第13話「取引」

「あなた方は、誰の目にも入らない雑草……と思い込んでいるだけですわ」


 ミラの挑発的な物言いに、村長の顔色が曇った。


「……なに?」


 ミラは、地面に生えている雷切草を指差した。


「あなた方が食べられもしないと見向きもしていなかったあの雷切草。私の友人にとっては金塊よりも価値があるようです」

「何が言いたい?」

「物事は見方次第ということです。自分を卑下している人間に好機は訪れませんよ」

「貴様のような小娘に何がわかる!」


 村長が声を荒げても、村人たちの気配が研ぎ澄まされてもミラは変わらない。いつも通りの小生意気な少女のまま立っている。


「あなた方とはものの見方が違う。それだけです。実は遺跡の発掘調査なんて嘘だし、食糧が欲しいというのも嘘よ。私はミラ・クーフィル・アザランド。アザランド王国の第一王女よ」


 ミラの告白に村人たちは目を丸くしている。さらに驚愕で支配されているのはミラの唐突な計画変更を受け入れられていないカイとアリアだ。


「姫様、あんた俺の苦労を……」


 憮然としたカイの視線を受け流して、ミラは続ける。村人たちは呆然としているばかりで響いていない。ここはもう一歩踏み込んだ方がいい。


「もう一度言うわ。私は、ミラ・クーフィル・アザランド。この国の第一王女よ」


 追い打ちを受けて村人たちの目の色が変わった。侮蔑。憎悪。嫌悪。憤怒。郷愁。あらゆる負の感情が煮詰まり、湯気を放っている。


「お前があの能なし姫か!?」

「贅沢三昧のあほがなんでここに!」

「いや、あの能なし姫がこんな場所に来るはずが!」

「でも、先代のミーシャ女王によく似ているわ……」

「じゃあ本物?」

「いや! 俺たちをからかっているんだ!」

「そうだ! 何を適当なことを!」

「証拠を見せなさい!」


 権力という札の切り方。使い道。父ならば必ずこの場面で見せる。


「いいわよ。これが証拠よ」


 ミラは、上着の左肩に巻かれた白いバンダナを取り去り、アザランド王家の紋章が白日の下に姿を現した。


「それは……その紋章は!」

「アザランド王家の紋章……」

「ま、まさか本当にミラ王女?」

「あの能なしと有名な?」


 王家の人間以外、衣服に刻むことを許されない王家の紋章。そして先代のミーシャ女王と似た面差し。大分揺さぶれたが、まだ村人たちは半信半疑。しかしここが押し所。ミラにとって村人の存在は、使い道がある。利用できる。


「何故私がここにいるのか、理由は一つ。私は、アザランド王国に反逆した国賊よ」


 村人たちは息を飲み、沈黙を守った。


「我が父ジャン・クーフィル・アザランドの横暴は、あまりに目に余るわ。そんな父上の手中にある祖国を蔑み、帝国を憎んでいるのよ。あなた方は王国に住んでいた者もいれば帝国に住んでいた者もいる。けれど国王は、帝王は、あなたたちに何かしてくれたかしら?」


