第18話「王の道」

 上甲板からスカイギア内部へ続く分厚い水密扉をミラとカイが二人掛かりで開けると赤い光が漏れてきた。金属製の廊下にずらりと設置された非常灯である。


「まだ動力は生きているみたいさね。二千年前の遺物だってのに」


 最初に足を踏み入れたのはカイだった。続いてミラ、最後にアリアの順で廊下を進んでいく。通路は三人が両手を広げた状態で横一列に並んで歩いても十分な余裕があるほど広い。

 廊下の左右には水密扉が並んでいる。一つ一つ開けて中を確認していく。そこは居住スペースになっており、一部屋につき簡素なベッドが二つ置かれていた。

 廊下の突き当りの水密扉を開くと、正面に水密扉。右手に上り階段。左手に下り階段がある。カイが正面の水密扉を開けるとまた廊下が続いていた。こちらも居住スペースだろう。


「姫様、どっちへ行きます」

「そうね……下へ」


 ミラの指示通り、カイは左手の階段を下りていくと正面と左手に水密扉が待っていた。


「こりゃ全部見て回るのに朝までかかるかね」


 カイの見立て通り、スカイギアの内部構造把握は困難を極めた。伝説の存在の内部を探索する興奮のおかげで眠気は感じなかったが、ミラの体内時計によれば、とっくに日が昇っている頃合いだ。しかしその収穫は大きい。

 まずスカイギアは六層構造であることが判明した。

 最上層が艦橋となっており、こちらの内部構造も外観通りに船と酷似している。あるいは船という存在そのものが、人類が無意識的にスカイギアを模倣した代物なのかもしれない。

 船と同様の舵と、その左隣に黒いレバーのついた操舵用の機器。多種多様なボタンが敷き詰められた火器管制用の機器が艦橋内にまとめられており、三名も居れば十二分にこの巨体を操ることができるだろう。


 ミラたちが上甲板から入った第三層から第六層までは居住スペースとなっている。百人程の村人たちを住まわせるのは十分すぎる設備だ。

 第四層には数十人を一度に治療可能な医療施設が併設されている。現在アザランド王国で使用されている物よりも、やや小振りなメスやクーパーといった手術器具とそれらの消毒用設備も充実している。

 薬品のほうは経年劣化で大半が駄目になっていたが、心電図・レントゲン・人工呼吸器等はまだ動く。いずれも現在の医療機器よりも進んだ技術が使われているらしい。とても二千年も前に作られたとは思えない設備だ。これが龍の技術で作られたなら彼等は科学技術においても人類の数千年先を行っていることになる。神々の尖兵の名は伊達ではない。


 第五層には数メートルある高純度の湧水石が五十個ほど設置された水道施設に加え、良質な土が敷き詰められ、蒼脈を利用した人工太陽光灯の設置された畑までが完備されている。

 家畜を入れておくための獣舎と鳥小屋も存在しており、植物の種と家畜さえ用意すればスカイギアから降りずとも自給自足の生活を送ることができるだろう。

 国家として運用していくにあたって一度環境を構築してしまえば、最低限の食料補給で済ませられるのだから、非常に重要な機能だ。


 最後に確認したのは居住スペースの上にある第二層である。スカイギアを稼働させるための動力炉と各種整備部品や弾薬庫などの施設がまとめられていた。

 動力炉への扉は固く閉ざされており、内部構造を窺うことはできない。金属製の分厚い扉に動力室とアザランド語で刻印されているため、ここが動力室であろうと判断したに過ぎなかった。この扉はスカイギアの動力を稼働させないと、開かれることはないだろう。こじ開けようにもスカイギアで最も大切な部分だ。無理やりにやって破損させてしまう事態は避けたい。


 そして今三人は弾薬庫の前に立っている。カイが水密扉を開くと、内部には金属製の棚が何百列と並んでおり、そこに大量の砲弾が収められていた。


「さて……問題はここか」


 カイは、ランタンを弾薬に近づけて一つ一つ確認していく。錆や亀裂などは見られない。新品同然だ


「カイ、使えそうかしら?」


 ミラに問われたカイは、振り返らずに答えた。


「さぁどうでしょうね。通常の弾薬はともかくとして問題は……」


 カイの視線がある砲弾に注がれた。蒼い結晶状の弾頭がカイの足よりも太い黒い薬莢に収められている。同様の砲弾計四十八発が弾薬庫には存在していた。結晶化した表面を指で擦るカイから感嘆の息が漏れた。


