第12話「集落」

 安全確認もせず、謎の集落に向かって飛び降りる。

 このミラの行動はさすがに想定できなかったのかカイは崖の上で呆然とし、アリアは狼狽しながら地団太を踏んだ。


「ミラ様! 思い切り良すぎです!」


 頭上で二人が戸惑っている間にミラは集落に着地した。最初は硬直していた集落の住人たちだったが、やがてミラの元へ集まっていく。


「あのバカ姫は……決断力のない主君も困るが、あれはあれで頭が痛いさね。ったく……アリア、俺たちもここから行くぞ」

「は、はい!」


 カイは、アリアを横抱きにすると崖から飛び降り、ミラの右隣に着地した。瞬間、ミラを警戒していた人々の視線が一斉にカイとアリアへも向けられる。

 敵意はない。殺意も見られない。あるのは困惑と恐怖。手練れの蒼脈師であれば自身の感情を隠すのも容易いが、これだけの人数、まして子供も含めて全員が気配を隠せる達人とは考えにくい。

 少なくとも蒼脈師である可能性は低い。全員から蒼脈の気配が香ってこないのだ。蒼脈を持たないただの人々。それはそれで不気味だ。こんな場所で何をしているのか。目的は何なのか。

 カイは、抱きかかえていたアリアを下して右腕を腰に回した。いつでも短剣を抜き放ち、戦闘態勢を整えられるように。これはあくまで念のためであることをミラは悟っていた。恐らく彼等は敵ではない。

 ミラにとって最大の問題は、カイに抱えられていたアリアの頬が熟れた桃の色に染まっていることだ。


「カイ、ありがとうございます」

「気にするな」


 カイのほうもまんざらでない様子で、まるで恋人同士のようなお似合いの二人を見ているとむかっ腹が立ってくる。


「なによ。デレデレしちゃって」


 カイとアリアが仲良くすると、仲間外れにされた気がして、ついへそを曲げたくなる。こういう時、カイは心底楽しそうにミラをからかってくるのだ。


「やきもちですか?」

「違うわよ。おバカ」


 これ以上からかうなら、アザランド城まで殴り飛ばしてやる。念の籠った瞳に、身の危険を察知したのかカイは、口をつぐんで改めて集落の人々に目を向けた。ミラもつられて集落の人々を見やる。警戒心の色は濃いが、同時に怯えも混じっていた。

 やがて一人の青年が集団の中から一歩踏み出して、カイたちと対峙するように向かい合った。


「お、俺はイズ。あ、あんたらなんだ?」


 震える声でイズと名乗った青年は言った。身なりをちゃんとすれば相応に女性受けしそうな容姿だが、埃とフケで輝きを失った金髪とすり切れたシャツやズボンが魅力を大きく削いでいる。

 蒼脈の気配はない。恐らくは何の力も持たない常人だ。崖から飛び降りても意にも介さないミラとカイを見れば二人が蒼脈師であるのは理解しているはず。それでも前に出てくる勇気は、並の精神力では振り絞れない。精神面での強さは誰にも負けないだろう。尊敬に値する人間だ。


「もう一度聞く。あんたらなんだ?」


 ここで彼等の不信を買うのだけはまずい。


「私たちは怪しい者ではありません!」


 カイは、珍獣でも見るような顔つきでミラを見つめた。


「一番言っちゃいけない言葉をピンポイントで選択するのやめてください。まじで」

「……じゃあ怪しい者です!」

「あんた墓穴掘らせると残念な気持ちになるぐらいの天才さね」

「じゃあカイ、いったい私に何を言えと!?」

「少なくともあんたが口走ったの以外に、適当なのがいくらでもあるでしょうが」


 こういう時、率先してミラのフォローに回るのはアリアの役目だ。


「アリアたちは訳あってここにいますが、全く怪しくありません! 隠し事とか一切ないです!」


 そして必ずさらなる状況の悪化を招くアリアのしりぬぐいをするのがカイの役目だ。

 集落の人々の不信感を払拭するには、懇切丁寧な説得では物足りない。徹底的な力技で強引にこちらの誤魔化しを飲み込ませる必要があるだろう。その辺はカイが何とかしてくれる。ミラは余計な口を挟まないように唇を強く結んだ。

 ミラに解決を丸投げされたことを悟ったのか、カイは飢えた獣のような形相でミラを一睨みしてから集落の人々に向き直った。


「我々は遺跡調査をしている者さね。この辺りは二千年前、旧文明が邪神と戦った跡地でね。我々は、その発掘調査に来たのさね。けど、ここまでの道中が長くて、食糧がなくなっちまってそれで分けてもらえないか、と思ってここに」