 彼等の欲求を揺さぶる。彼等が被害者であることを強調する。思想をミラに有利な方向へ誘い、離さない。


「私は、あなたたちに復讐の機会を与えるわ」


 母ならここで言う。とどめの一言を。


「そのために私が作る新しい国の民としてあなた方を迎え入れるわ」


 相手がもっと欲しいもの。必要としているもの。見抜いて適度に与えろ。それが為政者の基本だ。


「お、俺たちの国?」

「新しい国……」

「私たちの居場所……」


 詭弁でもいい。畳みかけろ。思考の余地を与えるな。


「一つの国が覇権を握ると世界は硬直し、腐敗するのよ。多様な考えがあってこそ、様々な国の有様を認め合うからこそ、人は営んでいける」


 ミラの母と父が彼等の居場所を奪ってしまったのも事実。それに対する贖罪の気持ちがないわけではない。だからこそミラの利益に最大限誘導しつつ、彼等にも対価を与える。


「宗教・思想・民族。戦争の火種であることは間違いないわ。だけど、一つの国が一つの国の思想をもって世界を牛耳ることもまた悪なのよ!」


 耳心地のよい言葉。現実味のある絵空事。本質はどうあれ、中身が伴っているかのように聞こえる理想論。


「私は大国の独善的な支配から抜け出すために、世界のバランスを変えるために新しい国を作る!」


 国家という単位の形成には国民が必要となる。今ここにあるのだ。行き場のない民が。国を欲する民が。彼等の欲求を満たしつつ、ミラの野望の糧となってもらう。


「だから諸君らに手を貸してほしい! 帝国には鉄槌を! 王国にも鉄槌を!」


 響き渡る声。力強い残響。浸透する思想。揺れ動く感情。靡きつつある、ミラの演説に。


「だ、だけど大国二つを相手に……」

「そうだ……そんなの無茶苦茶だ!」

「反逆したとか言ってるが、あんたは王族だ! 王国に捕まってもどうにもならんだろうが、俺たちは!」

「そうよ! 私たちのような貧民は何をされるか」


 不安は解消しろ。抱く余地を与えるな。


「心配ないわ。このミディア峡谷にはスカイギアがあるのよ」

「スカイギア!?」

「あ、あんなの、おとぎ話だろ!」

「いいえ。実在するわ。アザランド王家には代々伝わっているのよ。スカイギアの実在を示す証拠が。それがこの地図よ!」


 懐に忍ばせていた地図を掲げる。


「この地図は先代女王ミーシャ・クーフィル・アザランドが私に残した物! この地図に導かれて私はここへ来たのよ。私は母上が残したスカイギアを私の国とします! そしてあなたたちをわが国家の民として迎え入れる準備もあります! そこでは貴族や蒼脈師が優遇されない! みんな平等よ!」


 平等。世界で最も民草が欲する言葉。為政者の切り札。人心掌握を仕上げる魔法。


「貴族と貧民は存在しない! 平民しか存在しない国家! それが私の創る私の国家よ!」


 ここで与えるのだ、選択肢を。


「でも強制じゃないわ。来る者は拒まないし、去る者も追わない。何故なら私の創る国は平等だからよ。私の国民になるか、ならないか。あなた方の意思にお任せします」


 もしも本当に乗りたくないと訴える者がいたらスカイギアには乗せない。これは真実だ。

 しかし誰一人乗りたくないなどと口にしないのをミラは分かっていた。実は、最初から彼等に選択肢はない。だが選択肢があると誤認させること、これが公平感を生む。

 公平感は依存性の極めて高い危険な蜜だ。一度味わうと抜け出せない。まして相手は、これまで公平に扱われた経験のない者。不当な扱いを受けた者。一度味わえば抜け出せない。病みつきになる。毒であるとも理解できず、依存してもう二度と手放せなくなる。


「考える猶予はそうね……明日の朝までよ。それまでに私たちはスカイギアを見つけるわ。明日の朝までに考えておいてちょうだい」


 ざわつく村人たち。しかし耳に入ってくる声は――。


「悪い話じゃ……ないんじゃ」

「だが王族の提案なんて……」

「でも、ここにいるよりは」

「そうね。ここにいたって……」

「でもスカイギアなんて本当にあるのかよ?」

「まぁ洞穴とかあるから地下になら……」

「確か子供たちが入って危ないから塞いだのがあったな……」

「いや、でもあんなところに」

「でも奥には誰も入ってないし、結構続いてるのかもしれないな」


 賛否分かれる状況を作り出せれば及第点。人心掌握、ひとまずの成功を見たと言っていい。

 おまけに興味深い情報も手に入った。洞穴。探してみる価値はある。ここまでくればあとはもう一押しだ。


「さてあなた方がどう判断するかひとまず置いておいて、金塊よりも価値のある雷切草をタダで頂戴するわけにはいきませんわね。あなた方にとって価値のある物と交換といきましょう。カイ、あなたの出番よ」


 ミラはカイを見やって、こくりと頷いた。その瞬間、カイはミラの真意を悟ったようだ。彼が懐に手を入れて緑色に輝く薬液の入った小瓶を取り出した瞬間、村長は物乞いのように手を伸ばした。


「そ、それは!?」

「だいぶ怪我が長引いているのもいるらしいさね。俺は薬学師でね。一通りの治療はできる」


 村人たちの古傷は決して浅くない。戦火に追われて逃げ延びた道中。まともな治療は受けられなかっただろう。さらにミディア峡谷に揺蕩う龍の毒が一層傷の回復を阻害しているとも考えられる。二千前の残り香であっても龍によってもたらされた威力は、真綿で首を絞めるように命の息吹を蝕んでいく。


「だが……しかし」


 村長は揺れている。食べ物以上に求めていたものが手の届く距離にある。だからこそカイは自ら動かない。じっと待ち、機会をうかがう。カイの待ち望んでいた好機を提供したのはイズだった。