「この距離で実物を見るのは初めてさね」


 砲弾の正体が分からないらしいアリアは、カイの肩越しに覗き込んだ。


「その砲弾はなんですか?」

「龍魔弾さね」

「悪夢の兵器!?」


 大陸の形をも変え、島国であれば地図上から消滅させると称される人類史上最強の兵器にして龍が残した最悪の遺産。

 十三大国はいずれもこの兵器を保有しており、彼等と渡り合うためには龍魔弾の保有は必要不可欠な条件だ。しかし、同時にそれは数千万人の命をたった一発で奪える罪と世界を滅ぼしてもかまわない覚悟の証明でもある。


「まさかミラ様! 国を作るってこんなものを頼る気だったんですか!?」

「……ええ。そうよ」


 白でもなければ黒でもない。善でもなければ悪でもない。清濁混じり合うのが為政者の常。君主の性。逃れようとした瞬間、国家という概念の崩壊を意味する。

「国を作るということは、他国の争いに備えるということよ。十三大国を相手取るには龍魔弾は必要不可欠だわ」

「十三大国を相手取ってどうする気ですか? まさか戦争でも仕掛けるつもりなんじゃ!」

「こちらから仕掛けはしないわ。だけどそうね。向こうが仕掛けてくるのなら話は別よ」

「待ってください! 戦争をしたらイズたちのような人たちがまた増えるんですよ!? あなたは背負えますか? 犠牲を……怨嗟を……」


 王は歩く。黄金と宝石で飾られた道を。その下に隠された腐敗した血と汚泥を踏みしめながら。

 王は、綺麗事ばかりでいられない。基本的な理念が理解できないほどアリアは子供じゃないはずだ。それでも耐えられないのだろう。自らの君主が民草の血が流れることをよしとするのが。罪なき人々を焼き払う行為を許容するのが。

 しかし力は必要だ。力なき者は必ず力ある者に虐げられるか、力ある者におもねる以外の在り方を失う。自己を確立するには害意を寄せ付けないだけの力が必要だ。

「そうならないための龍魔弾よ。武力を持たずに国家は機能しえないわ」

「ミラ様。アリアは武力を持つことを否定しません。必要なモノです。ですけどアザランド王国とドラグヴァン帝国は龍魔弾保有国であるにもかかわらず、長い戦争状態にありました。そのことはアリアよりもミラ様自身が一番よく知っているはずです」

「この程度の武力衝突は小競り合いよ。むしろこの程度ですんでいるのは龍魔弾という抑止力を互いに保有しているからこそだわ」


 仮にどちらかが抑止力を欠いていれば、首都への侵攻を許してしまい、果てに待っているのは無条件降伏。あるいは総力戦となり、互いに数千万人規模の死者を出していた可能性もある。

 イズたち国境付近の民にとっては過酷な日々でも、多くの民にとって戦争は遠い日常であった。少数を犠牲にした消極的平和だとしても、全ての民が明日の命も知れぬ身になるよりははるかにまし。そんな考え方も国家運営という観点から見れば純粋な悪とは言い難い。

 理想を捨てては国家は成り立たないが、理想だけでも国家は成り立たない。

ミーシャとジャンの背中を見て、ミラは嫌というほど学んできた真理だ。


「いいかしらアリア。小国が持つ龍魔弾は、大国が持つ龍魔弾以上の価値があるのよ。軍事力に乏しい国は大国よりも容易に龍魔弾使用のカードを切る。どうせ滅びるなら世界を道連れにしよう……とね」


 十三大国がそれ以外の国に龍魔弾の保有を禁じる理由。それは、小国の牙が喉元に届く恐怖からだ。小国を犠牲にした経済成長無くして十三大国の繁栄はあり得ない。経済的奴隷が必要だからこそ十三大国は龍魔弾を保有した小国の登場を何よりも恐れている。

 龍魔弾と経済的圧力によって保たれている十三大国にとって都合のよい平和が崩されることは、十三大国の崩壊の始まりをも意味していた。


「力を持たんとする小国の心理を大国は恐れるのよ。龍魔弾のような兵器は小国が保有してこそ、価値を増すわ。まして能なし姫の作った国家なら、君主が能なしならば当然のごとく恐れるわ。バカに凶器を持たせるほど人を恐怖させる状況もないのよ」


 短絡的で思慮の浅い人間に龍魔弾を手にしたらどうなるか?