 即興で考えた割にカイの説明には一定の筋が通っている。細かく掘り下げられたら口八丁で誤魔化すしかないだろうが、その辺りもカイなら問題はないはずだ。

 身構えているカイとは対照的に、イズを筆頭に集落の人々は顔を見合わせるばかりだ。

 しばらく沈黙が流れた後、集落の中で最も年配の男性が渋い目つきでカイを見据えた。


「私はこの村の長だ。ここも苦しい。すまんが分けられるものはない」


 見える範囲に畑もなければ自生した野菜や果実もない。あるのはギザギザの葉が特徴的な白い草だ。これだけは地面のあちらこちらから威勢良く伸びている。


「見ての通り、村とは名ばかりの集落よ。一年ほど前、皆が流れ着いて細々と暮らしておる。だが異様なまでにやせた土地。食べるものを育てようにも育たん。あの雑草以外には――」


 村長の話は、カイの耳に入っていない。興味はギザギザ葉の白い草の一点に注がれており、カイは猫のような身のこなしで地面に生える草に飛び掛かった。


「おお! 雷切草がこんなに! 手持ちの分じゃ足りるか不安だったさね。こいつら育てるの難しい。土の掃除人とも言われてて、一定の毒素がなきゃ育たない。なるほど……ここだけが奇跡的にこいつらの生育に適した環境になってるようさね。こりゃ、じゃんじゃん採れとの思し召しだ。なぁあんたら。これ貰ってもいいかね?」


 世界一珍しい昆虫を発見した少年のように、カイの目は煌々と光り輝いている。その熱意に圧されたのか、村長は引き気味に頷いた。


「か、構わんよ。食べられないし、触るとビリビリするから誰も触りたがらなくて放置されてたんだ。採ってくれるならありがたい……」

「アリア背嚢くれんかね? この一帯を根絶やしにしてやるさね」

「は、はい!」


 カイに言われるままアリアは背嚢を背中から降ろして駆け寄った。

 二人の様子を横目に見ながらミラは、村人たちの様子を確認していた。衣服の虫食い穴から体に巻かれた茶色く汚れた包帯が覗き見える。

 そればかりか片目や片耳、さらには手足のない者も珍しくない。五体満足なものは半数も居ないだろうか。負傷者が龍の毒に汚染されている場所にいる理由。ミラはそれとなく見当を付けていた。


「あなた方は王国民? それとも帝国民?」


 ミラの問いかけに、村長は苦々し気に顔を背けた。


「……その両方だ。ちょうど半々ぐらいだろう」


 アザランド王国とドラグヴァン帝国の民が肩を寄せ合い、辺鄙な場所に暮らしている。この状況を生んだ要因は一つしか考えられない。


「戦争ですか?」


 本来敵国の民は互いに憎悪を抱いている。それが共にあるということは、つまるところ共通の憎悪を抱く相手がいる証明。敵国だけでなく自国すらも恨んでいる証だ。

 アザランド王国とドラグヴァン帝国、双方を憎悪するからこそ本来交わるはずのない民同士が一つ所にいる。そして彼等がそれぞれの祖国を憎み、捨てた理由にも大体の見当はついた。


「わしらは国境付近に住んでいてな。戦争が始まる前から互いに争っていた。しかし戦争が始まって全て変わった。戦争は国境付近の民草を犠牲にする。我らの存在などまるでいなかったかのように」


 国境に暮らすのは貧しい民だ。貧しいために収める税の額も少なく、教育も行き届いてはいない。蒼脈の才能がある者は都会へ招かれる。彼等は貧困を脱するため故郷を去っていく。国境付近に住まう民は、国にとって何の価値もない出がらしのようなものだった。

 国家間による戦争は、為政者と富裕層が焚き付ける。いつだって踏みつけにされるのは貧しい者だ。そして犠牲には目もくれず、勝利を追求してさらなる戦火へ邁進する。

 欲望の車輪は前にしか進めない。後退のための歯車は意図的に外されている。車輪の下敷きにされた民草など眼中になく、怨嗟の声も耳には届かない。潰れて伸ばされた血肉が車輪を赤く染めるだけだ。

 村長は、恨めし気に両の拳を握りしめて地面に転がる小石を見つめた。


「投げて武器にできる分、石ころの方が価値があるとでも言わんばかりにな。蒼脈を持たずに生まれた我らに価値はない。後天的に身に着けられると言っても、あれも尋常ではない努力がなければならん。力も金も学もない我らは同士よ。国に見捨てられた同士よ。そして我らがいることを許されたのは、この忘れ去られ、捨て置かれた大地のみ」


 村人たちに残されたのは諦観だけ。それ以外の感情は故郷に捨て置いた。国家のため、犠牲にされた民が目の前にいる。ミラは軍を率いていたわけでも戦争を命じたわけでもない。だが、そう仕向けた者の血を受け継いでいるのも逃れようのない真実だ。

 カイは草をむしりながら静観を決め込んでいる。ミラが豪勢な食事に舌鼓を打っている間、彼等は草の根すらかじれなかった。そんなミラが彼等にどのような言葉を投げかけるのか、試しているようだ。


 ――彼等の境遇。私には好都合だわ。


 ミラは内心ほくそ笑みながら形の良い唇を開いた。

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