「村長! 薬分けてもらおう!」

「馬鹿を言え! 王家の人間なんぞ信用できんわい! あとでどんな要求をされるか」


 村長の言葉は、ミラが望んだとおりの台詞だ。こういう台詞を待っていた。こういう感情を待望していた。


「いらんさね」


 カイの打った次なる一手に、村長は訝しげに首をひねった。


「なんだと?」

「姫様が言ってたさね。この草は俺にとって黄金よりも価値があると。これ以上なにか貰っちまったらバチが当たっちまうさね」


 上手い台詞である。ミラの策略に気づき、念押しを手伝ってくれた。


「……ミラ殿下の仰る雑草の価値というやつか」

「村長、意地張るのはよそうぜ」


 さらにイズが村長に畳みかけると、村長は鼻から大きく息を吹き出し、渋々と頷いた。


「……そうだな。すまんが分けてもらえませぬか?」

「ああ。子供たちが優先だ。あのテントを借りるがいいかね?」


 カイが指差したのは一番綺麗なテントだ。きれいと言っても比較の問題で実際には所々が破れたり、すり切れている。


「構いません。好きに使ってください」


 テントの中にあるのは簡素な木製のベッドと綿の飛び出した薄汚れたベッドマットだけ。衛生的とは言えないが、彼等にこれ以上の設備を求めるのも酷だろう。

 簡易的な診療所が開設され、村人たちが入れ替わり立ち代わり、出入りする。治療と言ってもあくまでも応急処置の域を出ない。

 治癒の魔法薬や治癒魔法は、どんな傷でも治せる万能薬ではない。治療対象が蒼脈師であれば、患者の蒼脈を治癒薬や治癒魔法の効果で、治癒系魔力に変換して内と外から治癒することで重傷にも対応できるが、蒼脈を持たない人間相手では生来の自然治癒力を高めるのがせいぜいだ。

 大抵の者には傷薬と龍の残した毒素対策に解毒剤を処方する。中には手遅れの者も数名おり、彼等にはより強い鎮静剤を処方した。もうじき訪れる最期を少しでも安らかに迎えられるように。薬学師にできるのはそこまでだ。

 ミラとアリアもカイの助手として、できる限りの手伝いをする。傷薬を塗った患部になるべく清潔な布を巻いたり、手足のないものを介助したり。


「ミラ様、それはアリアが」


 ミラが使用済みの汚れた包帯を片付けようとしたとき、アリアの手が制した。しかしミラはふわりとアリアの手を躱し、赤黒い嫉妬の炎を瞳に宿した。


「さっきだけど、カイにお姫様抱っこされて嬉しそうだったわね?」


 ミラの眼光がカイの後頭部をチクチクと突き刺した。だがカイは気にも留めず治療に専念して受け流したので、ミラの照準はアリア一人を狙いすました。


「そんなにカイが好きなのかしら? あなたには私というものがあるのに……」


 わざとらしくむくれるミラに、アリアは遠い昔の日々を愛でるかのように顔をほころばせた。


「子供の頃を思い出していたんです」


 どれのことを言っているのだろう?

 包帯をまとめつつ思案にふけったミラが答えに辿り着いたのは、数秒ほど経過してからだった。


「ああ、あれね。カイが勇者で私が魔王役であなたがお姫様のあれかしら?」

「はい。アリアがお姫様役でカイが助けに来てくれるあれです。何故かミラは魔王役をやりたがりましたよね」

「そして必ず私が勝利したわ」

「ミラ様がそういう脚本を書くからですよ」


 三人は身分の差があれど幼馴染の関係。周囲の目も身分の差も気にしないミラに付き合わされて、カイとアリアは様々な遊びをさせられた。中でもミラのお気に入りの一つが勇者と魔王ごっこだ。

 カイが勇者を務め、アリアがお姫様。ミラはいつも魔王の役をやってアリアをさらい、勇者のカイが助けに行くという台本だ。

 だが、勝つのは必ず魔王役のミラで勇者のカイはコテンパンにやられて、魔王とお姫様が幸せに暮らしましたとさ、で締めくくられる。

 ふと蘇った懐かしさにミラは破顔したが、すぐさまそれは自嘲の色に変化した。


「私にはお似合いだと思わない? 私みたいな人間にはね」


 何について話しているのか、見当がついたのだろう。アリアは、ミラから逃れるように顔を伏せた。


「……いえ。思いません」

「そう? この前私がしたことをまだ気にしているでしょう?」

「……それは……あの」

「ちょうどいいのよ。私には魔王が。身勝手でワガママな魔王が」


 ミラは自らを嘲り続け、アリアはミラの瞳を見られない。幼い頃から小さないさかいを起こすことはあったけれど、決定的な壁が出来たのは二人にとって初めての経験である。故に分からない。乗り越え方。克服の仕方。

 カイも治療に専念する振りをして教えてくれない。二人が自分たちで和解の道を探る以外に最善はないと知っているのだろう。

 最初に意を決したのはアリアだった。包帯を片付ける手を止め、自身の赤い瞳にミラの蒼を映した。


「ミラ様……アリアは……」


 アリアの頬が紅潮していく。肩で息をして、瞳の焦点が定まっていない。


「アリア大丈夫?」


 ミラがアリアの額に触れると、まるで焼けた鉄でも触っているのかと錯覚する熱が掌に伝わってくる。


「こ、これって……すごい熱があるわ!」

「あれ、なんででしょう――」


 ふらふらと左右に揺れながらアリアは支えを失ったように脱力する。倒れそうになるアリアを咄嗟に抱き留めたミラだったが、それ以上自分にできることがないとすぐに悟った。


「カイ、アリアが……なんとかしてちょうだい! アリアが! アリアが!」


 甘ったれた子供のように、泣きわめいてカイにすがる以外、何もできなかった。

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