は出力こそ弱々しいが老獪な切れ味を感じさせる。もう一つの気配は若々しい狂気が研ぎ澄まされており、カイの浮かべる苦笑に懐古の念が滲んでいる。


「この気配は、蒼脈師が二人いるさね。しかも相当の手練れ……この気配はまさか?」

「カイ、知っているの? この気配の持ち主を」

「ええ、一人のほうは心当たりが。この予感だけは当たってほしくないんですがね」

「生憎とカイの予感が外れることはそうそうないわね。敵ね?」

「恐らくは」

「強いの?」

「そりゃあもう」


 蒼脈の気配が害意に満ちている。紛れもない達人だ。そう簡単には逃がしてはくれないだろう。スカイギアを起動して空へ逃れるか?

いや、相手がどのような蒼脈の技を使うか分からない以上、現実的ではない。大火力の技をぶつけられたらスカイギアが破壊される可能性がないわけではない。

 一番厄介なのは地上にイズたち村人がいることだ。敵が来る前にスカイギアを起動できたとしても村人の避難を待たずに岩盤を突き破れば、崩落に巻き込まれ、全員命を落としてしまう。


「姫様、俺は地上に出て敵を叩きます。あんたたちはここでスカイギアの起動準備を――」

「いえ、私も出るわ。アリア、あなたはここにいなさい」

「アリアも行きます!」

「命令よ。ここにいなさい!」

「承服しかねます! 敵は二人いるんですよね。だったらアリアが村人を避難させます!」


 アリアは怯まずに食い下がってくる。焼き鍛えられた鋼のような意思が赤紫の双眸に宿っていた。

 頭上から届く気配がどんどんと濃くなっていく。これ以上言い争いをしている時間はない。事は一刻を争う。

 それに敵の能力が分からない以上、離れるリスクも存在する。目の届く範囲にいてくれた方が守りやすいかもしれない。


「……分かったわ。アリア、避難誘導は任せるわ。でも無理はしないで。いいわね?」

「はいミラ様」

「じゃあ行くわよ。カイ、アリア」


 三人は、スカイギアの艦橋を飛び出して地上へ向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る