第16話「宴会」

 ミラの一撃によって爆散した霧蜘蛛の残骸を空中にいたままのカイは体幹のひねりを生かして姿勢を制御しつつ、全て躱して着地。すぐさまミラに駆け寄って、短剣を鼻先に突き付けた。


「人がかっこつけながら弱点突いて勝とうとしたのに、出番奪いますかね?」


 強敵を粉砕したのだから褒められてしかるべきだろう。ミラは威厳たっぷりに微笑むと、両腕を組んで鼻を鳴らした。


「見せ場は全部私のモノよ」

「あーそうかね。姫様かっこいい。かっこいい」

「誠意が感じられないわね」

「あんたの感度が低すぎるだけさね。こんなに尊敬してるってのに」

「かけらも敬意を感じないわ。きっと誰もが感じられないわ」


 ミラのジト目攻撃を避けるようにカイはしゃがみ、足元に転がっている霧蜘蛛の肉片を拾い上げた。紫色の肉片は繊維のような肉質で瑞々しい。鼻を近づけて匂いを嗅ぐと、カイの口角が吊り上がった。


「お、メスさね。食えるな」

「え、食べられるのこれ」


 どれだけ大きくても所詮は蜘蛛。お世辞にも食欲がそそられるとは言えない。


「オスはアンモニア臭がすごくて食えたもんじゃないんですがね。メスの肉はうまいですよ、鳥とカニの中間って感じの味で。肉には毒性もないですから毒抜きの手間もないですしね」

「どうしてあなたは縄だとか蜘蛛だとか、まともな食べ物から遠ざかるの? 太正国は世界でも有数の食文化を誇っているのに」

「ついでに甲殻も美品なら高く売れんですけどね。誰かさんがバラバラにしてくれたおかげで商品価値はゼロになっちまったさね。ここの人らも少しは潤ったろうに」

「うっ……まぁ食べられるならみんなで食べましょうか、私は食べないけど。みんなお腹が空いているでしょうし、私は食べないけど」


 それからミラとカイは村の男手を借りて、霧蜘蛛の亡骸を集めつつ毒袋などの危険部位を処理。料理自慢の女性たちに霧蜘蛛の可食部位の調理を任せた。

 最初は気味の悪い化け物だと言って、ミラと同じ反応していた村人たちだったが、新鮮な肉を食べられるという喜びのほうが最終的には勝ったらしい。テントの中にあったテーブルが全部外に運び出され、いつのまにか簡易的な宴会場が出来上がっていた。

 料理が完成を待つ間、手持ち無沙汰になった村人たちは、ミラに腕相撲を挑んでいた。言い出したのはミラである。自分に勝てたら有り金と食料を全部渡すという条件を提示した。

 霧蜘蛛の足を拳で破壊するような娘を相手に、蒼脈を使えない村の男たちが勝てるはずもないのだが、ミラはある条件を付けた。


「私は蒼脈法を使わないわ。頼るのは生来の腕力のみよ」


 蒼脈師と言えど、蒼脈法を使用していなければただの人間と何ら変わらない存在だ。仙法を完全に解除した状態なら小石をぶつけられただけで怪我をする見た目通りのか弱い少女になる。


「そういう条件なら……」

「王女様が蒼脈を使わないなら勝ち目はあるか?」

「俺乗った! ミラ殿下、俺はやりますよ!」


 村の男たちはミラの提案を受け入れ、村で一番立派なテーブルをリングにして腕相撲勝負を始めたのだが――。


「ほい」

「いでええええ!」


「ほい」

「ぎゃああああ!」


「ほい」

「ああああ!」


 腕力自慢の男たちが次々とミラにひねられていく。まるで象と勝負する赤子の様相だ。


「本当に蒼脈使ってないんですよね!?」

「なんて馬鹿力だ! 信じられん!」

「この王女どうなってんだ!?」


 絶望する男たちを尻目に、カイだけは気づいている。ミラが平然と約束を反故にし、ほんの少しだけ仙法を使っていることに。よほど手練れの蒼脈師でなければこのいかさまを見抜くのは不可能だろう。

