第8話「カイ・アスカ」
それは九年前。カイ・アスカが十二歳の頃――。
「カイよ。お前に栄誉ある任務を言い渡す。この任務を達成した暁には、お前は狼牙隊の英雄たちに匹敵する偉大な存在となるであろう」
育ての父からそう告げられた。太正国で狼牙隊の名は、この国で暮らす蒼脈師にとって最高の栄誉だ。
「素晴らしいことだ。この任務を果たした暁にはお前は英雄として天に迎え入れられる」
「なんたる誉。死を恐れるなカイ」
「死してでも己が使命を果たすのだぞ」
忍の里の人々も挙ってカイを祝福した。死にゆく者を笑顔で称える。忍の里でありふれた日常。カイにとって、それは心を殺す言葉の刃だ。弟同然に育った者すら例外ではない。
「すごいよカイ! その年でこんなに大きいな任務を任されるなんて」
五歳年下の少年ロクは、満面の笑みでカイに抱き着いてきた。
「すごいよ! さすが僕の憧れるカイだよ! 大好きだよカイ!」
カイはロクを突き放した。反吐が出そうだった。
「……お前、任務の意味が分かってるのかね?」
「当たり前だよ? こんな栄誉は他にないんだよ! 武勲を立てて死ねば龍の元に迎えられるんだ!」
ロクは、嬉々として太正国に伝わるおとぎ話を口にした。子供でも信じる者はそうそういない戯言だ。
「それはおとぎ話さね……」
「安心して死んでいいんだよカイ。僕も早く立派になってカイが寂しくないように武勲を立てて死ぬからね。そしたらずっと龍の元で一緒だよ? ねぇ聞いてるカイ? ねぇ? ねぇ?」
弟のように思っていた。兄弟同然に育てられた。けれど所詮は、家族じゃなかった。ロクが欲しかったのは依存する相手で愛情を分かち合う相手ではない。
――俺に家族はいないのさね……。
初めてアザランド城に入った日のことは今でも忘れられない。大国の王城が持つ特有の高貴さと剛毅さを併せ持つ雰囲気に竦んでしまい、一歩一歩中庭の石畳を踏みしめる度、心臓に錆びた釘を打ち込まれるようだった。
太正国の故郷を離れ、アザランド王国に来たのは、カイの優れた薬学の知識と腕前が故である。
太正国は、アザランド王国・ドラグヴァン帝国双方と国交を持っており、表向きには両国の融和を取り図る平和主義な国。裏では両国によい顔を見せようとする風見鶏と揶揄されていた。
カイがアザランド王国に来させられたのも、そういう風見鶏な一面の影響が大きい。孤児が生きていくには風見鶏な大人たちの機嫌を伺い、一つしかない命をやりくりするしかなかった。
顔も知らない両親が残してくれたものは二つだけ。父親からは先天的に蒼脈を持たない体質を。母親からは質の良い短剣を。育ての父がそう教えてくれた。
たった二つの贈り物を抱えてカイはこれまで生きてきた。成果を上げ、優秀だと誰もが認めた。優秀であるがため、ここへ送られた。
面倒を見てくれるという先輩薬学師は緊張をほぐすためにも中庭を好きなように見てきなさいと言われて来てみたが、ほぐれるどころの騒ぎではない。
下手な所に外国人のカイが足を踏み入れたら衛兵に首をはねられても文句は言えまい。
びくついた犬のようにとぼとぼと中庭を歩いていると、植物がうっそうと生い茂る花壇が視界に飛び込んできた。
「これは……」
カイの緊張は、心中に舞い込んだ好奇心の風により吹き飛んだ。太正国では貴重な薬草が雑草とでも言わんばかりに並んでいる。本でしか見たことのない薬草も数多く植えられていた。
興味のない人間からすればブラストエッジ用魔法薬の合成に使うミシリア雪花とブラストスピアの合成に使うユシリアの綿毛の区別なんかつかないだろう。けれどここにある草花の一つ一つがカイにとっては巨大な金塊よりも価値のある宝だった。
故郷を離れた郷愁などもはやない。ここで草花を見つめているだけでも有意義な時間になる。
カイは、四つん這いになって花壇の薬草を凝視していたが、あまりに集中しすぎたせいで近づいてくる二人の足音に気づかなかった。
「あなた、すごい顔をしてるわね」
陽だまりのような音色の声がカイの左耳を優しく揺らす。首を横に振ると、美しい少女はまるで新しいおもちゃを見るような目つきでカイのことを見つめていた。
「私はミラ・クーフィル・アザランド」
そう言って立ち上がったミラは、背後に隠れているメイド服姿の少女の背中を押した。
「この子はアリアよ。ほらアリア、ご挨拶して」
「アリア……です。はじめまして……」
アリアは、しょぼしょぼと口を動かすとカイの返答を待たず、ミラの背中に隠れてしまった。お世辞にも愛想がよいとは言えないが、あいさつされたら返すのが礼儀。まして相手は王族とその専属メイド。他国から来た薬学師風情とは身分が違う。
「太正国より参りましたカイ・アスカです。薬学師としてこちらの王城に勤めることとなりました。よろしくお願い申し上げます」
深々と一礼して顔を上げると、すぐ目の前にミラの顔があった。
「薬学師ね……嘘つき」
そしてミラは、アリアを姉のようなまなざしで一瞥してからカイの耳元で囁く。
「あなた、私を殺しに来た暗殺者でしょ? 忍の里から送り込まれた」
その一言にぞっとさせられた。
完全に心の奥底を見抜かれている。天性の感覚か、あるいは王家としての才覚か。いずれにせよカイ・アスカに許されたのはミラ・クーフィル・アザランドに跪くこと。
人間としての格がまるで違う。器が違うのだ。カイのそれを質の悪い漆茶碗とするならミラのそれは絢爛豪華な宝石で飾られた巨大な黄金の杯。
圧倒されてしまった。この人を手にかけるなんてできるはずがない。遠くない将来、確実に世界の在り方を変える人。これほどの大器を自らの手で壊してしまえるほど、カイ・アスカは自惚れた人間ではない。
「カイ、跪かなくていいわ。立ちなさい」
言われるままにカイは立ち上がった。
「こっちを見なさい」
言われるままにカイは見つめた。
「あなたがそうなのね。一目でわかったわ。私にとって必要な人。いずれ私が成すべきことを助けてくれる人ね」
彼女がそうだと一目で分かった。この方こそがカイ・アスカの仕えるべき主君であると。そう、心が叫んでいた。
「成すべきこと……ですか?」
「ええ、それはアリアを――」
カイの耳元でミラは伝える。とても大事なこと。これからカイが成さなければならないこと。
「私は、そんな未来を……世界を壊してでも食い止めてみせる。そう決意した私とあなたが出会った。この出会いは運命だと私は思うわ。だから私の手を取りなさい。あなたとはいい関係を築ける」
桜の花びらのような爪に彩られた可憐な手がカイに差し出された。カイはうやうやしく手を取り、まっさらな手の甲に口づけをした。
「そんな予感がするわ」
そして直感する。己の君主に抱いてはならない感情が火種のように燻り出してしまっていることに。だって彼女はこれまで出会った誰よりも美しく気高い人だったから。
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