第6話「強襲」

 さらさらと風のこすれ合う音色がミラたちの鼓膜を揺らし、居心地の悪い圧迫感が頭上から豪雨のように降り注いだ。

 仰ぎ見ると樹上から落下してくる影が二つ。頭巾で顔を隠しているが両名とも気配が若い。一人はやせ形でもう一人はがっしりした体格をしており、漆黒の身軽な服装に身を包み、質の良い直剣を手にしている。

 彼等が一直線に急降下して目指す先にいるのは敵襲に毛ほども気付いていないアリアだった。

 二人の襲撃者がアリアに触れる寸前、稲光のような身のこなしでミラが割って入る。

 上着の両ポケットから手甲を取り出してはめると同時に、ミラの左右の拳が同時に放たれた。

 二人の襲撃者は剣で受け流そうとするも上体が大きくねじれた。ミラの圧倒的な膂力を受け流すのは至難の業。上半身と下半身がねじ切れなかっただけ、両名の手練れっぷりを称賛すべき場面だ。


「やるわね。だけど!」


 強敵であろうと上から叩いて潰す。痩せた襲撃者に狙いを絞り、左右の大砲を交互に繰り出しながらミラは前進した。

 痩せた襲撃者は剣で拳をさばこうとするが一撃一撃で体勢が大きく崩れ、振り子のようになっている。

 これで一人は抑えた。問題は、もう一人のがっしりした襲撃者。


「カイ! アリアを守りなさい!」


 突然の事態におろおろと足踏みするばかりのアリアを庇うようにカイが立ち、もう一人の敵であるがっしりした男を見据えた。


「アリアよりもミラ様を!」

「姫様の命令に背くと後が怖いからな。念を押すけど動くなよ」

「は、はい」


 カイは砥汁ガエルの粘液でまみれた左手を懐に入れて、小瓶を取り出した。大人の男の手なら一度に三~四個握り込めそうなサイズだ。中には紫色に輝く粘性の高い液体が入っている。

 襲撃者は、どっしりと腰を落とした重い構えだ。立ち姿だけで相当の達人であることが窺い知れる。こういう手合いは長期戦になる程、調子を上げてくる。仕留めるなら短期決戦が有効だ。小瓶のコルクを抜いた瞬間、カイの姿が襲撃者の視界から消失する。


「速い!?」


 カイの筋線維・血管・骨格が蒼脈を変換することで生み出された白い炎が駆け巡り、己の質量すらも軽減されてゆく。これが身体強化を司る蒼脈法『仙法』だ。

 岩盤を打ち砕く膂力と自身の質量をも軽減する二重の肉体干渉により、雷光が如き機動性能を実現する。この質量操作の領域に至れる蒼脈師は、カイ・アスカを含めてほんの一握りだ。

 周囲の木々の幹や張り巡らされた霧蜘蛛の糸に小瓶の薬液を塗布しつつ兎のように軽快な身のこなしから放たれる短剣は、青嵐の中で舞い踊る桜花が如き斬撃を重ねていく。

 懸命に剣を振るい、猛攻をしのぐ男の姿は素人目には速度差で押されて手が出せないように見える。


「速い……だが軽い!」


 気力に満ち、橙色に光る剣の一振りがカイの斬撃を打ち落とした。刃と刃が激突した瞬間、カイの肉体は弾かれるようにして後退させられる。


「確かに見事な仙法だ。だが気法の出力は低い。自身の質量を軽くしているのと相まって攻撃を弾きやすい」


 並大抵の相手は速度差に怯み、身体が縮こまる。だが襲撃者はあくまでも冷静に対処し、数合の打ち合いでカイの戦術が抱える弱点を見抜いてきた。


「速度でかく乱した接近戦ばかり。この分では魔法も不得手だな。しかも気配で分かるしょぼくれた蒼脈量。貴様、後天的な蒼脈取得者だな」


 蒼脈法の基本三種類を極めてこそ初めて達人と呼べる。一つの技術に特化しただけの蒼脈師にはなんの怖さもない。

 さらに後天的な蒼脈取得者は、一旦大地に取り込まれた蒼脈が収束し、集中的に噴き出す蒼脈泉に触れ続ける修行を経て蒼脈を定着させるのだが、この修行だけでも数年を要する上に先天的な蒼脈保有者に比べて蒼脈量に劣る。

