第17話「スカイギア」
地獄と化した宴会が終わって三時間後。村人たちは、月光の白をうっすらと吸い込んだ深更の夜気に包まれて深い眠りに落ちている。
ミラ・カイ・アリアとイズの四人は地図を片手に村の中を歩き回っていた。ミディア峡谷にスカイギアはある。少なくともミラはそう確信していた。村人たちがミラの提案に対する回答をするのは明日。
ジャン国王がこのまま引き下がるはずがない。追手のことを考えるとすぐにでも発った方がいい。それ故、夜の内にスカイギアの捜索をすることにしたのだ。
ミラが正体を明かした時、村人たちから聞こえた単語。洞穴。これが地下へ続き、スカイギアに辿り着く入口だと判断し、イズに案内を頼んだ。
そこは南に位置する岩壁である。大小様々な岩が積み上げられている箇所があった。
「あそこかね?」
カイが尋ねると、イズはシャツの中に手を突っ込んで腹をかきながらあくびした。
「ここに来たばかりの頃、子供たちが見つけたんだよ。中に入ったことはないんだ。暗いし、食べ物もなさそうだしな。ただ子供たちが入ると危ないだろうからって今は塞いである」
イズが教えてくれた岩壁からカイが岩をどかすと、人一人が潜り込めそうな隙間が姿を現した。ランタンで中を照らしても闇は払えない。相当奥まで続いているようだ。
「助かったさね」
「見つかるといいな……そのスカイギアとかいうやつ」
イズは、ポケットに両手を突っ込み、ミラたちに背を向けた。
「……見つかったら俺たちも住まわせてもらえるんだろ?」
「ええ。約束するわ。私の創る新しい国家の民は、あなたたちよ」
「そっか。よかった。俺はあんたらの提案ありがたいと思ってる」
振り返ったイズは、微笑みながら鼻先を指で掻いている。
「ここは何もないし……毒の影響で子供たちにもよくないし……みんなさ、あんたらに不信感剥き出しかもしれないけど、心のどこかで思ってるんだ。ちゃんとした居場所が欲しいってさ」
ミラは、右拳を固めて夜空の月を突くように高く掲げた。
「このミラ・クーフィル・アザランドに任せなさい。素晴らしい国家を創って見せるわ」
「ああ……洞穴狭いから気を付けろよ、ってあんな強いだから大丈夫か。いざとなれば、こんな崖ぐらい壊せそうだ」
「心配はありがたく貰っとくさね」
イズに別れを告げるとカイは、ランタンを手にしたまましゃがみ込んで穴に潜り込んだ。かなり狭く身体の幅はギリギリである。カイの後に続いてミラ、アリアの順に穴に入った。
少し進むと、穴が広がった。カイがまっすぐ立ってもギリギリ頭が天井に付かない。両手もある程度までなら横に伸ばせる。狭かったのは入り口の部分だけらしい。
ランタンで照らしても先はまだ見えない。カイはランタンを目線の高さまで掲げて歩き出した。ほんの僅かだが下りになっているようだ。その後ろをミラとアリアがついてくる。
「カイ、また巨大な蟲や獣が出たりはしませんか?」
アリアの上ずった声が洞穴に反響する。
「だいぶ狭いからな。ここにはいないさね」
カイの言葉だけでは安心材料として不足しているのか、アリアは両手を重ね合わせて口の前に持ってきた。
「さっきの蜘蛛はここにはいないんですよね?」
「大丈夫さね。ありゃ地下にはいないさね」
「アリア、意外と臆病だわね」
「だってミラ様……あの蜘蛛、アリアをずっと見ていましたから……」
「平気よアリア。私とカイがいるのよ。あんなのが何匹来たって負けないわ」
突き出した胸を拳で叩いて、ミラは鼻を高くする。ようやく安堵したのか、それ以降アリアは何も言わず、黙ってミラとカイの後についてきた。
それから洞穴をまっすぐに歩き続けること数十分――。突如三人の前に巨大な空洞とそれを埋め尽くさん勢いの巨大な塊が姿を現した。
空洞は横幅・高さともに数キロはある。これほど巨大な空洞があるとは三人のだれも想像していなかった。そして空洞の中央に金属の構造物がその巨体を横たえている。
全長は空洞とほぼ同じ。高さは二百メートル程だろうか。ミラが今まで見た物に例えるなら装甲艦が最も近い。
表面は新月の夜に似た漆黒に染められていた。二千年放置されていたにもかかわらず、金属らしい光沢は失われておらず、ランタンの光を反射している。