 勝利を収めるためには手段を選ばない。思慮の浅い能なし姫という評判も自分を過小評価させるための意図した戦術。油断した相手を頭から丸のみにする大蛇のような気性だ。

 そこに速度を追求したカイとは正反対に、馬力を突き詰めた仙法による怪力まで加わるのだから始末に負えない。

 ミラと男たちの腕相撲対決で盛り上がっている最中、霧蜘蛛の調理が行われているテントからアリアが出てきた。


「ミラ様ったら、やんちゃさんですね」


 アリアが肩を竦めていると、調理用のテントから数人の女性たちがベコベコにへこんだ錆だらけの寸胴鍋を持って姿を現した。


「みんな料理できたよ!」

「おお! 待ってました!」


 甲殻類のスープに似たかぐわしい香りが風に乗ってミディア峡谷に立ち込めていく。まともな食事は久方ぶりなのだろう、百名前後いる村人たちをどよめきと期待感が支配していた。

 先程までミラと村の男たちが腕相撲をしていたテーブルの上に寸胴鍋が置かれる。中にはカイが提供した特別製の味噌玉で味付けされた霧蜘蛛の身がぎっしりと詰まっており、白黒の甲殻は茹でた海老のように真っ赤に染まっていた。


「さぁどんどん食べておくれ!」


 調理を担当した村の女の一人が言うや、木皿を手にした村人たちが一斉に寸胴鍋に群がった。


「おおこりゃうまそうだ!」

「いつもより豪勢だぜ!」


 イズも霧蜘蛛に食われた恐怖はすっかり忘れているらしく、嬉々として寸胴鍋から変わり果てた姿となった天敵の残骸を皿に乗せている。


「命まで救ってもらった上に飯まで! 本当にありがとう! 美味そうだなー。頂きます!」


 村人たちは霧蜘蛛の煮込みを我先にと頬張った。数日の間、獲物にありつけずにいた猛獣が死肉に群がるようである。そんな村人の様子を調理担当の女性たちは微笑ましげに眺めていた。


「今日の料理はアリアさんも手伝ってくれたんだよ。いやーすごい手際の良さでびっくりしたよ」


 はにかんだアリアは、細い指をいじいじと絡ませている。


「そうアリアが……アリアが!?」

「まずいさね! みんな食うな!」


 ミラとカイの制止も間に合わず村の男たちは料理に手を付けてしまった。

 男たちは一体何を騒いでいるのかと怪訝な顔をしている。

 しばし流れる静寂の時。最初に異変が起こったのはイズであった。


「……ぎゃあああ! 臓腑が腐る感じがする!?」


 腹を両手で抱え、狂乱のまま地面を転がり回った。硫酸を飲み干したような暴れ方に村人たちの注目が集まる。

事態はこれだけでは終わらない。イズの急変を皮切りに、村人たちに異常が広がっていく。


「なんだこれ!? なんだ!? 目が痛い!? 目が痛い!?」


 ある者は、目を押さえてもがき苦しみ。


「舌から煙が出てるんですけどお!?」


 またある者は、舌から白煙を立ち昇らせながら気を失った。


「こっちは喉の奥からふつふつって音してる!? これ喉溶けてない!?」


 そして村長は、尻を押さえて滝のような汗を全身から吹き出している。


「尻が! 尻が!? 尻があああああああああああああ!」


 やがて尻の辺りから湿った音が響き、峡谷へ木霊した。


「さすがアリアの料理さね。下手な戦略兵器よりも強いさね」

「アリア、あなたって子はいけない子だわ。カイ、薬と治療の用意を」

「つ、ついみなさんの料理している姿を見ていたら、いてもたってもいられずに……」


 すっかり落ち込んでしまったアリアの姿を一緒に調理を担当していた村の女も不思議そうに眺めている。


「アリアさん手際は完ぺきだったのに、どうしてこんなことが。妙なこともあるもんだ」

「やっぱり蜘蛛の肉って食べられないんじゃないかしらね……」


 楽しいはずの宴会は阿鼻叫喚のるつぼと化し、カイとミラは村人たちに治療に追われることとなった。

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