 気法を不得手とし、この蒼脈量では強力な魔法も使えない。カイは一般的な視点からすれば未熟な蒼脈師と断じてよい。

 しかし襲撃者の警戒心は、いささかも薄らいでいなかった。自分のほうが格上と判断しながらも油断はまったくない。混じりっ気のない本物の証明だ。

 対するカイも、飄々とした面差しを崩していない。


「戦い方はいろいろさ。面白いもんを見せてやるさね」

「生意気が! おごるなよ!」


 カイが左手を上着の懐に入れる瞬間を見逃さず、襲撃者が剣を振りかぶった。


「ブラストエッジ!」


 打ち下ろすと同時に切っ先から流体状の光が斬撃の形状を成して放たれる。ブラストエッジ。剣や拳を振ると同時に研ぎ澄まされた魔力斬撃を発生させる汎用型の遠距離攻撃魔法である。

 極限まで研ぎ澄まされ、無駄の一切ない魔力刃は、男が手練れであることを改めてミラたちに知らしめる。並の使い手であれば、知覚すら許されず両断される一撃。

 しかしカイは上体を反らすだけの必要最小限の動きで躱しつつ、懐から数本の小瓶を取り出した。中には水銀に似たとろみのある青い液体が封入されている。


「いい『魔法』さね」


 軽く放り投げた瓶を短剣で薙ぐように切り裂くと、青い閃光の弾頭が数十の群れを成して飛び出した。咄嗟にしゃがみ込んだ襲撃者の左肩がえぐれ、鮮血が舞い散った。

 ブラストエッジと並ぶ基礎的な遠距離攻撃魔法ブラストスピア。貫通に特化しており、手練れが使えば山の中腹を穿つとさえ言われる。その逸話通り、襲撃者の背後にあった木や地面は、空間ごと抉り取られたかのようにズタズタに射抜かれていた。


「くっ……これが奴の魔法薬の破壊力か」


 龍から与えられた力である蒼脈は、保有者から完全に切り離されると、数分の内に大気や大地などの自然の中へと吸収されてしまう。例外は砥汁ガエルの粘液のような特殊な性質を持つ自然物や専用の薬液ぐらいだ。

 魔法とは、そういった蒼脈を身体から切り離して扱える蒼脈法の技術体系である。イメージするのは蒼く輝く水。時には鋭い刃となり、時には全てを砕く奔流となる。あらゆるものに変じ、あらゆるものを生み出す生命の根源。

 そしてカイの魔法は、事前に魔力と薬草を調合した魔法薬を用いることで本人の蒼脈をほとんど使用しないにも拘らず、速度・貫通力、どちらも最上級の代物だ。並の薬学師の調合する魔法薬ではここまでの威力は出せない。カイ・アスカの薬学技術の高さがあるが故の精度だ。


「兄者! くっそ!」


 カイと戦うがっしりした襲撃者を兄者と呼びながら、ミラと戦っているもう一人の痩せた襲撃者は踵を返した。

 だがミラの拳が兄者の元へ向かう襲撃者を狙う。咄嗟に剣で受け止めるも、大気を打ち抜く破壊力が身体の中で鐘の音のように反響したのだろう。顔がゆがみ、腰が落ちる。膝まで震えて足腰が定まらない。


「弟よ! 俺に構わず、お前はその女をやれ!」

「兄者! 待っててくれ! すぐに片付ける!」


 痩せた襲撃者弟の叫びに呼応するように風が吹き荒れる。しかし右から左に振り抜かれるミラの鉄拳は、相手のことなどお構いなしに連打を積み重ねていく。完全に防御しているのに雷に打たれたかのように両腕が痺れ、全神経の感覚が消失する。