船体各部には巨大な回転翼が取り付けられており、これで推進力を生み出し、空を飛ぶのだろう。また自衛用の武装らしく、巨大な砲門が複数搭載されている。
驚異的な存在を前に三人はしばらく言葉を失っていたが、最初に口火を切ったのはカイであった。
「地下にこんな空間があったのも驚きだが、これがスカイギアかね。随分とあっさり見つかっちまって拍子抜けさね」
「何を期待していたんですかカイ?」
「罠とか」
「アリアは嫌です」
「冒険の浪漫ってやつさね」
「アリアには分りません」
「そうかい。まぁこれだけでも十分さね。浪漫ってやつには」
実在するかもわからない空想上の存在とされていた伝説の存在が眼前で眠っている。ミラは歓喜を堪え切れず、笑みが漏れてしまう。
「これほどとは思わなかったわ……これなら大丈夫。これなら目的を果たせるわ。これが私たちの国家となるのよ」
「でもミラ様、これどうやって地上に出すのですか?」
三人の中で最も冷静な反応をしたのはアリアであった。そして至極真っ当な疑問を呈する。そしてその問いに対する回答は一つしかない。
「ここを突き破るしかないわね」
「ミラ様!? そんなことしたら集落が!?」
「そうね。崩壊するわ。だけど彼等にはスカイギアに乗って国民になってもらうのだから問題はないわ」
「でも、みなさんが同意するかどうかは分かりませんよ? その場合はどうするんですか?」
「彼等は必ず乗ることを選ぶわ。ここにいたところで未来はない。そのことを一番理解しているのは彼等よ」
「それはそうかもしれませんが……でも帝国がアリアを狙っている以上、危険じゃ」
「危険を恐れるばかりでは前に進めないわ」
「だけど、王国や帝国に関して村の人たちに話しておくべきだと思います。今から戻って説明しませんか? それで改めて話し合いを――」
「父上の追手がいつ追いつくかもしれない状況なのよ。のんびりしている時間はないわ。どの道、彼等の意思は関係ない。乗らないというものがいたら脅してでも乗せる。私はやるわ」
「ミラ様!? そんなの勝手です!」
「ええ、勝手で結構だわ」
今のミラ・クーフィル・アザランドの目指す姿は、アザランド王国の先代女王ミーシャ・クーフィル・アザランド。
世界で最も美しく最も冷酷な女王と呼ばれたミーシャは、自国民に対して見せる慈母のような笑みから敬愛されたが、敵に向ける情け容赦のない冷笑は伝説の邪神よりも恐ろしいと評判だった。
幼い頃のミラは、溺愛と呼べるほどに可愛がられたが、母が部下へ指示する時に時折見せた灼熱と絶対零度を併せ持った瞳の色は今でも忘れられない。あれが為政者の瞳だ。あれが国家の君主というものだ。幼いながらにも、ミラはそう確信した。
「私の願いを彼等の意見次第で諦めろと言いたいの? アリア、たとえあなたの願いでもそれだけは聞けないわ」
アリアがどんな言葉を紡いだところでミラの信念は変わらない。変えてはいけない。それを一番理解しているのはアリアだろう。
十五年も一緒に居るのだ。ミラという人間のことを細部まで知り尽くしている。そうだとしても語りかけずにはいられないのだろう。声を上げずにはいられないのだろう。
「ミラ様変です! 元々変だったけど最近の変さは違います!」
母親にも父親にも似ていない能なし。王家きっての変わり者。取り柄と言えば容姿ぐらいで政略結婚の道具にするしか価値がない。周囲の心のない中傷と罵詈雑言を浴び続けても俯かずに胸を張って、己の信じた道を突き進む。そうあろうとしたミラの姿に、アリアが憧れてくれていたことは、よく知っている。
「今までのミラ様は人を傷つけたりしませんでした! なのに今は御父上である陛下を殴り、帝国に雇われた人たちを殺して……あなたの拳はそんなことのためにあったんですか!?」
ミラは蒼脈の才能に恵まれ、蒼脈師として研鑽を重ねてきた。修行を続けた結果いつしか騎士団所属の蒼脈師の大半を凌ぐ力を手に入れ、彼女に比肩する使い手はアザランド王国でも数えるほどしかいないと称される達人になった。
何故鍛えたか?