 容易く報復の選択肢を取る。容易く龍魔弾の引き金を絞る。暴走の結末は世界の破滅だ。そんな相手に噛みつくほど、十三大国は愚かではない。


「黙認するしかないわ。私のことを。私たちを。新しい国家を。アリアは何故スカイギアが必要なのかと聞いたわね? スカイギアは文字通り空を飛べる兵器よ。そして龍魔弾の発射機構を備えている。本来龍魔弾の発射装置は大掛かりなもので移動させるのは不可能よ。だけどスカイギアは違う。あらゆる地形を制覇し、あらゆる場所から龍魔弾を発射できる」


 大陸の形状すら変貌させる一撃が世界中の至る箇所から撃ち込める。この事実は、敵にとって比類なき絶望だ。


「しかも自衛武装まで備えている。これほどの砲火を備えていれば突破できる蒼脈師は一握り。仮に突破されたところで私やカイが迎え撃てばいい」


 仮にミラとカイを倒せても報復としての龍魔弾が残っている。スカイギアを敵に回した時点で相手に無傷の勝利はあり得ない。大国にも届きうる力が今ミラたち三人の手中にあるのだ。


「だからアリア、私は何としてもこの兵器が欲しいの」

「アリアのためにですか?」

「……私のためよ」


 そう、これはわがままだ。アリア本人が望んでいないのに、多くの人の犠牲をよしとする。

 狂っている。国家の君主にあるまじき程狂っている。しかし現状打破するためには平凡な君主でいられない。飛び抜けていなければ。それがどれほど冷酷であれ、残酷であれ。悪夢にすがる所業であれ。


「カイ、龍魔弾を調べるのに時間がかかるかしら?」

「下手にいじるとやばい代物ですからね。一時間ほどください。アリア、悪いがランタンで手元を照らしてくれんか?」


 カイがランタンを差し出すも、アリアは両手をぎゅっと握りしめて拒絶した。


「待ってくださいカイ。アリアとミラ様の話はまだ終わっていないんです!」

「全てが片付いたらあなたとちゃんと話をするわ。それじゃあだめかしら?」

「ミラ様!」


 ここまで静観を決め込んでいたカイだったが、突如軽く握ったげんこつでミラとアリアの額を小突いた。


「二人ともその辺にしとけ。アリア、手伝いを頼めるか?」


 思いの外痛かったらしくアリアは、涙目で額をさすりながら頷いた。


「……分かりました」

「悪いさね。それでもって姫様。あんたは少し頭を冷やせ」


 小突かれた額を指で掻きながら理解する。アリアを説き伏せようとしていた。自分の考えを押し付けようとしていた。

 嫌われてもいいなんて理性で考えても、結局本心は愛されたい一念でいっぱいだ。

 アザランド城を出て以降、アリアの言葉にまるで耳を貸さず、頭ごなしに否定するか、風に吹かれた木の葉のようにひらりひらりと身を躱すか。

 二人の関係がぎくしゃくしている大本は、ミラにある。その自覚はある。非道な行いや過激な思想を理解しようと努め、寄り添おうとするアリアの思いをあまりにも無下にし過ぎていた。

 普段軽口こそ叩けど、ミラの判断に異を唱えることをしなかったカイがこのような行動に出たのは、彼から見てもミラの態度は目に余ったからだろう。


「ここはいいからあんたは仮眠でもしてください」


 忠臣の助言を無下にするほどの能なしにだけはなりたくない。


「……そうね。おやすみなさい。カイ、アリア。艦橋にいるわ。何かあれば呼んでね」


 ミラは小さな溜息を残して弾薬庫を後にした。

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