 仙法と気法、そのどちらも極めているミラの馬力は常軌を逸していた。女の拳を受けきれない襲撃者弟が非力なのではない。むしろ城壁をも砕く計り知れぬ膂力を受けて、腕が千切れ飛ばない弟の蒼脈師としての完成度の高さを証明している。


「くっそ! 能なし姫だと聞いていたのに!」


 初撃で兄弟を分断したミラの立ち回りが功を奏していた。敵がタッグでの戦いを得意としているのは最初の奇襲を両名同時に敢行した点から推察できる。

 一方でミラは、個々人の戦闘能力ではこちらが上手との自負があった。二対二ではない一対一×二の状況を作り出したことで形勢を優位に運べている。


「ここで仕留めさせて貰うわ!」


 可憐な容姿と反比例するようにミラの猛攻が苛烈さを増していく。ミラは読んでいた。本来襲撃者弟は、近接戦を得意としているタイプではないと。

 十二分に達人と呼べる技量を持つものの、襲撃者弟のそれは兄と比べると若干荒さがある。剣術はあくまで遠距離戦に持ち込むまでの時間稼ぎ。本命は魔法による大火力の一撃のはず。

 故にミラは、手数で押し続ける選択肢を選んだ。反撃の余地を与えない左右の連打が毒のようにダメージを累積させ、襲撃者弟を蝕んでいく。

 このままでは襲撃者弟がやられると判断したのだろう。襲撃者兄が剣の柄を握りなおした。


「そこを退け薬学師!」


 襲撃者兄の直剣が気法の輝きを放ち、左から右に袈裟切りを落とす。カイは回転しながら斬撃を躱しつつ、左手についた砥汁ガエルの粘液を短剣の刃に塗り付けた。刃には、大量の魔法薬を切り裂いたおかげで薬液塗れだ。粘液と魔法薬が混ざり合い、緑色の放電現象を伴って短剣の刃を光が包み込んでいく。

 短剣を逆手から順手に持ち直し、身体ごと回転させつつ薙ぎ払った。


「この輝きは!?」


 ぶわりと汗を噴き出しながら、襲撃者兄は咄嗟に剣でカイの一撃を受け止める。二つの刃がぶつかり合い、ファネルアの森が神々しい破壊の緑で染め直された。

 極光が限界まで達した瞬間、切なげな金属音を鳴らして襲撃者兄の直剣が刃の中程からへし折られた。


「ぐっ!?」


 絶好の好機を見逃さずカイがとどめの刺突を心臓目掛けて放った。だが襲撃者兄に、焦燥はない。得物を破壊されたのにだ。

 迫りくる短剣を直撃寸前で上体を反らせて避けつつ、カイの脇腹目掛けて右の蹴り足を繰り出した。カイも反撃を予想していなかったわけではない。左肘を盾に蹴りを受け止めるも、襲撃者兄は蹴りの反動に身を任せて後方へ跳んだ。


「姫様!」


 カイが敵の狙いに気づいた時にはもう遅い。襲撃者兄の着地予想地点にいるのは襲撃者弟と交戦中のミラの背中。完全に背後を取られている。さらに襲撃者兄の動きは速い。カイが漏らした声がミラの耳に届くより確実に速く、襲撃者兄のほうがミラに辿り着く。


「もらった!」


 がら空きのミラの背をめがけて橙色の螺旋を描き、折れた刃が剣閃を迸らせる。しかし襲撃者兄の攻撃が到達するよりも速く、ミラの姿は襲撃者たちの視界から消えていた。背後からの奇襲は見抜いていた。地面に鼻先が触れるほど姿勢を低くし、斬撃を回避する。