自分の大切なものを守るための拳だからだ。今が振るう時なのだ。たとえアリアに嫌悪されたとしても、全てはスカイギアを手に入れるために。アリアを救うために。
「この日のために鍛えた拳よ。ここが私の振るい所なのよ」
「あなたには王家の人間として民を守る義務があるはずです! 彼等とちゃんと話し合いをしてください! もしもスカイギアに乗らない。ここにいたいという人が出たらちゃんと言葉で説得してほしいんです。アリアにもここがいてはいけない場所なのは分かります。だけどアリアたちが全部決めるのはおかしいです! 平等じゃありません! 公平じゃありません!」
平等と公平は、為政者にとって諸刃の剣だ。活用次第では大衆を扇動する武器になるが、厳密に適用すれば一人でも反対者が居た時点であらゆる物事が動かなくなる。
大衆に与えるべきは偽りの平等と公平。平等だと公平だと民に錯覚させるのが重要で、本物の平等と公正を民に与えるのは、王としてあってはならない愚行である。
「平等と公平は大衆をこちらの意思の通りに動かすため、あくまで建前よ。それにね、私はもうアザランド王国の人間ではないわ。ただの反逆者よ」
「今でもあなたはアザランド王国の第一王女です! いい加減にしてください! ご自分の立場を忘れてはなりません!」
はらはらと涙の花弁が赤紫色の瞳から零れていく。大切な人の悲しむ姿は大嫌いだ。胸が締め付けられる。アリアの涙が見たかったわけじゃない。
「アリアの大好きなミラ様は……どこに行ってしまったんですか?」
ミラは、アリアを見つめない。顔も合わせない。決意を唯一揺らがせることのできる存在がいるとしたらアリアだけ。動じるな。母と同じ色の碧眼を保て。一切の感情を押し殺せ。
「……中を見るわよ」
「ミラ様! 待ってください! アリアの話はまだ!」
ミラはアリアの懇願を振り切るように跳躍。上甲板へ飛び乗った。
たまらず追いかけようとしたアリアだったが、カイが肩を掴んで制止する。
「姫様なりに考えあってのことさね」
カイは、いつでも最終的にはミラの味方をする。普段は軽口ばかりで異を唱えることも少なくない。しかし大事な局面になればなるほどミラの判断に忠実だ。どこまでもミラの意向に沿い続ける。カイ・アスカという男にはそういう一面があった。
「カイ……あなたはミラ様が正しいと思いますか? アリアのためだけにたくさんの人を犠牲にするミラ様のやり方が……」
答えは決まっている。聞くだけ無駄だとアリアは確信していた。それでも問わずにはいられなかった。自分の思いを信じていた。ミラの行いを非道だと感じる心は間違っていないのだと。
「姫様は正しくなんかないさね。間違ってるさね」
「……なら!」
「でもな」
カイは、アリアにそれ以上言わせなかった。
「あの人は、善悪の判断のつく人だ」
その声には、尊敬が染みついている。
「あの人が悪辣な道を敢えて通るというなら」
黒い瞳の奥底に、羨望の光を秘めている。
「悪鬼が如き所業をするというなら、そこには意味があるはずさね」
間違っていると分かっていても主に対して忠誠を尽くす。カイ・アスカにとってはこれが信念なのだろう。
「俺は、そこに賭けてみようと思う」
アリアとてミラを信じていなかったわけではない。しかしそれはアリアの知っているミラ・クーフィル・アザランドに関してだ。今一緒にいるミラは、かつてのアリアが知っているミラが見せてこなかった一面ばかり見せつけてくる。
信用したいのにできないもどかしさは、鋭利な苛立ちに姿を変え、その矛先がなおも忠誠を誓い続けるカイへと突き付けられた。
「カイのそれは盲信です」
「そうさね」
カイは、優しい笑みをほころばせた。笑顔の裏で彼は見抜いている。アリアが抱いているのは、ミラへの怒りばかりではない。ミラを信じられない自身への憤りと、どんな行いを目の当たりにしても信頼を揺らがせないカイへの嫉妬。そんな内心を見透かした笑みだった。
ミラとの付き合いは、アリアのほうが長いはずなのに、アリア以上にミラを知っているとでも言いたげなカイの振舞いが腹立たしくも羨ましい。
「盲信でもいいさね。それでも俺はそうすると自分に誓った。それが俺の信念さね」
カイと初めて出会った時、アリアの脳裏にある予感が過った。カイ・アスカは危険だと幼子ながら直感がささやいた。いつの日かきっとミラを奪われてしまう。アリアだけのお姫様でなくなってしまう。今でも時折不安に襲われながらも、心のどこかで諦めていた。
「ほれ」
手を差し出してくれる彼は、なんと素敵な男性なのだろう。ウィステリアの花のような穏やかな心と、賢者が如き賢さと、紫電と見紛う強さを併せ持つ。ミラが恋をしてしまっても不思議ではない。
「一緒に来ないと暗い洞窟で一人ぼっちになっちまうぞ」
彼の手を取って、安堵を覚えてしまう自分自身をアリアは酷く恥じた。
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