 襲撃者二人に訪れた空白の時間。ミラはすかさず立ち上がり、膝のばねを生かしたステップで両名との距離を離した。

 ミラとカイ。襲撃者兄と弟。並び立つ両名が向かい合う形となる。


「能なしの反逆姫と薬学師か。最初は楽な仕事だと思っていたが、なかなかやるじゃないか。なぁ弟よ」


 襲撃者兄は、武器を失ってまで掴んだチャンスをものにできず、ミラを仕留めそこなった。なのに落胆の色がまるでない。それどころか兄と弟はほくそ笑んでいる。己が勝利を確信したかのように。まるでこの陣形に持っていきたかったのだと言わんばかりに。

 襲撃者の兄弟はコンビネーション攻撃を得意とする。彼等にとって想定外だったのは奇襲をしくじり、ミラの初撃で引き離されたこと。兄弟が望んでいたポジションをようやく得ることができたのだろう。そんな敵の狙いを察知できないほど、ミラとカイは凡夫ではない。


「姫様、まんまと敵さんの狙いに乗せられましたね」

「あら、私のせいみたいに言わないでほしいわね」

「こういうのは指揮官のせいですよ。あんたが俺たちの主君なんですから」


 あくまで余裕を崩さない二人の視界を埋め尽くすように暴風の柱が立ち上った。襲撃者弟の剣を起点にして分厚い風が大蛇のように呻り、ファネルアの森の木々と霧蜘蛛の巣を激しく揺らしている。


「こりゃ驚いたさね。これほどの干渉制御魔法の使い手。俺も十年近く見てないさね」


 干渉制御魔法は、通常の魔法のように魔力を特定の性質に変化させて身体から切り離すのではなく、体外に放出した魔力を周囲にある自然物や自然現象に浸透させて、自然そのものを操る魔法。大自然の力を借りる故、使いこなせるのは希少な才能を持つ蒼脈師のみであり、その戦力的価値は非常に高い。

 接近戦に優れる兄が弟を援護し、弟の風の干渉制御魔法で敵を仕留める。これが襲撃者兄弟の本来の闘争方法なのだ。


「カイ! あなたは薬学師であると同時に私の護衛でもあるのよ! この失態はあなたの責任だわ!」


 ミラは、頬袋をパンパンにしたリスのような怒り顔でカイに詰め寄った。


「無能な指揮官が全部悪い、と言いたいところですが」


 カイが指を鳴らした瞬間、霧蜘蛛の巣が濃い紫色の輝きを放ち、襲撃者弟の剣を起点とした暴風の群れが兄弟の身体を天高く吹き上げた。擦れ合う風の層に肉を切り裂かれ、極限まで圧縮された風圧が骨を砕く。驚異的な破壊力を受けた兄弟は空中で鮮血のドレスを纏い――。


「な、何故!」

「僕の風が僕たちを!?」


 呟きながら地面に墜落し、その意識を手放した。


「この展開に持っていきたかったのはこっちさね」


 カイは、懐から取り出した特製の芋がら紐で手早く襲撃者兄弟を亀甲縛りで拘束してから短剣を腰の鞘にしまって二人を担ぎ上げた。さすがのミラも、これは予想しておらず、若干引き気味である。


「この芋がら紐は俺特注でね」

「カイ……その縛り方」

「蒼脈を流すとめったなことじゃ千切れんのさ」

「もう少し何かあると思うの」

「とりあえず他に敵の気配もないし」

「ねぇ聞いてる?」

「とりあえずこいつら運びつつ、ここを移動しますよ。もうじき後続の敵も来るでしょうし」


 ミラは、取り付く島のないカイに嘆息をつきながら一転、鼻息を荒くして労うようにカイの背中を叩いた。


「さすがカイだわ。お見事な手際よ」

「いつもながら、あんたの激励はまったく心が籠ってないですね。ほら早く行きますよ。アリアも急げ」

「は、はい」


 アリアは恐怖ですっかり硬直してしまったのだろう。生まれたての小鹿のようなぎこちない足取りでカイとミラの後を追った。

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